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聖女

 ――祭り三日目、最終日の朝。


 クレスがフィオナの胸に夢中になっていた頃、通常はもの静かな聖城も大変に慌ただしいことになっていた。

 普段は騎士団員らの訓練場となっているコロシアムが“聖闘祝祭セレブライオ”の会場になること、そして何より、城の大聖堂で結婚式を挙げるカップルとその親族たちが大勢来訪するためだ。


「聖女様。本日の“聖闘祝祭セレブライオ”ですが、昼食後に会場へ向かう予定となっております」

「ええ、わかりました」


「聖女様。本日の式典ですが、十八組の結婚式を執り行う予定です。少々数が多いですが、祝福の儀をお願い致します」

「はい。心得ております」


「聖女様。本日で祭典も終了となります。もう少し、ご一緒に頑張りましょう」

「そうですね。わたくしひとりでは何も出来ません。人々の祈りを聞き届けるため、どうか皆さんのお力添えをお願い致します」


「「「はい!」」」



 聖都の中央――丘の上に立つ荘厳な城、『聖エスティフォルツァ城』。


 その最上階にある広大な『聖女の間』には赤い高級な絨毯が伸び、その先で豪奢な椅子に腰掛ける美しい法衣姿の少女が一人。

 まだ年若い生娘である彼女こそが、この聖都の最高権力者であり、平和を統べる象徴そのもの。神の寵愛を受けた存在。人でありながら人を超越する『聖女プリミエール』。その祈りには、邪なるモノを滅する『シャーレ神』の力が宿るとされる。

 聖女が身に着ける『綺羅星の聖冠(アルス・ミトラ)』と『綺羅星の聖杖(アルス・ルーナ)』は、『神聖宝(セフィロト)』と呼ばれる聖都の至宝であり、神の作りし品と伝えられていた。


 そんな聖女の前に並ぶのは、世話役でもある『聖職女シスター』たち。一人一人に柔和な笑顔で応えた清廉な少女に、シスターたちは大層喜んでいた。



「――それでは聖女様、私どもはこれで失礼致します」

「ええ。皆さんも決してご無理はなさらぬよう。わたくしはこれから祈りのための瞑想に入ります。どうかこの広間には立ち入らぬよう、お願いします」

「はい。ありがとうございました」


 頭を垂れて恭しく広間を出ていくシスターたち。


 こうして訪問者も去り、一人きりになった聖女は小さく息を吐いたあとにゆっくりと立ち上がり、『聖女の間』からすぐそばの庭へと出る。

 聖女とその付き人しか足を踏み入れることの出来ない専用の広い庭からは、美しい聖都の街並みが一望出来た。


 聖女は至宝であるはずの冠と杖をポイと芝生に放り投げ、長い髪を振り払う。

 その髪は腰の辺りまでは月のように美しい色をしているが、その先は青にも、紫にも、赤にも見える、不思議なグラデーションのかかったもので、歴代の聖女のみが持つ『プリズムヘア』と呼ばれる。また、耳飾りや首飾りには月の意匠が施されていた。


 彼女は髪を押さえながら街を眺める。


「みんな楽しそうだなぁ………はぁぁぁぁ~………………あー! もうやってられないよぉーーー! わたしもあそびにいきたぁ~~~い!」


 突然叫びだした聖女は、干された布団のようにだらしなく柵にもたれかかる。そのまま芝生の上に背中から寝っ転がり、空を見上げた。


「う~。何が平和のためのお祭りよぅ。朝から晩までお役目お役目! わたしはぜんぜん楽しくなぁーい! やだやだやだやだあそびたーい! スイーツ買い食いして、催しもの見て、子供と遊んで、ダラダラしーたーいー!」


 駄々っ子のように愚痴を漏らして手足をバタバタさせる聖女。乱れた法衣からはしたなく下着が覗き、とても信者たちには見せられない格好である。



「――ソフィア様」



「ひゃあああっ!?」



 背後から声をかけられ、大層びっくりして起き上がる聖女。


「ち、違うのですこれは大地と一体化して神託を受けていたのです! わたくしはもうそれは立派な聖女として皆さんのご多幸を――」


 振り返ると、そこに立っていたのは先ほど捨てた冠と杖を持った一人のメイドである。


「って、なぁんだあなたかぁ。もう、驚かせないでよ~」

「申し訳ありません。そろそろ身支度をお願い致します。まずは大聖堂で結婚式を進めてまいりますので、既に準備を済ませてあります」

「はいはーい。でもあと少しだけー。あー……お日様が気持ち良いなぁ。このままお昼寝したいなぁ。ごろごろ~」


 芝生の感触を確かめるように転がる聖女。

 ぼけーっと緩んだ顔つきといい自由気ままな姿といい、普段は決して人に見せない光景を、一人のメイドと、壁の上に座る一匹の黒猫だけが見ていた。その尻尾には鈴が付いている。


「――あっ、たまに来る猫ちゃんだ! おいでおいで~! 一緒にあそぼうよ~!」


 聖女が手招きをすると、黒猫は短く鳴いてから壁を降り、どこかに走り去っていく。聖女は「あうーいっちゃったぁ」と残念そうにその場に突っ伏した。


「……本日は、ずいぶんと気が進まないようですね」

「そりゃそうだよー。こーんな気持ちの良い日に朝から他人の結婚お祝いしてさ、見たくもない男たちの戦い見て、ニコニコニコニコしてなきゃいけないのよ。つまんないつまんない。街でアイス食べてるほうがずっと楽しい。知ってる? 聖女って世界で一番つまんないんだよ」

「ですが、この世界でソフィア様にしか務まらない重要なお仕事だと思います」

「ちがうんだよー。こーんな広い世界で、たった一人の人間にしか務まらない仕事なんて大した価値ないの。美味しい食べ物を作ってくれる人とか、立派な家を建ててくれる人とか、可愛い服を仕立ててくれる人とか、そういう人の方がよっぽど重要だよ」


 ポカポカ陽気の下、日頃溜まった不満を吐露する聖女。おそらく他の者が聞けば大きなショックを受けるだろう発言にも、メイドは涼しい顔をしている。


「……今日は“聖闘祝祭セレブライオ”もございます。ソフィア様は、例年この催し物を楽しみにしていたとお聞きしましたが」

「去年まではねー。だってあれには『勇者』を選定するための意味合いもあったけど、魔王がいなくなっちゃった今は、それもなくなっちゃったもん。今年からはただのケンカ祭りだよ。聖剣だって必要ないしさー。聖女なんてお飾りなんです」

「そういえば、ソフィア様は勇者様に憧れていたのでしたね」

「そう! 特にクレスくんっ!」


 勢いよく身を起こした聖女。その目はきらきら輝いている。


「クレスくんが優勝した年はすごかったなぁ。まだ子供だったのに、こーんなおっきい人たち相手にズカーンバコーンって! 彼ならきっと魔王を倒してくれるって、わたしも気合い入れて剣にお祈りしたんだよ! そして、クレスくんはその剣で魔王を倒したの! すごいよね! これ、わたしのおかげじゃない!?」

「はい。聖女様のお祈りが込められた聖剣は魔物にとって最大の脅威。そのお力があればこそでしょう」

「だよねだよねー! あーあ、クレスくんが生きてたら、きっと勇者として囚われの聖女(わたし)を救い出しに来てくれたのにな。本当はどこかで元気にやってるんじゃないかなぁ」


 彼女は決して囚われの身ではないが、そのこともわかっているメイドは何も返さない。ただ愚痴を聞いてほしいだけだと知っているからだ。


「あっ、そういえばあなたって【ヴァリアーゼ】の出身だっけ? そっちにもまだうちの聖剣あるの? ほら、お母様が祈りを込めたやつ」

「はい。王子と騎士団長が一本、それぞれ大切にお持ちです」

「そっかぁ。でも、そっちからわざわざここまで要請されるなんて、あなた若いのによっぽど優秀なのね。うぅん、実際優秀だわ。だって、わたしが本音を明かせるのなんてあなたくらいだもの。年も同じくらいで話しやすいし。ずっとここにいてほしいくらい!」

「お褒めに与り恐縮です」


 笑顔を見せる聖女に対し、恭しく頭を下げるメイドの女性。ホワイトブリムの乗った長い黒髪がさらさらと揺れる。


【騎士国ヴァリアーゼ】という国には古くから優秀なメイドを輩出する専門の教育機関があり、そこから各国に派遣されることもある。

 ただ、大陸の中でもこの【聖都セントマリア】だけは『国』という扱いではなく、街そのものが聖教会の管理する聖地――『教会』だ。しかし教会だけでは出来ることに限りがあるため、他国からの協力を得て成り立つ特殊な街なのである。それもすべては、『聖女』という特別な存在がいるからに他ならない。


 そしてその聖女は今、気持ちよさそうに芝生で大の字に寝っ転がっている。


「ソフィア様。そろそろ」

「ハァーイ。ま、わたしも聖女になっちゃった以上はちゃんとお役目果たさないとね。お母様やお祖母様に申し訳ないし。がんばりまーす!」


 メイドから冠と杖を受け取る聖女。

 それを身に着けたとき、彼女の表情がスッと静まる。


「――では、皆さんの元へ参りましょう」


 だらけていた姿から一転、すぐに“理想の聖女像”を纏う少女。まばたきするわずかな瞬間で神秘的とさえ思える高貴な姿に切り替わるこの早さには、メイドも日々感嘆する。



そのとき、聖女の持つ聖杖――その先端の宝石が淡く光った。



「――え?」



 目をパチパチさせる聖女。

 それから、途端にその表情が明るくなった。


「これって……クレスくんだ!」

「ソフィア様?」

「みてみてこれっ! わかるの、きっとクレスくんだよ! 生きてる! 彼、またこの街に戻ってきてるんだ!」


 そう語る聖女の瞳が――強い魔力を帯びて色を変える。


「わたしに会いに来てくれたのかも! どこかなどこかなっ、あっ、もしかしてまた“聖闘祝祭セレブライオ”に参加してくれるのかな! よぉーし、そうと決まればさっさと結婚式祝いまくるぞー! 待っててクレスくーん!」


 パタパタと掛けだしていく聖女。どうやらやる気が出たらしい。

 メイドは無言で小さく息を吐き、彼女を追って走った。



 十二代目の聖女――『ソフィア・ステファニー・ル・ヴィオラ=アレイシア』。



 世界の中心で祈り続ける少女の、退屈でない日が始まった。

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