溺れる夜
デートを楽しんだ二日目の夜。
クレスとフィオナは、コテージに備えられた屋外プールで食後の運動をしていた。あまり泳ぎの経験がないフィオナの手をクレスが引く形で、泳ぐ練習をする。フィオナはそこまで運動が得意な方ではないが、しなやかな身体は水泳には向いていた。何よりも物覚えが良い。
「ぷはぁ! ク、クレスさん……どうでしたかっ?」
クレスの手を離れ、一人でプールの端から端まで泳ぎ切ったフィオナ。
プールサイドで見守っていた水着姿のクレスが言う。
「うん、息継ぎもちゃんと出来ていたよ。フィオナは筋肉や関節が適度に柔いから、泳ぎには適していると思う。足もよく動けていた。短時間ですごいことだ」
「ほ、本当ですか? えへへ、褒められちゃったぁ」
プールを上がり、クレスの前にやってきてまとめ上げていた髪を下ろすフィオナ。濡れた銀髪は月夜に輝き、軽く絞れば鮮やかなマリンブルーの水着の上へ水が滴り落ちる。
「みんなと海に行ったときは、あまり泳いだりはしませんでしたし、元々苦手意識があったせいか、初めは溺れそうになっちゃいましたけれど……だんだんとコツがわかってきた気がしますっ! 足、足が大事ですよねっ」
ぴょんぴょんと飛ぶフィオナ。その明るい表情にクレスも笑みを見せる。
「そうか、それなら良かった。俺も、人に物を教えるのは得意な方ではないからな」
「そんな、クレスさんの教え方がすごくお上手なおかげですよ。それに、この水着は泳ぎには適していませんし、それから、そのぅ……上手く泳げなかったのは、わ、わたし個人のせいなところが大きいですし……」
そうつぶやいて、自らの胸元に目を落とすフィオナ。
ぽたぽたと落ちる髪の雫は、吸い込まれるように胸の谷間を流れていく。可愛らしいビキニタイプの水着は、フィオナの成長止まらない胸部は優しく支えていた。
クレスはそこから目をそらしつつ、返答する。
「フィオナのせい、ということはないが……その、俺は君のすべてが魅力的だと思っているし、気にするようなことではないと……」
少々戸惑った様子で、それでもなんとかフィオナをフォローしようとするクレス。その反応にフィオナは目をパッチリ開けて、それから頬を赤らめてくすりと笑い、礼を言った。軽く水遊びをする程度ならば何も問題はないが、単純に、大きな胸部というのは水泳に不向きである。実際に、この水着が泳いでいる最中にほどけてしまったほどだった。
それから二人はプールサイドのベンチに腰掛け、タオルで身体を拭いてから、そこで一杯のコーヒーを楽しむ。泳いで冷えた身体に、温かな紅茶が染み渡る。
「……ふぅ。たまには外で飲むのもいいものだね」
「はいっ。こうやって水着姿で星空と海を眺めながらなんて、なんだか面白いですね」
「ああ。夜でも海が見えるというのはいいな」
寄り添いながら、二人はしばらくの間静かに景色を眺めていた。
「…………む……」
まぶたが重くなってきたのはクレスの方だった。
海風はほんのりと暖かく、潮の匂いや波の音までが心地良い。今日はあれこれと出掛けたせいもあってか、ついつい睡魔に襲われる。
何よりも――
「ふふっ……クレスさん」
優しいささやき。
隣のフィオナが、笑顔で膝の上をポンポンと叩く。
誘われるままに、クレスは素直に身を倒して、彼女の膝枕に頭を預けた。冒険者として生きた時間の長いクレスが他人に眠気を見せる場面など普段はありえないが、フィオナだけは別である。フィオナがすぐそばにいてくれることが、クレスにとっては何よりも気の休まる場になるからだ。
「あ……でも、こうしてしまうとクレスさんの顔が見えづらくなっちゃうんですよね……」
ちょっぴり残念そうにつぶやくフィオナ。
膝枕の状態では、フィオナの豊かな胸部によってお互いの顔が見えづらいという難点があった。
しかし、クレスは特に同意の反応を返さない。
彼にとっては、これはこれで良きものである。しかも今は水着の状態なのだ。クレスといえども、しばしこの魅惑的な状況を保ちたかった。
気を取り直したフィオナが、クレスの頭を優しく撫でながら言う。
「今日は、とっても楽しかったですね」
「……うん」
「こうして、二人だけの時間を過ごせて……なんだか、夢みたいな心地です」
「そうだな。フィオナのことだけを考えていられるのは、とても、幸せなことだ……」
「……えへへ。わたしも、クレスさんのことだけを、考えています……。他のことは、なんだか、もう、どうでもよくなってきてしまって……」
二人はただ、幸福な時間に身を委ねていた。
出逢ってからも、結婚をしてからも、考えることはたくさんあった。ただ、相手のことだけを想っていられる時間は、ベッドの中くらいのものだった。争いも、仕事も、人間関係もすべて忘れて、こうしていられることは夢のようだった。この街で過ごす時間そのものが、まどろみのようなものだった。
「クレスさん。少し、ここでおやすみしますか?」
「……それも魅力的だが、君に負担を掛けてしまうな。それに……せっかくフィオナと二人でいられる時間が、もったいない」
「……ふふっ。それじゃあ……」
膝枕をするフィオナが、少しだけ前に身を乗り出す。こうすることでお互いの顔が見えた。
乾きはじめた彼女の銀髪が、サラリと流れてクレスの眼前に迫る。
フィオナは髪を耳に掛けながら、上から覗き込んでささやく。
「……今晩は、どう、しますか……?」
海風よりも、膝枕よりも魅力的なフィオナの優しい笑みに、クレスは息を呑む。
それからこの夜はずっと……さらには翌日の夕刻になるまで、二人はずっと、コテージで二人だけの濃密な時間を過ごした――。
◇◆◇◆◇◆◇
「三日間なんだよねぇ」
煌びやかな光の町を一望出来る大きな窓を前に、その人物は人差し指の上で器用にくるくると1つのダイスを回していた。
「欲に溺れる……じ・か・んっ」
ダイスを左手で握りしめ、パッと開くと指の間に3つのダイスが挟まっていた。
「ウンウン! せっかくのパーティーなのに、お堅い顔してたらつまんないじゃんねぇ。だからぁ、三日間はゆ~っくりリラックスしてもらって、パーティーを目一杯楽しんでもらわなきゃねぇ! みーんなイイカンジにほどけてくれてるし、楽しみ~☆」
右手を開く。その手指の間にも3つのダイスがあり、両手を交差させるたびに手中のダイスが倍々で増えていく。華麗で奇妙な手さばきには淀みがない。
「あたしより運のイイ人たち、いるかな~? あーん、あたしも早く遊びたいなァ。もうひとりアソビ飽きちゃったぁ。パーティーはぁ、バリバリ盛り上げるよー!」
テンションと同じように高く、両手いっぱいに増えたダイスを宙に放り投げる。すべて地面を覆い尽くすようにばらばらと転がり落ちた。
「あはー♪」
満足げに笑った美しい少女は、鼻歌交じりにルンルンとスキップをしながら去っていく。その頭部で長い耳がぴょこぴょこと揺れていた。
地面に落ちた無数のダイスは、すべて《1》だった。
◇◆◇◆◇◆◇




