わたしとお仕事、どちらが大切ですか?
スッキリと目覚めた朝に、なぜか妻が裸で寝ていた。これにはさすがのクレスも驚いてしまう。
視界の隅にチラリと移るのは、ベッドサイドに脱ぎ捨てられたフィオナの衣類。もしや自分が何かしてしまったのか……一瞬そう考えたクレスだが、自分はちゃんと寝間着を着ている。おそらくそうではないだろう。
そしてクレスは、昨晩の幸せだったまどろみの時間を冷静に思い出して察する。
どうやらフィオナは、クレスの身体を暖めるため、癒やすために、裸で添い寝をしてくれていたようだ。そして、そのまま一緒に眠ってしまったのではないか。クレスはそう結論づけた。彼女が脱いだ服が畳まれていないこと、テーブルの上に夕食の食器が残っていたことからそれがわかる。几帳面な彼女が後片付けをしないことなどまずないからだ。それよりも自分を優先してくれたことが嬉しい。
「…………むう……」
そのことがわかってしまったクレスは、途端に困り果てた。
抱きつかれた腕に否応なく意識が移ってしまうからだ。しかし、鉄の意志で自分を律する。
それでも――愛する妻が隣であどけない寝顔を晒しながら裸で密着してきているというこの状況は、あまりにも魅惑的すぎた。
「むむ…………修行だ……あの日々を思い出せ……むむむむ……」
目を閉じて視覚情報を遮断し、シノに師事した頃を思い出そうとするクレス。
シノから卒業宣言をされ、一人になってからも苦しい旅を続け、ヴァーンやエステルたちと共に様々な困難を乗り越えてきた。あの頃に比べればこれくらい…………と思ったが、困ったことに今が一番辛かった。まだ魔王と戦ってボロボロになったときの方が楽だった。女性への関心を抑えるのがこれほど辛いとクレスは今まで知らなかった。完全に体調が戻ったこともあり、彼女に触れたい欲望が加速する。仕事にばかりかまけていて、そういうことをしていなかったのも原因だろう。
そんなとき、フィオナが「んっ……」と小さな声を上げながら目を覚ました。そのタイミングでようやく彼女の腕から開放され、ホッとしつつも少し残念に思うクレスである。
「…………あ。クレスさん……おはよう、ございます……」
「あ、う、うん。おはようフィオナ。ごめん、起こしてしまったかな」
「いえ……大丈夫ですよ……」
軽い動揺を隠しながら返すクレス。
フィオナは目をこすりながら徐々に意識を覚醒させていき、真っ先にこう尋ねた。
「クレスさん、お身体はどうですか? 辛くはありませんか?」
「ああ、問題ない。フィオナが看病してくれたおかげだ。熱も引いて、すっかり万全さ」
そう答えるクレスの額に、フィオナが自らの額をこつんと当てた。
そしてホッと穏やかな表情を浮かべる。
「あぁ……本当です。良かったぁ……すぐに良くなって……」
ずっと心配してくれていたのだろう。心から安心したように微笑むフィオナに、クレスは胸の高鳴りを感じた。こんなにも優しく温かな妻に包まれながら眠っていたのだ。病などすぐに消え去る道理であろうと悟った。同時に、彼女へ心配を掛けてしまったことを申し訳なく思う。
そこで、フィオナがぽつりと言葉を漏らした。
「……ごめんなさい、クレスさん」
「え? なぜ謝るんだい?」
「わたしのせいです。わたしがクレスさんを頑張らせすぎてしまったせいで、クレスさんの体調の変化に気付けませんでした……。お嫁さんとして情けないです。本当にごめんなさい……」
その言葉を聞いて、クレスは思わず上半身を起こす。
そしてフィオナの手をぎゅっと握った。
「いやっ、そんなことはない! フィオナのせいではないよ!」
「で、でも」
「君の責任ではない。俺が仕事に熱中しすぎてしまったせいだ。旅をしていたときも、俺は自分を省みずに無茶をして身体を壊したことがあった。ヴァーンやエステルたちのサポートがなければ、きっと冒険を続けられなかっただろう。師匠にも、そういったことで何度も叱られた記憶があるんだ。なのに俺はまた同じ事を……すまない」
クレスの手からふっと力が抜ける。
彼は弱々しく目を細めて、こうつぶやいた。
「……俺は、ただ君に喜んで欲しかった。君の役に立ちたかったんだ。君に仕事を任せてもらえたことが嬉しくて、つい、そのことばかりに……」
「……クレスさん」
「ごめん、フィオナ……」
猛省した様子のクレスを見て、フィオナはしばらく静かな表情をしていたが――やがて「ふふっ」とおかしそうに微笑んだ。
「きっと、同じですね」
「え?」
それは、突然の問いかけだった。
「クレスさん。わたしとお仕事、どちらが大切ですか?」
クレスにはよく意図がわからない。そんなもの、答えが決まりきっているからだ。
だから少々面を食らいながらも即答した。
「もちろんフィオナだよ。比ぶべくもない」
「え、えへへ。ありがとうございます。そう言ってもらえたらと思っていたのですが……や、やっぱり嬉しいですねっ」
男らしく断言したクレスに、テレテレと微笑むフィオナ。
それから彼女は続けてこう尋ねた。
「では、もう一つだけ。クレスさんは、もしもわたしが倒れてしまったらどうしますか?」
「な――えっ?」
またもやの質問。クレスは顔を上げて呆然とする。
フィオナは落ち着いた顔つきで淡々と話した。
「もしもわたしがお仕事や家事の途中に体調を崩してしまって、それでも、クレスさんのためにお世話をしたいって無理に頑張ろうとしたら、クレスさんはどうしますか?」
「それは……もちろん止めるッ! 俺のことなんていい! 君の身体が第一だ! だから早く休んでほしいと、きっと俺は多少強引にでも君を――あっ」
そこまで発言して、クレスはようやくフィオナの意図に気付いた。
フィオナは優しく目を細めて、クレスの手を取った。
「ありがとうございます。わたしも、同じなんです。クレスさんの身体よりも大切なことなんてありません」
「フィオナ……」
「お仕事は大切で、生きていくためには必要なことです。やりがいのあることは楽しくて、つい張り切ってしまいますよね。でも、一番大切なことだけは見誤らないようにしたいです。もしも立場が逆だったら……わたしも、きっと無理を無理とも思わずにしてしまいそうですから。そのときは、クレスさんがわたしを叱ってくださいね」
穏やかに微笑みながら、クレスと同時に自分を戒めるフィオナ。
彼女の気持ちを受け取ったクレスは、大きくうなずいて答えた。
「……ああ。わかったよ、フィオナ」
二人はそんな約束を交わし、改めて気持ちを重ね合わせた。




