師匠と弟子、それぞれの成長
なんとも騒がしい朝風呂から出た一同。男湯のクレスとヴァーンとも合流したところで、学院組の講師エステル、生徒のリズリットとレナはアカデミーへ。残った者たちでセリーヌの店へ向かい、リフォームされたシノの服を受け取ることとなった。
「フッフッフ、どうよシノさーん!」
「おお……これは……」
すっかり綺麗な姿を取り戻した自身の一張羅を纏ってみて、まずは感嘆の声を上げるシノ。肌触りなども確かめているが、どうやら問題ないようである。布地の質感はもちろん、複雑な刺繍模様さえも再現されているのが驚異的なことであった。なぜボロボロの状態しか知らないセリーヌがここまでの修復を出来たのか、シノには理解が追いつかない。一方のセリーヌは実に満足そうな笑みを浮かべながら腰に手を当てていた。
「まるで元の服を知っていたかのようです……どうすればこのようなことが?」
「あー、その辺は技術的かつ魔術的な概念で簡単に説明するのが難しいんだけど、『服』ってのは完成された“原型”が存在するのね。あたしは魔糸でその原型を読み取ることが出来るの。だから直すのは結構得意なのよ」
「それは素晴らしいです。以前のものとなんら変わりが……いえ、魔術の糸を使ったゆえでしょうか。むしろ軽くなり、着心地が向上しているように思います。まさか、このような絶技を持つ方がいらっしゃるとは……短時間で、よくぞここまで……」
「よーしよしよし! ご満足いただけたようで何より! 服飾士として嬉しい瞬間だわ~。また聖都に起こしの際は、是非当店をご贔屓に♪」
「はい。是非」
少々の色を付けた代金を支払い、しっかりと服を着直してからカタナを腰に収めるシノ。また、彼女の手荷物には先ほどまで着ていたレンタルの服も収まっていた。セリーヌの仕事ぶりと服の品質の良さを気に入ったシノが、レンタル品もそのまま購入したのである。
シノたちを見送る店先で、セリーヌが軽いあくびをしてから言う。
「ところでシノさんさ、ひょっとして服、結構好きな方ですか?」
「え?」
少々驚いたように反応するシノ。セリーヌは楽しそうに話す。
「や、シノさんの服を補修してて思ったの。その服、素材から染色、製織、縫製に刺繍の加工まですごくレベルが高くて丁寧な仕事なのよね。そんな服を着られるのってよっぽど良い家の娘か、もしくはよっぽどの服好き。シノさんはどっちもありそうだなって思ってさ。それに、買ってくれた服もみんなセンスいいなって!」
「それは……きっと選んでくれたフィオナさんや作ってくれたセリーヌさんの趣向が素晴らしいのでしょう。ですが……」
自身の服を見下ろし、シノはちょっぴり気恥ずかしそうに話す。
「そう、ですね。服は好きな方だと思います。小さな頃は、服飾の業を学びたいと思っておりましたから」
「えーそうなの!? じゃああたしと同じじゃない! ──あ、でも小さな頃はってことは今は……?」
「ええ、ずいぶん昔に諦めました。才能がなかったのです。ですからセリーヌさんのように、素敵な衣服を生み出す方々は尊敬致します」
「……そっか」
あまり深くは踏み込まず、セリーヌはそこで話を切ることにしてあえて笑った。
「さーてっ。お風呂にも入ったことだし、あたしはお店の準備してからちょっと仮眠するわね。最後まで見送りいけなくてごめんなさいね、シノさん」
「そんな、こちらこそご負担をおかけしてすみません。ゆっくりお休みいただければと」
「ありがとね! あー、でも来月にはまた聖都で面白い催し物があるから、シノさんにも見ていってほしかったけどね。そっちの国の服の話とかもっとしたかったしさ。暇ならまた遊びにきてよ! その時はお酒でも飲みながらいろいろ話しましょ♪」
「はい。誠にありがとうございました」
丁寧に頭を下げるシノ。ひらひらと手を振るセリーヌと別れ、一同はそのまま商店通りを抜けて正門の外へ。
──そして往来する商人らのキャラバン隊を横目に、別れの時がやってきた。外の世界は広く、一面の青空と山々、草原が広がっている。遠くにはあの『聖牛』が飼われている牧場も見える。
フィオナがシノの前に立ち、彼女の手を握って言った。
「シノさん、どうかお元気で。また、いつでも羽を休めに来てくださいね!」
「お師匠さんよ、次に来るときは覚悟しとけや。今度こそはオレ様がぶっ倒してやっからな!」
「ありがとうございます、フィオナさん。ヴァーンさんも、楽しみにしています」
二人と挨拶を済ませたところで、残ったのは、クレスのみ。
クレスはまたちょっぴり緊張した様子であったが、それでも表情は明るい。瞳も、曇りなくシノを見つめている。
そしてシノもまた、本当の自分を知られたうえでクレスを受け入れようとしている。そのことがわかるフィオナには、何も心配することはなかった。
「――師匠」
クレスが一歩前に踏み出し、つぶやく。フィオナとヴァーンは一歩ずつ足を引いた。
やがて、クレスが切り出す。
「俺は……やはり、まだまだです。師匠はあの頃にも――そして先ほども、もう教えることはないと仰いました。しかし、師匠には教わることばかりだと感じています」
「……そうですか」
「はい。ですが師匠がそう仰られる以上、甘えるわけにはまいりません。己の未熟さは、己の鍛錬によって補います。それでも足りない部分はあるでしょう。だから――」
そこで、クレスはフィオナの方に目を向けた。隣のフィオナは、ここで自分に注目されるとは思わなかったのか「えっ?」とまばたきをする。
クレスはフィオナの肩を優しく抱き寄せると、フィオナのことを自慢するようにシノへと見せつけた。
「足りないところは、彼女に助けてもらおうと思います」
その言葉に、シノとフィオナが同時に目を見開く。ヴァーンは「へっ」と愉しげに笑った。
クレスがフィオナを抱く手に、少しだけ力が入る。
「俺は、彼女にたくさんのものを貰いました。彼女が傍にいてくれるから、自分を認めることが出来るようになりました。誰かのために生きることの意味と大切さ、そして何よりも命の重みを知りました」
「……クレスさん」
「だから俺は――彼女のために、生きていきます」
フィオナの瞳が光を湛える。クレスはフィオナに笑いかけてから、真っ直ぐにシノの顔を見つめ、胸元に手を当てて伝える。
「クレス・アディエル。師匠に教えていただいた技と心を決して忘れず、清廉なる目を持ち、これからも精進してまいります!」
今日、この日。聖都の上に広がる青空のように清々しく爽快な宣言だった。
フィオナがぽろぽろと涙をこぼしながら笑顔を見せ、ヴァーンがクレスの背中を思いきりバチーンと叩き、クレスはあまりの衝撃に前のめりに倒れかける。
そんな三人を見て――シノは力が抜けたように穏やかな笑みを浮かべてつぶやいた。
「……やっぱり、もう教えることはないんよ」
聖都を後にしたシノは、某キャラバン隊の厚意でしばらく馬車に乗せてもらえることとなった。
どこに行くのか、どんなところを冒険したのか。勇者クレスたちと話をしていたようだがどんな関係なのか。あれこれと聞かれることは多少憂鬱であったが、それでも以前ほど人と話をすることが苦ではなかった。さすがにまだ相手の目を見るようなことは出来ないが、だんまりを決め込むことはない。そもそも以前のシノであれば、この厚意を受け取らず一人で歩いていたことだろう。
馬車の荷台から移りゆく雲の流れを見つめながら、シノは腰の愛刀――『紗々雨』に触れる。
「……弟子があれほど成長したんじゃ。うちも、いつまでも逃げているわけにはいかんよね。それに――」
刀に触れていたシノの手は、そっと自身の頭頂部へと動く。
シノの口元が、ふっと緩んだ。
「昔、母様に撫でられたときのことを思い出してしまったけ。本当に不思議で、強く、愛らしいお嫁さんじゃった」
目的地は決まった。
海を越えるため、シノは港町へ向かって新たな旅を始めた。




