生まれ変わる二人
それから荷物をまとめた二人は、気球を膨らませて空へと舞い戻り、改めてフィオナの故郷に別れを告げた。フィオナが使った《結魂式魔術》――《メル・ブーケ》の影響によって活性化した大地は花々と緑に覆われ、来た時よりもずっと華やかで豊かな土場へ変化している。心なしか、『ファティマ』の大樹も嬉しそうに枝葉を揺らし、どこからか飛んできた鳥たちが羽休めをしていた。それは、魔物たちに襲われる前のかつての村の姿を取り戻したかのようであった。
平和な情景を上空から眺め、フィオナがつぶやく。
「きっと……わたし一人のままでは、この村に戻ってくることは出来なかったと思います。こんな光景を見ることも、出来なかった。全部、クレスさんと会えたから今があります。だから、クレスさん。改めて、ありがとうございました」
そう言うフィオナの手を、クレスは静かに握った。
「妻の故郷をこの目で見られて良かった。また、一緒に来よう」
「……クレスさん」
「次はフィオナに俺の故郷へ来てもらいたいが、あいにく、家族はもういないからね。イリアさんのように、俺の母も魔術で現れてくれないものだろうか。きっと、すぐにフィオナを気に入っただろう」
それがクレスなりの励ましと冗談であることがすぐにわかったフィオナは、潤みかけていた瞳を軽く拭い、小さな笑みをこぼして返す。
「わたしも、クレスさんのお母様にお会いしてみたかったですっ! きっと美人でお優しい人で……もしもわたしのお母さんみたいにお会いすることが出来たら、わ、わたしはお嫁さんとして認めてもらえるでしょうか……!」
「もちろん。母も料理が得意だったから、フィオナに教えることもあったかもしれない。二人が共にキッチンに立つ姿を想像すると、なんだか嬉しくなるな」
「わぁ……是非ご一緒にお料理してみたかったです! クレスさんの好きなものを教えてもらって、勉強して、クレスさんの健康はわたしが守りますって、お伝えしたかったです!」
「ははは。きっと喜ぶよ」
「うう、ちょっとうずうずしてきました。クレスさん、お母様のお料理は覚えていらっしゃいませんか?」
「ああ、いくつかの料理や味は覚えているが……俺は料理に詳しくないからな。レシピはわからないし……」
「それでも教えてほしいです! 頑張って作りますっ!」
「フィ、フィオナ? 急にどうしたんだ?」
ずずいっと接近してくるフィオナにちょっぴり驚くクレス。
フィオナは「むふー!」と鼻息を荒くして、子どものように目を輝かせていた。
「わたしがクレスさんのお母様のお料理を覚えることが出来たら、それはクレスさんのお母様と交流が出来たってことになると思うんです! たとえもうお会いすることは出来なくても、お話をすることが出来なくても、想いを受け継ぐことは出来ます。それに、思い出の味がまた食べられたなら、クレスさんにも喜んでもらえますよねっ!」
「フィオナ……」
笑顔で語るフィオナを見て。
クレスは何度か目をパチパチをさせた後、穏やかな顔でうなずいた。
「わかったよ。じゃあフィオナ、帰りはどこに寄ろうか。一度服を洗濯しなくてはならないだろうし、食料もないからね。少し大きな街に寄っていこうか?」
「あっ、それでしたら南の方に行きたいです! ヒマワリという大きくて黄色い綺麗なお花が特産の街がありまして、是非一度見てみたいと! スパイスが有名でもあるので、お料理のために仕入れてみたかったんです!」
「ああ、ソレイユの街だね。よし、そうしよう」
「はいっ! それからそれからっ、スイーツ作りのためにもお勉強がしたくてですねっ、水の都にケーキの美味しい有名なお店の街もあるんです!」
「よしそちらも行こう。時間はたっぷりあるからね」
手を繋いで、二人はこの地を離れていく。
フィオナの首に掛けられたペンダントが、太陽の光を受けて輝いていた。
――それから二人は、また寄り道を続けながら夫婦水入らずの新婚旅行を楽しんだ。
太陽の街ソレイユではダンサーたちの催し物や花々の展覧会を見学したり、オリジナルスパイス作りを体験したり、水着でのコンテストにフィオナが急遽参加することになって優勝をかっさらったりした。
さらに巨大な湖と同化した水の都アストレアでは、専用のボートで美しい街並みを楽しみ、スイーツ店を巡ったり、演劇を鑑賞したり、有名な民芸品などを皆へのお土産として購入した。
今まで観光目的で旅をしたことのなかったクレスはもちろん、初めての経験が多いフィオナにとってこの旅は特別に心を震わせ、記憶に残るものとなった。
また、そんな旅の中でフィオナは自身の魔力のコントロールにも取り組み、ある程度意識的に《ブライド》状態への移行、維持を可能にすることが出来た。これには大量の魔力を必要としたが、どうやらフィオナが《ブライド》状態となっているとき、魂を繋げているクレスも同様に身体能力を高めることが出来ているらしく、この状態ならば子どもを作ることが可能なのではないかという結論に至った。というのも、おそらく魔王メルティルが言っていた『フィオナに嫁として欠けている素養』というのはこのことであると思われたからだ。もちろん、本当に可能なのかどうか様子を見ている最中であるが、たとえ素養が身についても、すぐに子どもが出来るわけではない。それは時の運であると二人は考えていた。
こうして二人は半月ほどの旅を終え、生まれ変わったような気持ちで聖都セントマリアへと帰ってきたのだった――。




