招かれぬ客
イリアと別れた二人は、簡単にだが寝室周りを綺麗に整えた。それからイリアの遺した『嫁入り道具セット』を荷物の中にしまい、ベッドの辺りに頭を下げる。
最後にフィオナはイリアのペンダントを自分の首に掛けた。その表情は晴れやかだ。
「クレスさん。一緒にこの村へ来てくれて、ありがとうございました」
「うん。俺も一緒に来られてよかったよ。驚くことばかりだったが、イリアさんのおかげで、フィオナのことがより深くわかったからね」
「ふふっ。クレスさんのことを紹介出来て良かったです。アルトメリアの血のこととか、ソフィアちゃんのこととか……考えることは多いですけれど、わたし、自分のこともまだまだ知らなかったんだなって思いました。それを知ることが出来ただけでも、来て良かったと思います」
「そうだね」
うなずき合き、手を繋ぐ二人。
ここに来るきっかけは、フィオナの子どもが出来にくい体質について何か知ることが出来ないかということだったが、思いも寄らぬ真実を知ることが出来た。何よりフィオナにとって、この村に戻ってくることは未来へ向かうために必要なことだった。それを実感したフィオナは、不思議と自分の身体が――内面が、どこか変化したように感じられた。
フィオナは、クレスと繋いでいるのとは逆の手で自分の胸に触れながらつぶやく。
「なんだかわたし……高揚しています」
「ん? 高揚?」
「はい。ドキドキするというか……ワクワクするというか……。こう、走り出したい気持ちです! 胸の奥が、熱くなっているような気がします」
「胸の奥が……。フィオナ、それはひょっとして」
フィオナはうなずき、クレスの方を見上げて言った。
「ここに来たことで――本当の自分を知ったことで、わたしの中で何かが大きく変わったような気がするんです。お母さんが最後に言っていたように、もしかしたら《結魂式》の魔術に変化があったのかもしれません」
「やはりそうか。俺も、なんとなくだがフィオナが言ったような熱を感じているんだ。君と繋がっているこの魂が、同じ変化を感じているのかもしれない」
「クレスさんも……同じなんですね。――ふふっ」
愉しそうに笑うフィオナ。
「フィオナ? どうした?」
「いえ。この胸のドキドキは、もっと単純なことかもしれないなって」
「え?」
「クレスさんと一緒に、こうして実家に戻ってきて、母に会ってもらったんです。よく考えたら、結婚前の挨拶みたいです」
「……ああ、言われてみれば!」
目を大きく開いて納得の表情をするクレス。フィオナはおかしそうに笑った。
「もう結婚した後でしたけれど、大好きな人と一緒に実家に戻ってきたんです。普通にドキドキして、緊張して、全部が終わってホッとして。嬉しくなって。そういう気持ちになるのも当然かなぁって思いました」
「確かにそうだね。俺もイリアさんと二人きりの時間は魔王城に突入するくらい緊張していた……。君との関係を認めてもらえてすごく嬉しかったよ。そうか。うん。単純な話だ」
「ですねっ。でも、魔王城くらいっていうのは大げさですよ~」
「いや、本当にそれくらい緊張していたんだ。どれほど君を愛しているか、君を愛し抜く覚悟があるかを示すために必死だった。ここで退くわけにはいかないと……あんなに真剣になるクイズは初めてだった……」
「クレスさん……ふふ、あははっ。嬉しいです!」
抱きつくフィオナと、それを受け止めるクレス。しかしクレスはちょっぴり困った顔で視線を逸らす。フィオナは自分がまだ半裸状態であることを思いだし、慌ててクレスから身を離すとクレスに借りたシャツで胸元を隠しながら顔を赤らめた。そして、どちらからともかくおかしそうに笑いあう。
やがてまた手を繋いで、玄関の方へと向かう。
「クレスさん。こ、この後は、どうしましょうか?」
「ん? この後? そうだな、まずは気球の荷物から君の着替えを……」
「あ、そ、そういうことではなくてですねっ。あの、もう、これで目的は果たしてしまいましたから……。後はその、帰るだけになってしまいましたし……」
「ああ、そういうことか。うーん、そうだな。では皆に心配を掛けないよう、聖都に――」
繋ぐフィオナの手がキュッと少しだけ強くなった。
クレスがそちらに視線を向けると、フィオナは何も口にはしないが、ちょっぴり艶のある表情でこちらを見上げていた。どこか切ないその瞳に、さすがのクレスも気付くことが出来た。
だから手を握り返して言う。
「……よし。気球のおかげで帰るだけなら簡単だ。せっかくだから、二人きりで新婚旅行の続きをしていこうか。もっと、君と二人の思い出を作りたいからね」
「クレスさん……はいっ!」
とても嬉しそうに微笑むフィオナ。その反応を見て、クレスは自分の提案が正しかったのだと思い、内心でガッツポーズをしていた。ヴァーンやエステル、セリーヌたちに女心を教わり続けてきた成果であると、彼らへの感謝も忘れない。
そんなクレスとは逆に、フィオナはちょっぴり申し訳ない気持ちでいた。
「うう、ついクレスさんからの言葉を欲しがってしまいました……。わたし、わがままなお嫁さんだって思われてないかな……。欲しがりな卑しい子だって思われてないかな……? でもでも、やっぱり嬉しい…………二人きりの旅行……えへへ……♥」
どうしてもニヤニヤが止められないフィオナはうつむいて顔と本音を隠す。そんな彼女の様子にフィオナが軽く首をかしげた。
そんなときだった。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴ――!
大地を震わせるほどの轟音。足先から伝わってくる衝撃に、クレスがフィオナの身体を支えた。
「むっ!? なんだ!?」
「じ、地震? クレスさんっ、と、とにかく外へ! このままじゃ家が崩れます!」
「ああっ!」
大きな振動によって、既にボロボロだった家がフィオナの言うとおりさらなる倒壊を進めていく。二人は慌ててフィオナの実家を飛び出した。その次の瞬間には家が完全に崩れおち、砂煙を巻き上げる。
「フィオナ! 大丈夫かいっ!?」
「は、はい。ありがとうございますっ」
全身でフィオナを庇っていたクレス。二人がそちらを見れば、もうあの家は形を残してはいなかった。
それから二人の視線はまったく別の方へ向かう。
村の外。辺境の地のさらに奥。深い森に覆われている大地。
そちらから、振動が伝わってくる。
二人の視界には見えていた。
山のように巨大な何かが、猛スピードでこちらへと向かってきている。
その姿はかつて聖都に現れたキングオーガよりもさらに巨大で、獰猛だった。
「ク、ク、クレスさん……! あれって……!?」
「……とんでもない客が来たな」
クレスが言う。
「大魔獣――ベヘモット!」
聞いたことのある“伝説上の名前”に、フィオナは目と耳を疑いかけた。