レナは妹がほしい
クレスとフィオナの家からレナが離れて早三日。
クレスは街で慣れない講演の仕事をこなしたあと、かつて恋愛について師事した騎士を目指す少年ケインに稽古をつけ、街がオレンジ色に包まれる時間に森の家へと帰宅した。
「ただいま」
玄関扉を開け、いつもの挨拶を済ませるクレス。途端に扉にかけられた魔術が発動し、自動的に鍵がかかった。以前、二人がある場面を家具屋に見られたことがあり、以来、フィオナが魔術で鍵をかけるようになったのである。
キッチンには、髪を結んだエプロン姿のフィオナ。家の中は今日も非常に片付いている。
クレスに気付いたフィオナは指先をササッと振って魔力を調整し、鍋にかけていた火を止めてからパタパタとクレスの元へ駆け寄ってきてくれる。
「おかえりなさい、クレスさん!」
嬉しそうにクレスを見上げる瞳が輝く。
クレスの荷物を受け取った甲斐甲斐しい若妻フィオナは、すぐ異変に気付いた。
「ちょうど夕食が出来たところで――ふふっ。クレスさん、なんだか寂しそうですね」
「え?」
言われた方のクレスが驚いて目を見張る。
フィオナはくすっと小さく笑う。
「帰ってきて、すぐに家の中を見渡していました。レナちゃんを捜していたんじゃないですか」
「あ……ああ、そうかもしれない」
「以前は、レナちゃんも一緒に出迎えをしてくれましたからね。ひょっとしたら、レナちゃんがいなくて寂しいのではないかと思ったんです。そんな顔に見えました」
「なるほど……寂しい、か。確かにそうかもしれない……」
顎に手を当てて思案するクレス。
自分でも気付いていなかった行為を指摘され、クレスは納得と同時に感心した。自分がそういう感情でいたことと、それを見抜いた妻の慧眼にだ。
あれからレナは一度もこの家へ遊びにきてはいないが、アカデミーでは以前よりも精力的に活動しているらしく、『先生』を目指してモニカにあれこれ教えてもらっているらしい。そのことはクレスとフィオナの耳にも届いている。というのもつい昨日、モニカがアカデミーを代表してわざわざお礼に現れ、レナのことを話してくれたのだ。
「クレスさんが、すっかりレナちゃんのパパになっていた証拠ですね。きっと、また遊びに来てくれますよ」
「うん……そうだな。けど、俺よりも君の方が寂しいんじゃないだろうか。フィオナはレナをとても可愛がっていたし、俺には本当の母娘のように見えていたよ」
「ありがとうございます。嬉しいです! もちろん、わたしも寂しい気持ちはありますけれど、今は……レナちゃんを見守りたいです」
「見守る……か」
「はい! アカデミーでもとても頑張っているとモニカ先生も仰っていましたし、アカデミーの先輩として、そしてママ代理として、子どもの成長を応援しなくちゃって思っています!」
両手をぐっと握って愛らしく微笑むフィオナ。
そんな妻の姿に、クレスはもはや感動すら覚えた。女々しく感傷に浸っていた自分とは違い、フィオナは常に未来を見ている。別れのときに見せた涙はもうない。立ち止まることない彼女の凜々しさは、クレスの心を鼓舞するのに十分な力を持っていた。
「フィオナ」
「はい、何でしょう? あ、もうごはんにしますか? それとも先にお風呂にしましょうか。お背中流しますね!」
「ありがとう。でも先に、君が欲しい」
そう言って、クレスはフィオナのことを優しく抱きしめた。
「ふぇっ。………………え? く、く、く、くれすしゃん……!?」
こんな帰宅時のやりとりは初めてだったためか、フィオナは困惑していた。身動きが取れないまま、何度も目をパチパチとさせる。頬が赤くなっていった。
「わ、わ、わ、わたしって……そのっ、そ、それって……!」
クレスの言葉がどういう意味を持つのか。フィオナがそれを確かめようとすると、クレスは目を閉じたままささやくように言う。
「俺は……たぶん、『家族』というものに、憧れを抱いていたと思う」
「……え?」
「幼い頃、俺は母と二人だけの生活を送っていた。母がいなくなってからは、常に一人だった。旅の中ではいろんな仲間とも出会ったが……それでも、俺はいつも“独り”だったと思う。だからだろうか。父と母、そして子のいる温かな家庭を、どこかで夢想していたのかもしれない。フィオナと……そしてレナと生活するようになって、初めてそれがわかった」
「クレスさん……」
「平和な日常というのは、素晴らしいものだ。かけがえのないものだ。君とこうしていられる時間が、俺を前に救ってくれる。フィオナの温もりや、優しい声、甘い香りがいつも俺に幸せをくれる。ありがとう。俺の家族になってくれて」
クレスは、全身で何かを確かめるようにフィオナを抱き寄せる。
するとフィオナもまた、穏やかに微笑んでからまぶたを閉じ、クレスの背に手を回す。
「おかえりなさい、クレスさん。今日も一日、頑張りましたね」
「うん。ただいま、フィオナ」
「夕食は、クレスさんの好きなチキンシチューですよ。お昼にパンも買ってきてありますので、一緒に食べましょうね」
「うん」
「一緒にお風呂に入ったら……後は……ふふ。いっぱい、甘やかしてあげますからね。大丈夫。わたしが、クレスさんの『家族』を守ります。だから、たくさん幸せになって、もっともっと、素敵な家族になりましょう」
「うん」
二人はしばらくそのまま抱き合い、お互いの心音を重ね合っていた。
やがてそれぞれが身を離したところで、フィオナがあっと気付く。
「クレスさん。今日は講演のお仕事のみ……でしたよね? それにしては、少し服が汚れてしまっていますね」
「ん、ああ。講演の後に、ケインと少し剣を振ったんだ。以前から約束していてね、彼も、騎士学校で学びを深めているらしい」
「そうだったんですね。でしたら、やっぱり先にお風呂にしましょう。もう着替えは用意してありますから、ここで脱いでいきましょうか」
「わかった」
それからフィオナが積極的にクレスの脱衣を手伝い、まずはクレスが腰にタオルを巻いただけの状態となる。続いてフィオナもエプロンを外し、衣服に手を掛け、肩を晒したところで――鍵を閉めていたはずの玄関扉がガチャリと開いた。
「「え?」」
ほぼ全裸のクレスと半裸のフィオナが同時にそちらを見る。
すると、扉から半分だけ顔を覗かせていた少女が大きく目を開き――それからニヤリといやらしく笑った。
「――レナ、妹のほうがいいな。がんばってね」
それだけ言って、少女――レナは扉を閉めてしまう。
クレスとフィオナは顔を見合わせ、それから慌てて扉の方に駆け寄った。
――その後、“三人家族”で久しぶりの食事を済ませたが、レナは二人のことを気遣い、それだけですぐ街へ戻っていってしまう。レナにからかわれるように妹をせがまれたこともあってか、その晩、二人(主にフィオナ)は久しぶりに奮起することとなるのだった。




