二人のスイートタイム
天井には魔力灯のシャンデリアが光るリビング。革張りのソファなど、備え付けの家具はすべてが最高級品で、アダルティな雰囲気の壮麗な一室。ベッドルームはなんと三つもあり、付き人も共に宿泊出来るよう造られている。そんなスイートルームのあまりに豪奢な装いに、クレスとフィオナは多少の申し訳なさを覚えながらも、ソフィアたちに感謝していた。
そして部屋に備え付けられている、この部屋の宿泊客のみが使える風呂。内風呂はもちろん露天風呂まであり、当然地下から湧き出す温泉を利用している。クレスとフィオナは夜景を楽しむため、露天の方に二人で浸かっていた。
長い銀髪をくるりと丸めてアップにし、うなじを露わにしたフィオナが立ち上がって言う。
「わぁ……クレスさんクレスさんっ! ここは二階なので、街の景色もよく見えますよ! 魔力灯の光が綺麗です!」
「そうだね。けれどフィオナも綺麗だよ」
「えっ! ……そ、それは、どなたかから教えられたセリフ、ですか?」
「ん? ああ、そういえばヴァーンに女性が何かを綺麗だと評したらそう言えと言われていたな。でもそれは関係ない。素直に思ったことを言ったんだ。何かおかしかったかな?」
「ふぁっ…………そ、そうなんですね。えへへ……そっかぁ……そう思ってもらえてるんだ……」
フィオナはデレデレした笑みを隠しきれずに、ご機嫌な様子で肩まで湯に浸かり、クレスのそばに戻る。
一階の浴場に比べれば小さい露天ではあるが、それでも二人で入るには十分な広さだ。しかし二人はあえて密着しており、クレスがフィオナを前に抱きかかえ、クレスの胸元にフィオナの後頭部がくっつくような恋人らしい形での入浴を楽しんでいた。
「むう。こ、このような入浴には慣れていないが、フィオナは大丈夫か? 暑苦しかったりしたら言ってくれ」
「ふふ、そんなことないですよ。わたしは、クレスさんと一緒に入浴しているって感じがして嬉しいです。クレスさんこそ、わたしの髪とか邪魔じゃないですか?」
「問題ない。それにしても、フィオナの髪も本当に綺麗だね。銀髪はなかなか見かけないからよりそう思える」
「そ、そうですか? えへへ。ちゃんとお手入れしているから嬉しいです。でもわたし、クレスさんの金髪の方が好きかもです。キラキラしてて、月の光みたいで綺麗です!」
「そうかな。結婚してフィオナが手入れをしてくれるようになったからだろうか。しかし短いのに慣れていたから違和感があるな。また切ろうか」
「もったいない気もしますけれど……ふふ、そうですね。短い方がクレスさんの顔がよく見えて嬉しいかもしれません」
「よし。ならそうしよう」
子供の状態から薬の効果で元に戻った際、一気に伸びてしまった自分の髪を見上げながらつまむクレス。フィオナが顔だけを後ろに向けてくすりと笑っていた。
それからしばらくの間とりとめもない話を挟み、やがてフィオナが言う。
「クレスさん」
「うん?」
「わたしは、ちょっと欲張りになってしまいました」
「欲張り?」
クレスの疑問に、フィオナは前を向いたまま続きを話す。
「初めは、クレスさんのそばにいられたらそれでいいと、好きになってもらえなくても、結婚なんて出来なくても、ただクレスさんを見守っていられたらいいと思っていました。わたしのかけた禁術は、ある程度近くにさえいれば効果を持続してくれますから」
「そう……なのか?」
「はい。でも、クレスさんがわたしを受け入れてくれて。術のことを知っても変わらずにいてくれて。結婚式を挙げることが出来て。みんなに、祝福してもらえて。わたしは、毎日がとってもとっても楽しいです。幸せになればなるほど、もっと幸せになりたいって、思うようになってしまいました。これは、きっと欲張りですよね」
そっと自分の胸に手を当てるフィオナ。
二人の鼓動は、重なっている。
「……いや、俺も同じ気持ちだよ」
「えへへ。じゃあ、二人でもっと幸せになりましょうっ。わたしは、クレスさんにもっともっと幸せな気持ちになってほしいです!」
「うん。なら、今度は何をしていこうか」
「クレスさんと、もっといろんなことがしたいです!」
「いろんなことか」
「はいっ。こうやって一緒にお風呂に入って、身体を洗ってあげて、髪のお手入れをして、お泊まりをして、たくさんスキンシップをして……恋人らしいこと、夫婦らしいことをもっと一緒にしてみたいです! デ、デートが基本だと思いますっ!」
「デートか。確かに、俺たちは結婚までが短かったからな……。昔、ヴァーンにも女性とはいろんなイベントを積み重ねろと言われていた。ヴァーンは娯楽都市に、エステルは海や湖に行くのが好きだと言っていたな」
「わぁ、それも楽しそうですね! クレスさんは、わたしと何かしたいことはありますか?」
「ん? そうだな…………」
フィオナの質問に、眉間に皺を寄せるほど真剣に考えるクレス。
「……すまない。具体的な案が浮かばなかった」
普通の女性であれば、この返答に不満でも抱きそうなものであったが、フィオナは違った。クレスがどういう人物かよくよくわかっているからである。
「ふふ。考えすぎないで大丈夫ですよ。なんでもいいんです。こうやって一緒にお風呂でお話をするとか、簡単なことでもいいですから。クレスさんが幸せになれることなら、わたしはなんでもしたいです!」
「簡単なこと、か……」
そう言われてみて、クレスは思いついたことをそのまま口にしてみた。
「全部だな」
「え?」
「俺は本当に知らないことが多い。だから、なんでもフィオナと一緒にしてみたい。どんなことでも、君さえそばにいてくれたら俺は幸せになれるだろう。そう思うよ」
「ク、クレスさん……」
いくらクレスがそういう人間であるとはいえ、そんなセリフを照れもなく言えてしまう彼にフィオナはぽっと赤くなる。
「……もう、クレスさんはずるいですっ!」
「ん? わっ」
そこでフィオナはざばぁと湯の音を立てて振り返り、向かい合う形でクレスに身を寄せた。
二人の鼓動は、寸分も違わずに同調する。
お互いに唇が触れ合いそうな距離で、見つめ合う。
潤んだ瞳のフィオナがささやく。
「そういう甘い言葉は、わたしが言ってあげたいんです」
「フィオナ……」
「わたし、クレスさんが喜ぶこと……全部、してあげたいです。二人のことに時間を使っていきたい。わたしの鼓動を、あなただけに、捧げます」
自然に、唇が近づいていく。
魔術で繋がった、二人の命。
限りある生のすべてを、重ね合わせる。
クレスもフィオナも、お互いの感情を分かち合っている。
触れ合うだけで、愛と呼ばれる概念のほんの一部を理解したように思えた――。
こうして部屋風呂を堪能した二人は、これまた高級なふかふかの白いバスローブに着替えて、あるベッドルームへ移動。
三つも用意されている寝室の中でここを選んだのは、一番大きなキングサイズのベッドがどどんと鎮座していたからだ。
「ずいぶんと大きなベッドだな。まさに王様用というか、二人でも広すぎるくらいだ…………ん? フィオナ?」
そこでフィオナの方を見て疑問を抱くクレス。
フィオナは水の入ったコップを手に、なんだか真剣な目を見ていた。
「どうしたんだ? フィオナ」
「い、いえ! ちょっとだけ、か、覚悟をしておりましたです!」
妙な敬語を使って固くなっているフィオナに、目を点にするクレス。
「『逃げるな、前を向け、魂を燃やせ』。できる、できる。わたしならできる。そう。女は、度胸!」
いつものまじないを唱えたフィオナは、逆の手に持っていたいくつかの小さな粒をまとめて口に放り込み、それをコップの水でごくんと流し込んだ。
テーブルにコップを置く。その隣には、先ほど飲んだ丸薬らしきものが中に入ったガラスの小瓶も置かれていた。
「フィオナ? い、一体何を……」
心配そうに声をかけるクレス。
フィオナはガラスの小瓶を持って言った。
「こ、これは、セシリアさんからご厚意でいただいたお薬なんです」
「セシリアから? まさか、何かの病気なのかっ!?」
「あ、ご、ごめんなさい! そうではなくてですねっ、あのっ、こ、このお薬はですね、まったく怪しいものではなくてっ! 栄養剤というか、その…………あぅ、うう…………」
クレスを見つめるフィオナの頬が、赤らむ。なぜか呼吸が激しくなっていた。
フィオナは一歩ずつ、ゆっくりとクレスの元へ近づく。
身を寄せて、クレスのローブの裾をギュッと掴んだ。
そして、上目遣いにささやく。
「――クレスさんを、たくさん甘やかせるお薬、なんです」
「……え?」
彼女の熱のこもった妖艶な瞳に、クレスの胸が大きく跳ねた。
「今晩は、ずっと、ずぅっと……二人きり、ですね……?」
フィオナの瞳の中には、もうクレスしか映っていない。
彼女の状態は、明らかに普段とは異なっている。
セシリアが一体どんな薬を渡したのかはわからない。しかし彼女が妙な物を渡すはずはない。そしてフィオナが真剣にあの薬を使おうとしていたことで、クレスにはそれがどんなものなのかなんとなくわかった。
――果たして、クレスの予想は当たっていた。
それは、クレスたちがセシリアの店から帰るときのことである。
『フィオナさん。最後にお一つ』
『は、はい。なんでしょう?』
あのとき、セシリアはフィオナにこっそりと耳打ちしていた。
そこで、二人はこんな会話をしていた。
『クレスさんの異変がまた起こらないよう抑制するためには、フィオナさんの禁忌魔術を安定させることが一番です。それはつまり、お二人の融合した魂を良いバランスに保つということですね』
『はい、なるほどですっ』
『それには、二人の関係をもっともっと深く、心を通じ合わせなくてはいけません。お互いがお互いを想い合うことが大切なのです』
『はい、わかりましたっ!』
『では、クレスさんとたくさん肉体接触をしてください』
『はい! ……えっ?』
『お互いの身体に触れ合い、お互いの愛を確かめ合ってください。出来る限り毎日、長ければ長いほど好ましいです。その生活の中で、必ず見えてくるものがあります。そして、それはお二人の魂をさらに強固に結びつけてくれるでしょう』
『ま、まま、ま、まいにちっ……!?』
『うふふ。ですが、そうなるとお二人の体力が心配ですよね? そこで、お薬の出番です。『愛の蜜』とは、本来あまりに強力すぎる惚れ薬――“媚薬”なのですが、適度に調合することで特製の体力回復剤、滋養強壮剤になるんですよ。お若いお二人にこそ、大変によく効きます』
『セ、セシリアさん? そ、そそそれじゃあ、こ、こ、このお薬は……っ!』
『うふふ。お嫁さんのがんばりどころですよ、フィオナさん』
『…………はい。が、ががががんばりまひゅっ!!』
――と、いうわけである。
魔族ローザが気にかけていたのは、『愛の蜜』そのものがあまりに強力すぎる媚薬であるためだ。人間たちに乱獲されたことからも効果のほどがうかがえるが、当然ながらセシリアはその効能を極限まで薄めている。フィオナに手渡されたものも、ほとんどは健康的な栄養補助成分であり、体力を回復させて疲れを癒やすことが主な目的だ。そこに『愛の蜜』がほんのわずかに加わることで、精力剤の効果も生まれるのである。
まさかそんなやりとりがあったことは知らないクレスであるが、既に覚悟は決まっていた。
クレスは思い出す。
子供の姿になっていたときに着ていた服。今はもう必要のないその服の裏地に、こんな言葉が書かれていた。
――“フィオナお姉さんを守れ”
あれは、自分の誓い。
自分との約束。
「……そうだな。よし、なら俺もそれを飲ませてもらおうか」
こうして、クレスもまた腹をくくった。




