「壺を買いに」<エンドリア物語外伝17>
モーリス・ケンドールは、テーブルを指で叩いた。
コツコツという音が響く。テーブルには何も乗ってはいない。何もないということが引退したことの象徴のように思える。
引退して3年。
モーリスは何をしていいのかわからないでいる。
「お父さん、また、ここにいらしたのですか?」
ケンドール商会を社長、ハロルド・ケンドールは巨大なマホガニーのテーブルのところにいる父親に声をかけた。
引退してからも、当時の執務室に頻繁にくる。
モーリスが社長であったころ、テーブルの上は書類であふれかえり、部屋は大勢の秘書と出入りする人で溢れていた。
いまは、空き部屋になっている。
モーリスが、またテーブルをコツコツと叩いた。
ここは自分の場所だと主張している音にハロルドには聞こえる。
事業は好調でこの部屋も使用したいがモーリスが頻繁に部屋にくるので使うことができない。
せめて、数日留守にしてくれれば、その間に模様替えをできるのだが、趣味もなく、旅行も嫌いなモーリスは毎日数回ここにくる。
数日いなくなれば。
その時、ふと昨日聞いた友人の話を思い出した。
『あの光景は一生忘れない』
見た光景については話してくれなかったが、衝撃だったと何度も繰り返した。
ハロルドは思いついた。
父に驚く体験をしてもらおう。
モーリスは仕事人間だった。堅実な経営で評価も高く、毎日毎日この部屋で書類に埋もれ、多くの人と商談して、日々を過ごしてきた。どのようなトラブルにも冷静に対処して、動じることはなかった。
その父が驚くかもしれない。
問題はどうやって興味のない旅に行かせるかだが、それについては良い口実があった。
愉快な気分になったハロルドは、モーリスに言った。
「お父さん、お願いがあるのです」
「私はもう引退した人間だ」
「会社のことではありません。実は先日子供が壺をを割ってしまいました」
モーリスが首を傾げた。
「居間に飾ってあった小さな壺です。新しい壺を買おうと思うのですが、お父さんに買ってきていただきたいのです」
「私に壺の善し悪しはわからない」
「妻と相談してどうせなら変わった壺を買おうということなりました」
そこで演出の為に、ハロルドは言葉を切った。
そして、おもむろに言った。
「私たちが希望しているのは、魔法の壺なのです」
また、モーリスが首を傾げた。
「なぜ、魔法の壺が必要なのかね」
堅物と呼ばれるモーリスらしい質問だった。
「子供の教育のためです。ここシェフォビス共和国は他国に比べ、魔法をあまり使用していません。実用品以外の魔法アイテムに触れさせるよい機会だと思うのです」
「買ったことはないが、魔法の壺というのは高価なものではないのかな?」
「安いものから、高いものまで、色々あるようです。金貨100枚もあれば、何かは買えると思います」
「金貨100枚。それほどするのか」
「とりあえず金貨30枚ほどお持ちになって、それを手付けにされてはいかがでしょう。気に入るものがなければ、買わなくてもいいのですから」
「買わなくてもよいのならば、買う必要はないのではないか?」
「見ることもなく買わないと決めるのは、いかがなものでしょうか?」
少しモーリスは考えた。
「魔法道具店を見てくるだけならば、自分で行けばよいのではないか?」
「私が見てきてほしい魔法道具店は、エンドリア王国にあるのです」
「エンドリアとは、ずいぶん遠いな。シェフォビス共和国の魔法道具店の壺ではいけないのか?」
「エンドリア王国の桃海亭という古魔法道具店がすばらしい品をおいているそうです。そこで見てきてほしいのです」
モーリスは考え込んだ。
エンドリアは遠い。このシェフォビス共和国の魔法道具店の品でいいような気がする。それに桃海亭という名前をどこかで聞いた覚えがあった。それが何だったのか、いつ聞いたのかは思い出せない。
「お母さんと一緒にいかれてはどうでしょうか?エンドリアは暖かいそうです。きっと喜びます」
シェフォビス共和国の冬は寒い。
この季節、南の国のエンドリアに連れて行けば喜ぶのは間違いない。
妻の喜ぶ顔が頭に浮かんだモーリスは、さほど考えることなくうなずいた。
小さい。
桃海亭を見たモーリスの最初の印象だった。
宿泊した宿の主人に桃海亭の場所を聞くと「観光にいらしたのですね」と笑顔で言われた。訂正の必要を感じなかったモーリスは黙ってうなずいた。丁寧に書かれた地図をたよりに歩いていく、桃海亭はすぐに見つかった。古い木造の建物。古い看板に桃海亭。建物はかなり古いのに、壁や屋根の一部が新しい。手入れをしたというより、補修をしたという感じだ。
モーリスは振り向いた。
いつものように妻のエイダは数歩後ろを歩いている。早く歩きすぎたのか、息が切れているようだ。
エンドリア国に買い物に行くことを伝えると、エイダは喜んでくれた。奥ゆかしいエイダはいつものようにわずかに微笑んだだけであったが、モーリスにはそれで十分伝わった。
「入るぞ」
エイダに声をかけてから、扉のノブを握った。
「あんた、入る気か!」
後ろから大声が聞こえた。駆けてくる足音がして、ノブを握ったモーリスの手を上から押さえた。
息を切らせているのは、30歳くらいの男性。西のキデッゼス連邦のあたりで着る服をまとっていた。
「そのつもりだ」
「ここが桃海亭だと知っているのか?」
「もちろんだ」
どよめきが聞こえた。
いつの間にか周りに人だかりができていて、モーリス夫妻を見ていた。
「あんた、普通の人だろ?」
普通の意味がわからなかったが、話の流れから魔術師ではないということとらえて、モーリスはうなずいた。
「ここは魔術師でも命がけなんだ」
モーリスは首を傾げた。
「私は古魔道具店と聞いている」
「そうなんだが…桃海亭を知らないのか?」
「私は桃海亭で買ってきて欲しいと頼まれたから、この店に来ただけだ」
また、どよめきがおこった。
「誰に頼まれたんだ」
身を乗り出して男がモーリスに聞いてきた。
「息子だが」
「有名な魔術師か?」
モーリスは首を傾げた。
知らない男の好奇心を満たすため、質問に返答する必要を感じなかった。
「失礼する」
男の手を乗せたまま、扉を押した。
男も、寄ってきていた群衆もあっという間に散った。
扉が開くと、扉に付けられたベルが鳴った。
「いらしゃいませ」
奥に作られたカウンターから若い男がモーリスに挨拶してきた。
短く切った髪、清潔そうなシャツとズボン。
店員の感じは悪くない。
影が非常に薄いのと、使い込まれて色が抜け落ちたシャツとズボンが気になった程度だ。
ドア側の飾り窓のところに椅子に座った男がひとり。凝ったティーカップでお茶を飲んでいるところをみると、常連客だとモーリスは考えた。
「どうぞ、ゆっくりごらんください。わからないことがありましたら、声をかけてくだされば説明いたします」
モーリスはエイダを目で呼んだ。
並ぶようにして、店内を見て回る。
外から見て小さいと思った店だが、中はさらに小さい。1階に店舗だけでなく住居の部分があるのだろう。
壺や花瓶など見慣れたものだけでなく、石版や彫刻の欠片、奇妙な獣の置物などもある。形からは何に使うのかすら想像がつかないものまで並んでいる。
店内を一周した。壺は3つあった。銀貨3枚と金貨1枚、金貨30枚と値段は書かれていたが、どのような魔法が使えるのか書かれていない。
説明をもとめようか相談しようとモーリスは隣をみた。エイダがいなかった。見回すと、通りに面した窓の側に干されているタペストリーを見ている。かなり傷んでいて、はげている。非売品、そう書かれていた。
「エイダ」
モーリスの声に我に返ったようだった。急ぎ足で近づいてくる。
「壺の説明を受けようと思う」
エイダがうなずいた。
2人でカウンターのところに行った。
「何かございますか?」
近くで見ると18、9歳に見える。商品知識があるのかモーリスは不安を覚えた。
「商品が使える魔法について、ご説明いたしましょうか?」
話す前に店員に近づいた意図を読みとってくれた。
モーリスは店員の評価をあげた。
店員はカンターの横を回って出てきた。
「どれについてお知りになりたいのですか?」
「壺を探している」
店員は銀貨3枚の壺を指した。
手のひらにのるほどの小さな素焼きの壺だ。
「あれは使い捨ての薬草の育成壺です。種や球根を植えると1時間ほどで収穫できます。使用者が収穫すると壺は割れて終わりとなります」
1回しか使用できないとなると、教育には向かないかもしれないとモーリスは思った。
次に金貨1枚の壺を指した。
やはり手のひらにのるほどの小さな壺だが、入り口の部分が銀貨3枚の壺に比べてやや広い。素焼きだが側面に模様が刻まれている。
「あれはウリアの召喚壺です。魔術師が精霊を呼ぶ壺ですが、魔術はお使いになりますか?詳しい説明が必要ですか?」
モーリスは首を横に振った。
最後に金貨30枚の壺を指した。
両手で抱えるほどの磁器の壺だ。側面に青い線が描かれている。
「あれは鑑賞用の壺になります。注いだ水の場所が常に映し出されます。距離は関係なく、シェフォビス共和国にいてもエンドリア王国やロラム王国を見ることが可能です」
金貨30枚と高額だが、注いだ水の場所が映し出されるのならば、それくらいするのかもしれないとモーリスは思った。
「安いのには理由がありまして、入れた水の場所が映るために、場所が特定できないのです」
モーリスは首を傾げた。
「この家の中にある井戸の水をいれた場合は、井戸が映る可能性が高いです。真っ暗であったり、井戸側面の石組みであったりします」
「湖からとれば、その湖の風景が映るのではないのか?」
そうすれば、住む場所から離れたところの映像が常に眺められる。
「湖のどこが映るかはわかりません。湖畔が映ればいいのですが、空であったり、水面であったりします」
空しか映らなければ、遠くを見ている意味がないかもしれない。
「それと水が腐りますから、定期的に入れ替えなければなりません」
頻繁に変えられる水となると近い場所になる。
安くなる理由のある壺だとモーリスは思った。
「奥にいくつか壺の在庫がございます。持って参りましょうか?」
「頼む」
自然と出た言葉にモーリスは驚いた。
もしかして、自分は壺選びを楽しんでいるのだろうかとモーリスは考えた。
店員はカウンターの後ろにある扉を抜けて、奥に入った。
店にはモーリス夫妻と外を眺めている男だけが残った。
モーリスはカウンターに置かれている手提げ金庫が開いているのが気になった。シェフォビスならば、鍵をかけるだろう。どんなに治安が良くても盗む人間はいる。
「そこな御仁」
窓際の男がモーリスを見ていた。
「シェフォビス共和国の方とお見受けする」
言い方が時代がかっているが、イヤな感じはしない。
モーリスは会釈した。
「金を放置して奥に行ったのが気になるのではないかな?」
男はずっと外を見ていた。
まさか、見られていると思わなかったモーリスはいささか驚いた。
「あそこに剣があるだろう」
指されたのは扉の上にかかっているロングソード。
幅広の剣で磨き抜かれている。
「ラッチの剣と呼ばれている、あの剣がこの店の見張り番なのだ。張り紙を読んでみてはどうかな。面白いことが書いてある」
言われてモーリスは気がついた。
丁寧に掃除された店内。手入れされている商品。並べ方も見やすくなっているが、それらを無視して何枚も張り紙が貼られている。
【店内魔法禁止】
魔術師が使う店だと聞いている。
おかしな張り紙だとはモーリスは思わなかった。
【当店の電撃は強力です】
意味がわからない。
マッサージ店のように電気で治療をする店はあるが、電撃は少し違うのでないだろうかとモーリスは首をひねった。
【怪我をしても当店は責任を負いません】
【万引きは命にかかわります】
脅しととらえたモーリスだったが、その先に貼られていた張り紙を読むと違うような気がした。
【お願いですから、盗らないでください。本当に困るんです】
書いた者の懇願が文章に出ていた。
次の張り紙を読んだ。
【店がいきなり壊れることがあります。常に注意してください】
モーリスは男を振り返った。
「ムーがいないから壊れないと思うが、シュデルがいるから保証はできない」
ムーとシュデルというのは人の名前だとモーリスは推測した。彼らの情報を男は意図的に抜いているが、嫌がらせでなく、桃海亭に詳しくないモーリスに先入観なく楽しんでもらおうとしているように感じた。
男はまた剣を指した。
「あのラッチの剣は電撃を扱う剣でな、盗人に電撃を飛ばす」
張り紙の意味がモーリスにも半分ほど理解できた。
男がまた外に目をやった。
「そろそろ始まるようだな」
モーリスも外を見た。
誰もいなかった。
モーリスたちが店に入るときには、通りには溢れるほどいた人たちがどこにも見あたらない。
「あなた方は運がよい。今日が3日目、最後の日だ」
また、わからないことを男が言った。
「一緒に見られよ」
場所をゆずるように椅子を動かした。
エイダが見られるか気になったモーリスは振り向いた。
いなかった。
また、タペストリーの前に立っている。
「エイダ」
呼ぶと静かに近づいてきた。
「ここで何かが見られるそうだ」
エイダがうなずいた。
「奥方には椅子はどうだろう」
男がいうと赤い椅子が床を滑るようにして窓の前に止まった。
魔法の道具というのは、便利なものだとモーリスは思った。
「どうぞ、あなたがお座りください」
椅子を譲ろうとしたエイダに、男が苦笑いをした。
「残念だが、その椅子は男が嫌いでな。私も座らせてもらえない」
「エイダ、座りなさい」
モーリスが言うと、エイダは腰を下ろした。
その後ろにモーリスが立つ。
「11時48分、そろそろ始まるぞ」
地面がもりあがり、丸い玉が現れた。
1つではない。
そこらじゅうの地面がもりあがって、銀色の玉が次々にでてくる。
「目が」
エイダのつぶやきが届いた。
握り拳ほどの球体の側面に小さな黒い点が2つ。銀の躯体は金属でできているようなメタリックな輝きをしている。
「先日ムー・ペトリという魔術師が失敗召喚で呼び出した異次元召喚獣だ。何百という数が湧き出たので騒ぎになったが、これがなかなかのものでな」
男の解説からすると異次元の生物らしい。
後半の部分がわからないところがあったが、モーリスはうなずいた。
「さあ、始まるぞ、ごらんあれ」
芝居がかった口調で、男は通りに出現した無数の球体を指した。
球体は一斉に宙に浮いた。
そして、踊り出した。
あるときは集まって、あるときは散って、訓練されたダンスを見ているように思えてくる。ぶつかる度に甲高いの音がするが、音程の違う音が集まり陽気な音楽に聞こえる。
一列に並んで空を流れるように飛ぶかと思えば、不規則に地面の上を転がる。
見る者を一瞬も飽きさせない。
やがて、球体は一カ所に集まり静止した。
「すばらしい」
モーリスは自分の口からこぼれた感嘆の言葉に驚いた。感嘆の言葉をこぼした記憶を探したが、エイダと結婚した頃までさかのぼっても見つからなかった。
「さて、御二人にはこれをプレゼントしよう」
男はポケットから、小指の先ほどの大きさの、黄色いコインを2つだした。表面はつややかで何かを固めたものらしい。
「蜜蝋に薬草を練り込んだものだ。本来は手の保護の為に溶かして塗るものなのだが、なぜかこれを欲しがる」
モーリスとエイダに1つずつ渡す。
「外に行かれるとよい」
窓越しに外を見ると、通りに人が出ていた。
手に同じような黄色のコインを持って、球体の側に近づいていく。
危険はなさそうだと判断したモーリスは、エイダにうなずいた。2人で桃海亭を出た。
扉を出て数歩も歩かないうちに、球体がモーリスの手にのった。見回すと集まった人たちが球体の目がついてる方に、黄色いコインを差し出している。コインの与え方を学習したモーリスは、自分が持っているコインを手に乗った球体の目の前に差し出した。球体はコインを身体に沈みこませるように受け取った。そして、モーリスの手に身体を押しつけた。
暖かい身体だった。
そのあと、手から飛び降りると仲間の元に戻っていった。
「可愛い」
エイダが笑っていた。
エイダの手に乗った球体が、くるくると回っていた。
少女のような笑顔の妻をモーリスは初めてみた。
いつも静かで大人の振る舞いを心がけているエイダが、少女のように屈託なく笑っていた。
エイダは腰をかがめると、そっと球体を地面におろした。
「気をつけてお帰りなさい」
球体はエイダの手に身体を押しつけた。そして、仲間の元に戻っていった。
再び集まった球体たちは、一斉に地面に潜って姿を消した。
エイダが名残惜しそうに地面を見ている。
「エイダ。店に戻るぞ」
声をかけると、いつもの表情に戻った。モーリスの後ろについて、店にはいった。
「明日もみられるのですか?」
店に入ったエイダは小走りで男に近づいた。
その様子にモーリスは、今日のエイダはいつものエイダでないことを認めざる得なかった。
いつものエイダならば、モーリスを追い抜き、知らない男に話しかけるなど絶対にやらないだろう。
「残念だが、もう二度と見られないだろう」
「なぜですの?」
「あれは失敗の召喚獣。3日経つと元の世界に戻ってしまうのだ」
「もう一度、呼び出すことはできないのですか?」
「それは難しいな。この世界に呼び出すための名前がわからない」
「名前がわかれば呼び出すことができるのですか?」
「できる。ただし、召喚魔術師のムーがやる気になること、失敗しないこと、の2つの条件が加わるがな」
気持ちよく答えてくれた男の前に、エイダは手を差し出した。
「これは名前ではありませんか?」
手のひらの真ん中に、奇妙な模様。
「これは驚いた。ムーに確認しなければわからないが、名前の可能性がある。もしかして、奥方は魔術師か?」
エイダもモーリスも首を横に振った。
「よほど奥方のことを気に入ったのだろう。実に驚くべき出来事だ」
男はカウンターにいくとペンと紙をとってきた。
「消えてしまういけない。写させてもらいたいがよいか?」
「お願いします」
男は模様を丁寧に写した。写し終えた頃に、店員が戻ってきた。
「お待たせしました。いくつか持って参りました」
両手にひとつずつ、持っている。店員の後ろに少年がついてきていた。
少年もひとつ持っている。
「いらしゃいませ」
店員と違いピンクのローブを着ているところをみると魔術師らしい。長めの黒髪を襟足のところで結び、色白の端正な顔立ちをしている。
カウンターに並べられた3つの壺。
どれも両手を合わせればのるほどの小さい壺だ。
モーリスたちが国に持ち帰るお土産と考えて、かさばらないものを選んできたらしい。
「こちらの赤い陶器の壺は、旅行用の壺です。炎を出すので、野宿するときに灯りとして使われていたものです。銀貨3枚になります」
便利そうだが、いままでの値段から考えるとやけに安い気がする。
「使用するには油を中にいれます。油が切れると火が消えます」
ランタンの方が使い勝手はよさそうにモーリスは思えた。
「こちらの青い磁器の壺はメダカの飼育壺になります。銀貨15枚になります」
モーリスは聞き間違えたのだろうと思った。
魔法とメダカが結びつかなかった。
「メダカを心から愛する魔術師が作ったもので、水を入れてメダカを入れれば、あとは餌も水替えも不要です」
子供の教育にはよいかもしれないとモーリスは思った。
「間違っても金魚や別の観賞魚は入れないでください。死にます」
メダカを心から愛する魔術師が作っただけあり、メダカ専用の壺らしい。せめて、もう少し見栄えのする魚なら、これで良いと決められたののにとモーリスは残念に思った。
「こちらの黒い壺は見たい夢を見る壺です。金貨50枚になります」
金貨50枚とは高額だ。
モーリスは顔を近づけてよく見た。
黒い素焼きの壺で、へらでつけたような細い筋が斜めに何本も入っている。
「見たい夢をできるだけ具体的に書いて、この壺の中にいれます。枕元に置いて眠れば、その夢をみることができます」
本当に好きな夢を見られるならば、金貨50枚でも安いようにモーリスは思った。
店員がため息をついた。
後ろにいる少年の魔術師を横目で何度も見ている。気にしているようだ。
それに対して、少年の方は磁器でできたような顔を微動だにしない。
「その壺なのですが」
店員が渋々といった様子で話し出した。
「ある国の王が重い病にかかり、痛みを和らげるために薬で眠り続けることになったのです。その時、長い夢を楽しめるようにと作られたのがこの壺です」
死にいたるまでの時間を楽しく過ごすために作られた壺。
あまり、うれしくない来歴だと、モーリスは思った。
「どれか気に入ったのはございますでしょうか?」
店員が聞いてきた。
「少し考えさせて欲しい」
モーリスの返事に店員は一礼して、少年の方に歩いていった。何か少年と話している。
隣に立つエイダが離れていった。
方向からタペストリーを見に行ったのはわかった。
あの古いタペストリーにどのような魅力があるのかモーリスにはわからなかったが、エイダがひどく執着しているのはわかった。
「あの」
タペストリーの前のエイダが店員に声をかけた。
「はい」
笑顔で近づいたのは少年の魔術師の方だった。
「これを売ってもらえませんか?」
非売品の札がついていたのをモーリスは見ていた。
断られると思ったのに、少年は笑顔で言った。
「奥様だったのですね」
エイダも不思議そうな顔をした。
「それほどタペストリーが気に入られましたでしょうか?」
少年は言い直した。
「ええ、この子が欲しいの」
奇妙な言い方だとモーリスは思った。
「少し時間をいただけますか。店長と相談して参ります」
少年が小走りに戻っていったのは、店員だと思っていた青年のところだった。難しい顔をして少年の話を聞いている。
2人の話は、まだ時間がかかりそうだとモーリスは思った。
いまのうちに壺を決めてしまおうと、3つの壺を見た。
壺の能力で喜ばれそうなのは夢を見る壺だが、作られた目的を聞くとどうも食指が動かない。目的が教育ということを考えるとメダカの飼育壺がいいように思えるが、メダカの飼育しかできなとなると魔法の壺という感じがしない。
店員と少年は窓際でまだ外をみている男のところに行った。何か話し込んでいる。
エイダはタペストリーを笑顔で見ている。
どの壺にしようが迷ったモーリスは、カウンターの後ろの扉が半開きになっていることに気がついた。
その扉の奥に、壺が見えた。
7番目に見た壺。
モーリスは欲しいと思った。
どのような魔法がかかっているのか、聞くことを考えもしなかった。
あの壺が欲しい。
モーリスは7番目の壺を買うことを決めていた。
ハロルドはいつものように朝食のバターの塗られたパンをかじりながら、日刊の経済誌を読んでいた。
「あなた、たいへんです」
顔色を変えた妻が飛び込んできた。
「このようなものが」
震える手で差し出したのが、一通の手紙と見るからに頑丈そうな樫の箱。
箱を開いてみると、宝飾類がぎっしりと入っている。どれもハロルドには見覚えがあった。
「これは母のではないのか?」
大切にしていた宝飾品が丁寧にくるまれて、詰められている。
「手紙…」
開いてみると母の美しい筆致で、息子の妻になってくれたことへの礼とこれからもよろしく頼むといった内容が簡潔につづられている。
「何を考えているんだ」
上着を片手に家を飛び出した。
歩いて数分のところにあるモーリス・ケンドールの屋敷についたハロルドはさらに驚くこととなった。
別の人間が住んでいた。
慌てて家に戻った。
この間、父に会ったのはいつだろうと考えた。
父の執務室を改装するために、エンドリアに壺を買いにいって欲しいと頼んだ。それが半年ほど前。
それから。
ハロルドは愕然とした。
それから、会っていない。
エンドリア王国に旅に行ったのは、人づてに聞いていた。モーリスが留守の間、執務室の改装に追われた。それからは、いつも通りに仕事をしていた。
父が職場に現れることもなければ、頼んだ壺を家にもってくることもなかった。
母からの荷物をもう一度調べた。
差し出されたのはエンドリア王国ニダウからだった。ニッタとぺぺの運送店、そこから出されたようだ。
「あなた」
不安そうな妻にハロルドは言った。
「この住所のところに行ってくる」
エンドリア王国のニダウは暖かかった。
ハロルドはニダウに着くと、手紙の住所を頼りにニッタとぺぺの運送店を探した。
ニダウのメインストリートのアロ通りは広いが、裏通りにはいると細い通りが何本もあり、なかなか目的地にたどり着けない。
服装から王都の警備兵らしい2人組をみかけたハロルドは声をかけた。
「あの道を聞きたいのですが」
「観光客の方ですね。どこをお探しですか?」
やけに人当たりがいい警備兵だとハロルドは思った。
シェフォビス共和国の警備兵は居丈高のところがある。
「ニッタとぺぺの運送店を探しているのですが、ご存じありませんか?」
警備兵は警戒の表情となった。
「シェフォビス共和国の方が、ニッタとぺぺの運送店に何の用ですか?」
やはり、なにかあったのだとハロルドの不安は増大した。
「父と母がいるはずなんです」
警備兵は少し黙った。
それから、きつい口調で言った。
「ご両親の名前とご自分の名前をお願いします」
「父はモーリス・ケンドール、母はエイダ。私は息子のハロルドといいます」
それを聞いた警備兵は2人とも、笑顔を浮かべた。
「エイダさんのお子さんですね」
「モーリスが言っていた、頭はいいけれど融通が利かない息子のハロルドというのは、あなたのことですか?」
父のモーリスがそのようなことを他人に言うということがハロルドには衝撃だったが、それよりもモーリスの方が自分より融通がきかないだろうと怒りを覚えた。
「ええ、私がその融通が利かないハロルドです。どこにあるんですか、ニッタとぺぺの運送店」
「あそこですよ」
何度も通った場所だった。
だが、気がつかなくてもしかたないとハロルドは思った。
看板がでていない。
道に面した引き戸のガラス戸は全開していたが、どのような店かわからないから中まではのぞかない。
「ご両親によろしく」
笑いながら警備兵が去っていった。
足早にニッタとぺぺの運送店に入った。
「いらしゃい…あら、ハロルド、何か用?」
隣の家から遊びにきたように言われて、ハロルドは一瞬言葉に詰まった。
「お母さん、何を考えているんですか?」
「どうかしたの、顔色が赤いわよ」
ハロルドは怒りと困惑で目眩がした。
母親のエイダは、このような話し方は絶対にしなかった。いつも静かに丁寧に言葉を選んで話していた。
服装もそうだ。
シェフォビスの上等な布地、良い縫製、落ち着いたデザイン。
大家の奥様を絵にしたような母親だった。
それが極彩色のスカーフを頭に巻いて、裾の短いワンピースにフリルのついたエプロンをしている。
「一緒にシェフォビスに帰りましょう」
「いやよ」
エイダは一言のもとに拒否した。
「なぜです」
「説明する必要はないわ。用事がないなら帰ってくれない。忙しいの」
そういうと、話は終わったというように紙の束を読み始めた。
ハロルドは店を見回した。
窓際の陽の当たる場所にタペストリーがかかっている。
その後ろには、紐で結ばれた荷物がいくつも置かれている。
カウンターには受付の紙が置かれ、その横には銀の大皿が置かれて黄色いコインのようなものが山積みになっている。
窓際に置かれたタペストリーに近づいた。
使い込まれた古いタペストリーで絵柄がわからない。
なぜ、このようなものがあるのだろうかとハロルドは手をのばした。
「触らないで!」
母の怒鳴り声にハロルドは驚いた。
シェフォビスにいた母は声を荒げて怒る人ではなかった。
「ぺぺちゃんは人見知りなの。絶対に触れないで」
タペストリーに触れて欲しくないのはハロルドにもわかった。
しかし、母の言った人見知りという言葉は人やペットに使うのであって、タペストリーには使わないだろうとハロルドは思った。
「ぺぺちゃんはペットじゃないわよ」
母親のエイダは人の気持ちを読むのが上手だったとハロルドは思い出した。
「ここで一緒に働いているの」
そういうと、タペストリーのところにやってきた。
「ぺぺちゃん、この人は私の子供のハロルド、ご挨拶をしてね」
タペストリーの房がわずかに動いた。
「いい子ね」
タペストリーを抱きしめるエイダ。
母親はおかしくなった。
ハロルドはそう結論づけた。
そうすれば、母の言動にも警備兵の様子にも納得できる。
「わかりました。お父さんはどこにいますか?」
「仕事に決まっているでしょ」
「働いているのですか!」
モーリスは立場にふさわしいだけの蓄財をしていたはずだ。シェフォビスの屋敷を売ったお金だけでも贅沢な暮らしができるはずだ。
「そうよ、ニッタくんと一緒に働いているの」
店の名前がニッタとぺぺの運送店であったことを思い出した。
「ニッタくんというのは」
ハロルドの質問ははいってきた大柄な男性によって遮られた。
「ニッタくん、帰ってきたか?」
大きな箱を抱えている。
生臭い匂いがするところを見ると魚らしい。
「まもなく戻ってくるけれど、急ぐの?」
「至急で頼みたいんだ。城の晩餐会用に頼まれたんだが、入荷が遅れたんだ。10分以内でなんとかならないかな」
「15分なら可能」
「よっしゃ、任せた」
ドンと箱をカウンターに乗せると、受付の紙を書き始めた。
母のエイダは太い紐を箱にしっかりとかけていく。
「支払いは月末で頼むぜ」
「わかっているって、たっぷり稼いで、利息をつけて払ってね」
「エイダちゃん、言うねえ」
そういうと男は出て行った。
「あのニッタくんというのは」
「ハロルド。邪魔だから、そこをどいて」
「ですから、ニッタくんというのは」
「いま、来るわよ」
母のエイダはものすごく迷惑そうな顔をしている。
ハロルドの立っている場所に影が落ちた。
振り向くと父親のモーリスがいた。
「ただいま」
「おかえりなさい。いま魚屋のノックスが王宮まで至急で頼みたいとこれを」
「いまから行ってこよう」
「ニッタくんは大丈夫?」
「まだ、大丈夫だ」
モーリスが投げたフックに箱を結んだ紐をかけた。
「お父さん、私です。ハロルドです」
気がついていないのかと大声で言った。
「10分で戻る」
そう言い残して、モーリスは店を出た。
壺に乗って。
高さ1メートルほど。広口のどっしりとした形は、壺より甕に近い。
モーリスはその壺に乗っていた。縁にかけた金属のフックに荷物を吊すと店を出た。空に舞い上がり、すごい早さで去っていく。
「あの壺は」
去っていく壺を指しながら、ハロルドは母親に説明を求めた。
「ニッタくん」
ニッタとぺぺの運送店という名前がどこからきたのかハロルドは理解した。
「どういうことです。なぜ、お父さんが壺に乗っているのですか?」
「見てわからないの、荷物を運ぶのがモーリスの仕事。移動に使っているのがニッタくん」
「なぜ、ニッタくんに乗っているのかを聞いているのです」
「ニッタくんが早いから」
空を飛べば、道も人も建物も無視できる。早いのは当然だ。
同じような質問をしても欲しい答えは得られないと考えたハロルドは、違う方向から質問をすることにした。
「運送業をしたかったから、ニッタくんを手に入れたのですか?」
「違うわ。ニッタくんが空を飛びたがったから」
さらにわからなくなった。
だが、ここで諦めたら後悔すると、ハロルドは質問を重ねた。
「ニッタくんとぺぺちゃんを連れて、シェフォビスに帰りませんか?」
「それは無理」
「なぜですか?」
「ニッタくんもぺぺちゃんもニダウをでることができないの」
ようやく手がかりが見つかったとハロルドは質問を繰り返した。
そして、わかったのは、ニッタくんもぺぺちゃんも、特殊な能力に影響を受けた魔法道具であり、その為、ルブクス魔法協会の監視下にあり、古魔法道具店の桃海亭から出すことができないことになっていた。
壺を買いに訪れたモーリスとエイダに、壺とタペストリーが懐いてしまい、2人と一緒にいられるように桃海亭のオーナーとエンドリア国の皇太子が骨を折ってくれた。その結果、桃海亭から貸し出しという形で一緒にいることが認められた。ただし、ニッタくんもぺぺちゃんもニダウからでないことが条件だった。
「ニッタくんは空を飛ぶのが大好きなの。でも、好き勝手に飛んだら、みんながびっくりするし、自分の真上に壺が飛んだら怖いでしょ。だから、殿下が運送業をするなら、町の空を飛ぶのを認めるといってくれたの」
「それでお父さんが荷物運びをしているわけですね」
「そうよ」
壺の散歩につきあっているというのが真相となれば、仕事とより道楽に近い。それならば、話のもっていきかたによってシェフォビスに連れ帰ることも可能だとハロルドは考えた。
「勘違いしないでね。モーリスも私もこの仕事を真剣にやっているの。開店して、まだ半年にしかならないけれど、ニッタとぺぺの運送店といえば有名なのよ」
「それは壺に乗っているのが物珍しいだけです。見せ物です」
「見せ物の部分は否定しないわ。でも、すごく急いでいるときや近いけれど重い物を運ばなければならないとき、ニッタくんがいることでニダウの町の人たちが助かっていることは事実なんですからね」
両手を腰にあて胸を張っている母親には、シェフォビスにいたときの面影はなかった。
「持ってきたわよ」
若い女性が入ってきた。赤と白の縦縞の派手なワンピースに、白いエプロンをしている。
両手でようやく抱えられる大きな籠に、キャンディがいっぱいいれられている。
「今日の午後の2時。ピンクスイート洋菓子店の前ね」
「今回もチラシを配布しているから、かなりの子供がくると思うの」
「怪我をしないように気をつけて巻けばいいのよね」
「よろしくね」
そういったあと、女性がカウンターに肘をついた。
「ねえ、エイダちゃん」
「無理よ」
「そういわないで」
「だから、フールと直接会話できるのはムーだけなんだから、頼むのならムーにいってよ」
「それは困るのよ」
女性は頭を抱えた。
「ムーに頼んだら、絶対に無茶な条件を出してくるに決まっているわ。1年間お菓子を無料にしろとか、いまあるお菓子を全部よこせとか」
カウンターに立っている母親が、口を開けてケラケラと笑った。
「笑わないでよ。本当にエイダちゃんにはできないの?」
「無理、無理。フールはうちに泊まりにきているだけなんだから」
「そろそろ帰るんでしょ」
「来週には帰らないといけないとみたい。あっちで仕事があるんですって」
「次はいつくるの?」
「しばらくは無理みたい」
「キケール商店街だけでしからショーをしないのは不公平よ。ショーの時間、観光客がみんなあっちに流れていて、アロ通りは閑古鳥が鳴いているのよ」
母親はまたケラケラと笑った。
「ショーも来週までと思えば、頑張れるか。うん、頑張ろう。エイダちゃん、情報ありがとね」
若い女性が出て行った。
そこでハロルドは気がついた。
前の魚屋もいまのお菓子店の女性も、母をエイダちゃんと呼んでいた。派手な服を着ていても今年60歳になる女性に対する呼び方ではない。何か理由があるのだろうかとハロルドは不安になった。
「お母さん、いまエイダちゃんと呼ばれていましたよね?」
「そうよ。エイダさんと呼んでくれる人もいるけど、ほとんどがエイダちゃんね。最初はびっくりしたけれど慣れたわ」
どうやら、ニダウの気風らしい。
そして、母親はその気風にすでに染まっているらしい。
なんとしても、早くシェフォビス共和国に連れ帰らなければ、そう思ったハロルドの足元の土が、いきなり盛り上がった。
銀色の玉が地中から現れた。
「わっ!」
あちこちから地面が盛り上がり、銀色の玉が次々とでてきて、宙に浮かび上がった。
1分と経たずに店の中には、数百の銀の玉が浮いている状態になった。
「ショー終わったのね。お疲れさま」
母親の言葉が終わると、銀の玉は一斉にカウンターにある大皿の黄色のコインに押し寄せた。瞬く間にコインが消えて空になった。コインを取った銀の玉は奥に敷かれた毛足の長い絨毯の上に転がった。
ハロルドは絨毯に見覚えがあった。先祖代々伝わっている高価な絨毯だ。それに銀の玉がぎっしりと乗っている。
「お母さん、あれは」
「フール」
短い返事で返された。
幸いにも若い女性との会話で、ショーをする物であることはわかっていた。
「あれは魔法道具ですよね?」
「ひどいこといわないでよ!」
また、怒鳴られた。
「では、なぜ玉が動くのです」
「玉じゃないもの」
また、知るために長い質問をしなければならないのかと思うとハロルドは気が重くなった。父が戻ってくるまで待った方がよいと考えた。
「エイダちゃん、明日、至急で頼みたいんだ」
また、客が入ってきた。
がっしりした体格の壮年の男性だった。
「どうしたの」
「装飾用の石の彫刻が着いたんだけどよ、こいつが柔らかい石でさ。ちょっとぶつかると壊れちまうんだよ」
「どこまで運べばいいの」
「西にでかいお屋敷をつくっているのを知っているか?」
「変な塔があるやつ?」
「そうそう、その変な塔の上に彫刻を運んでくれないか?」
「大きさは?」
「大人が4人寝たくらいの大きさだな」
「持ち上げる石材はここまで運んでくるの?」
「町の入口にあるんだ」
「わかった。取りに行く。4時からでよければ、今日運べるけど、どうする?」
「そいつは助かる」
礼をいって男は帰って行った。
ハロルドは驚いていた。
店が町の人の為になっているというのは嘘ではないらい。
「ただいま」
父親のモーリスが壺に乗って戻ってきた。
出てから、まだ10分は経っていない。
「お疲れさま。ニッタくん、大丈夫?」
「さすがに疲れたようだ。15カ所連続は初めてかもしれない」
床に着地した壺から、モーリスが降りてきた。
モーリスが降りると、壺はタペストリーの側に行った。タペストリーの房が持ち上がり、壺に触れた。
「あれは」
「壺のニッタは飛行に魔力を消費するので、タペストリーのぺぺに魔力を供給してもらっている」
母に比べて父の話は、非常にわかりやすかった。
「ぺぺちゃんは太陽の光から魔力を作り出すことができるの。すごいでしょう」
母親が自慢した。
父親が説明を加えてくれた。
「ぺぺは魔力を作ることができる唯一無二の魔法道具で非常に貴重なものだそうだ。世界中の魔法に関係する機関が欲しがったそうだが、人見知りがひどくてな」
人見知りのタペストリー。
それを受け入れてしまいそうになってハロルドは首を振った。
「ぺぺの価格は金貨で5000枚はくだらないそうだ」
ハロルドは気が遠くなりそうになった。
金貨5000枚。
母はこれを買ったのではなくレンタルだと言っていたことを思い出した。
「レンタル料はいくらなのですか?」
「いい加減にして!」
また、怒鳴られた。
「ぺぺちゃんはペットじゃないわ。ほら、すねちゃったじゃない」
駆け足でタペストリーのところに行き、一生懸命慰めている。
「無料だよ。ぺぺもニッタも」
父親だと話が進む。
「家族を金で借りたりはしないだろう?ぺぺもニッタも私たちの大切な家族なんだ」
家族となるとニッタくんは自分の弟になるのだろうかとハロルドは考えた。
年代がありそうな壺なのだがと考えたところで、慌てて首を振った。
壺と兄弟になることを受け入れるわけにはいかない。
「あれはなんですか?」
高価な絨毯に転がっている銀色の球体。
「異次元召喚獣だ。本当の名前は私たちには発音しにくいので、便宜上フールと呼んでいる」
「危険はないのですか?」
「エイダの友達らしい。1ヶ月ほど滞在させて欲しいと頼まれたから場所を提供している」
母親に異次元召喚獣の友達。
母に会ったとき、母がおかしくなったと思ったが、いま頭がおかしくなりそうなのはハロルドの方だった。
壺が滑るようにして父親の横に止まった。
「寂しくなったのか」
そういうと壺の縁を優しくさすっている。
「ニッタは寂しがり屋でな、こうしてよく甘えてくる。昼間はいいのだが夜になるとベッドに入ってきて、狭くて困る」
ニッタをさすりながら、笑顔いうモーリス。
ハロルドは父もおかしくなったのか、それとも自分が本格的におかしくなったのだろうかと不安になった。
どう考えても、この巨大な壺はベッドに入らない。
「ところでハロルド、どうやって私たちがここにいることを知った?」
「妻に母から手紙と宝石が送られてきました」
「エイダには連絡をしないようにきつく言っていただが、浅慮なことを」
「母が連絡をくれなければ、いなくなったことに気がつきませんでした」
「私たちがいなくても、なにも問題はなかったはずだ」
「いなくなれば心配くらいします。だから、ここまで会いにきたのです」
「そういうところはエイダによく似ている。なぜ、私たちが何も言わずに姿を消したのか考えなかったのか」
考えなかった。
父と母がどうしているのかが気になり、ここを訪ねた。
父がカウンターの後ろに回った。
何かが入った紙袋を取り出した。
「帰りにこれをよく読んでおくように」
「これはいりません。どうか、私と一緒にシェフォビスに帰ってください」
「それは無理だな」
「なぜです。私たち本当の家族より、ニッタくんの方が大事ですか?」
「大事だ」
あっさりと返されてハロルドは衝撃を受けたが、気を取り直して話を続けた。
「お父さんが壺で配達人をやっているなどと知られたら、シェフォビスで私たちが笑い者になります。やめていただきたい」
「頭が固くて視野が狭い。子供の時と変わらない」
「話をそらさないでください」
「その封筒を持ってシェフォビスに帰りなさい。読むのを忘れないように」
「私の言うことを聞いていないのですか」
「3ヶ月後にお前がシェフォビスで仕事を続けていたら、私たちもこの店をたたんで、シェフォビスに帰ろう。それでいいか?」
「本当ですね」
「本当だ」
「約束しましたよ」
「必ず、その封筒の中身は読むこと。それも約束だ」
「わかりました。では、3ヶ月後に」
店を大股で出たハロルドに、モーリスが話している声が耳に届いた。
「大丈夫だよ、ニッタ。ずっと一緒だ」
父親のモーリスと約束してから3ヶ月後。ハロルドは窓からぼんやりと外を見ていた。
ニダウの空は晴れて、抜けるような青い空が広がっている。
階下の店舗から、母親と妻の笑い声がする。
死ぬ思いの逃避行から1ヶ月。女性はたくましいとハロルドは思った。
エンドリア王国から戻ったハロルドは、その翌日シェフォビスの評議委員の大物に呼ばれた。呼ばれた場所に行くと数人の評議委員と軍の幹部が待ちかまえていた。呼ばれた理由はぺぺちゃんのことだった。現在、世界の魔法研究では魔力は製造できないが定説になっている。ところが、なぜかぺぺちゃんは魔力を製造できる。世界で唯一の魔力製造能力をもつ魔法道具。魔力に恵まれないシェフォビス共和国としては、ぺぺちゃんをどのような手段でも手に入れたかった。ところが、ぺぺちゃんは魔法協会の監視下で直接の接触はしにくい。もし、違法な手段で手に入れたとしても、人見知りのぺぺちゃんが魔力製造機の研究に協力してくれる可能性は低い。自国で使用できなくても他国に渡したくないシェフォビスはぺぺちゃんを監視していた。ぺぺちゃんが懐いた女性が現れたと知ったシェフォビスは女性に接触を計ろうとしたが、ニダウの警備兵に阻まれて近づくことができなかった。
そして半年、ハロルドが現れ、懐いた女性がシェフォビス出身のエイダ・ケンドールとわかり、今回ハロルドが呼び出したと説明された。ハロルドが受けた命令は、エイダとぺぺちゃんをシェフォビスに連れ帰ること。失敗したら妻や子供を殺すと脅された。
それを聞いたハロルドは、父の手紙が正しかったことを知った。そして手紙に書かれていることを実行しておいて良かったと思った。
妻も子供も父の手紙に書かれている人物にすでに託してあった。家には人はいない。魔法で作られた人形が妻子のふりをして暮らしている。
一般人にふりをしたシェフォビスの兵に遠巻きに監視され、ハロルドはニダウに戻った。ニッタとぺぺの運送店の入口をくぐったとき、ハロルドを迎えたのは、ニダウに着いたときに道を聞いた警備兵だった。笑顔でもう大丈夫です。これからはエンドリア王国があなたを守りますと言われ、膝から力が抜け落ちた。数日後に、妻と子供も到着し、ニッタとぺぺの運送店での新しい生活が始まった。
階下からの笑い声は絶え間ない。
妻は店を手伝いながら、洋裁を本格的に習い始めた。小さい頃から、服をつくることに興味があったらしい。新しい生き方をはじめたエイダを見て、夢をかなえるために動き出すことにしたらしい。
子供達は学校に行っている。この間、新しい友達がたくさんできたとハロルドに教えてくれた。
母のエイダは店と家事とぺぺちゃんの世話で大忙しだ。シェフォビスにいた頃より、はつらつとしているように見える。
父のモーリスはニッタくんに乗って、毎日、ニダウの空を飛び回っている。雨の日は仕事こそ選んでいるが、巨大な傘をさして飛んでいる。
ベッドの件は偶然、寝室を見たときに得心した。寂しがり屋のニッタくんの為に幅6メートルもある特注のベッドを使っていた。
いままで経営者の仕事しかしていないハロルドは、自分にどのような仕事が向いているのかわからなかった。お金はあった。だから、ハロルドは、毎日ぼんやりと外を見てすごしている。
部屋の扉が開いたのを音で知ったが、振り向かなかった。
「ハロルド」
横に立ったのは、父親のモーリスだった。
「お前に頼みがあるのだが、聞いてくれないか」
ハロルドは驚いた。
父が頼みごとをするのは、ハロルドの記憶では初めてのことだ。
「何でしょうか?」
「先に頼みごとを引き受けてくれると約束して欲しい」
父からの初めての頼みごと。時間はたっぷりある。
「わかりました。必ず引き受けます」
モーリスが口の端をゆがませた。
これからイタズラするぞというような、意味深な笑い。
そして、言った。
「ハロルド、桃海亭で壺を買ってきてくれないか?」