大手家電量販店スモールカメラ社長編
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大手証券会社の観光証券専務の石井から電話があったのは、雨があがった昼過ぎに大手町のスターバックスのテラスで部下とコーヒーを飲んでいる最中であった。
「加藤さん、こんどスモールカメラの新木会長を紹介させてください。御社の話をしたら興味があるようで、加藤さん会いたいと言っていますよ」
加藤は心を躍らせた。
大手食品メーカー「加藤ソーセージ」の創業家に生まれた加藤正一は、裕福な家庭に育ったとはいえ、実家が食肉系の仕事ということで、銀行や商社など財界でいうところの一流企業の経営者の親族とは異なり自分は本物のサラブレッドではないという一種のコンプレックスを感じていた。金持ちには金持ちなりの悩みがあるのだ。だからこそ、跡取りと期待された加藤ソーセージにはあえて入社せずに株式会社カッパを創業したのであった。
スモールカメラの新木会長は、体一貫で池袋の個人商店だったカメラ屋を一代で新宿、池袋、有楽町など全国どこにでもある家電量販店に育て上げたカリスマ経営者である。
新木社長自ら「ここが安さのスモールカメラ!」と叫ぶTVCMを覚えている人も多いだろう。一昔前であればお茶の間でもおなじみの人だった。
ガラの悪さ、スーツではなくスモールカメラ販売員と同じ赤い作業服を着たその風貌は、エリートなんかくそくらえという態度である。叩き上げ経営者が会社が大きくなるにつれてトゲがなくなって上品な経営者になっていくのとは明らかに異なるタイプだ。
カッパ社長の加藤正一はそんな新木会長を以前から心底尊敬していたのだ。
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指定されたアポイントは朝7時であった。
今まで色々な会社を訪問してきた加藤正一にとっても、朝7時からミーティングというのは初めて経験であった。
池袋の繁華街の中にどんなに巨大なビルにあるのだろうかと車で探し回るも、カーナビに住所から表示されるのは小さな5階建ての雑居ビルである。
運転手がビルの郵便受けを確認しに行くと、確かに「スモールカメラ」と書いてある。
そこにちょうど池袋駅方面から歩いてくる大柄のスーツ姿の男がいた。観光証券専務の石井である。
「やあ、加藤さん、お待たせしました。ここが新木会長がいるビルですよ」
加藤正一は驚いた。新木会長はスモールカメラの創業当時の小さな雑居ビルを30年たった今でも社長室として使っていたのである。
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観光証券専務の石井とともに5階までエレベーターで上がる。
育ちの良い加藤は、雑居ビル特有の、狭苦しく、壁に貼られた灰色のじゅうたんから染み出る独特の嫌な匂いのするエレベーターが大の苦手であった。
普通の人であれば、風俗店が入居しているビルのエレベーターのようだと表現するべきだろうか。
5階でエレベーターを降りると、新木会長のいるフロアには受付もなく秘書もいなかったが、スモールカメラ副社長の坪倉がすぐに加藤正一と観光証券の石井に気がついて、パーテーションで仕切られたテーブルと椅子に案内した。
そこに会長の新木が登場した。
「おはよう! 朝早く悪いね」
一見すると、気のやさしいおじさんにも見えるが、時折見せるその鋭い眼光は田舎ヤクザ風でもある。
――これが一代でスモールカメラを創った男か・・
加藤は名刺交換をしながら、尊敬のまなざしでスモールカメラ帝国の頂点にいる男を見あげたのだった。
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会議には、スモールカメラ側からは会長の新木と副社長の坪倉の2名が参加した。
「まあまあ、加藤さん、どうぞおかけになって」
新木に促される形で、観光証券の石井と加藤正一は、マクドナルドの学生アルバイト控室のようなスペースで椅子に腰かけた。
「飲み物は何がいい? コーヒーでいい?」
「はい、私は何でも大丈夫です」
「おい坪倉、コーヒーを人数分、買ってこい」
「はい、わかりました!」
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50歳か60歳にも見える副社長の坪倉が威勢の良い返事をすると、そのまま走って自動販売機に向かい、大急ぎで小銭を投入し、人数分の缶コーヒーを胸に抱えながら、また走ってきて全員の前に丁寧に並べた。
大企業の副社長が走って飲み物を買いに行くという、今どきの高校の運動部でも珍しいこのような光景を見たのは加藤正一にとってはもちろん初めだ。
スモールカメラには役員秘書がいないのだ。しいて言えば副社長が会長秘書を兼務しているように見えた。
秘書がいないのはコスト削減が徹底しているというべきか、高い給与をもらっている副社長が秘書業務をしているのは無駄というべきか。いずれにしても、加藤正一が創った株式会社カッパも加藤正一のワンマン企業だが、スモールカメラはそれ以上の独裁だということだ。
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加藤正一は、小間使いになってる副社長の坪倉を憐みの目で自分が見ていないか心配になり、顔を引き締めた。
ミーティングがスタートした。
「今日はお時間ありがとうございます。
新木会長の貴重なお時間をいただき光栄です。
さっそく弊社から提案をさせていただきます」
加藤は、事前に観光証券に言われたとおりに作ったプレゼンテーション用資料を配布した。
同時にプロジェクターで同じ画面を映写した。スモールカメラにはスクリーンがなかったので、黄色びた壁に映写した。
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株式会社カッパの事業説明から始まり、
近年の業績や社内組織図などを一通り説明した後、加藤正一は本題を切り出した。
「カッパの3D技術を使って、スモールカメラ取扱いの約2万点の家電製品を
すべて3D化することをご提案します」
新木はつまらなそうな顔をしていたが、そのまま加藤はまくしたてた。
観光証券専務の石井はなぜかニコニコ、安心しきった顔をしていた。
「いまの写真中心のスモールカメラのウェブサイトは古いんです。
今のままではインターネットで家電製品は売れません。
消費者が直感的に理解できるような3D技術が御社のECサイトには必要なんです。」
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新木は急に身を乗り出した。
「3Dか。おもしろいね。
たとえば、お客さんがウチの店頭でレンジを買うとするだろ?
そのとき、どのお客さんもみんな、レンジのドアを開けて、中を覗いて、閉じるてみるんだよね。
冷蔵庫や洗濯機を買うときも同じ。
中を開けたって中に見るべきものは何もないのに、お客さんは量販店で製品のふたを開けたがるんだよ。
実際に買う商品であればほぼ100%開けてみるんだよ。今度お店で見てみな。
加藤さんの会社の3D技術なら、ホームページ上で家電製品の蓋を開けたり閉めたりできるってことだよな?」
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加藤正一はハッとした。
加藤正一はいままで何百回、何千回と自社の3D技術の営業トークをしてきたが、レンジや冷蔵庫の扉を開けるニーズがあることを知らなかったのだ。
一見、意味がないようなことにも、視点を変えれば重要な意味がある。
加藤正一は、世の中にはまだまだ自分の知らないことがたくさんあると反省すると同時に、新木がカッパ社の3D技術に関心を示したことに対するうれしさも込み上げてきた。
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「ところで、カッパの3D技術って、いくらなの?」
加藤正一は提案資料のページを1枚めくって、さかさまにして新木に見せた。
「製品1個あたり3D製作費が3万円です。
スモールカメラの商品点数が2万点ですので、合計6億円になります。」
「ふーん。」
少し吹っかけすぎたかなと思った加藤正一は反応応を見るため、恐る恐る新木の顔を見た。新木は眉毛をピクリとも動かさず先ほどと同じ顔をしている。副社長の坪倉は自分には何の権限もないという顔をしている。
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「3億か……。よし。買おう!」
スモールカメラ新木会長は言った。
加藤正一は心の中でガッツポーズをした。
「ただし、条件がある……。」
新木は続けた。
「ウチも6億円の投資をするんだ。
カッパとこれからガッチリやっていくために、カッパの株を持たせてくれ。」
「はい?」
「観光証券の石井さんからカッパの株は一株60万円だと聞いている。
ずばり5000株、3億円分の株を買いたい。」
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加藤正一はスモールカメラからの投資を引き受けた場合のメリットとデメリットを頭の中で考えた。
――3億円分の株をスモールカメラに売ってくれる既存株主がいるだろうか?
――第三者割当増資にすれば会社にキャッシュが入るのでそちらのほうが良いのではないか?
――そうすると新株発行により発行済株式数が希薄化して、怒る株主もいるだろう。
いや、事業の成長のためには良いことだという理屈で既存株主は説得できるだろう。
――スモールカメラからの投資を受けると、新木会長がカッパ社の経営に口を出してくるだろうか?
いや、新木会長はITやインターネットのことなどわからないから、介入してこないはずだ。
いや、そもそも株式会社カッパは自分が筆頭株主なのだ。
社長であり大株主である自分の判断で良ければそれで良いんだ。
第一、営業的にスモールカメラからの6億円の売り上げがどうしてもほしい。
目の前にニンジンをぶら下げられて、このまま引き下がるのはスーパー営業マンの加藤正一にとってあり得ないことだった。
1-2分ほど考えた後、加藤は言った。
「わかりました。株の件、OKです。問題ありません。私が大株主ですがその他の株主とは私から話をします」
「そうか、ぜひよろしく頼むよ」
ずっと黙っていた観光証券の石井が笑顔で初めて発言した。
「両社にとって良い話になって良かったです。
観光証券としても本件はサポートさせていただきます」
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そうか、観光証券の石井専務が事前に新木会長と株式の話をつけていたんだな。
少し馬鹿にされた気分だが、まあそんなものだろう。
そんなことはどうでも良い。このようなことは、加藤ソーセージ社長である加藤正一の父親・加藤正三郎が、加藤正一が子供のころから何でも根回ししていたので慣れっこである。
とにかく、今のカッパ社に6億円分の売上が立つことについてのうれしさのほうが加藤の気持ちを高ぶらせた。これで今期は黒字が確定だ――。
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「加藤さん、私は新木会長と別の話があるので、どうぞお先にお帰りになってください」
観光証券の石井に促される形で、加藤正一は新木とがっちり握手をして
雑居ビル5階から狭いエレベーターに乗り込んだ。
新木は、日本のサラリーマン特有の、お客をお見送りするの際のエレベーター前での深々と頭を下げるような真似ごとはしなかった。
加藤は帰りの車の中で、株式手数料ビジネスのためにスモールカメラの新木を自分に紹介した観光証券専務・石井の顔を思い出しながら、何ないところに無理やりにでも手数料を発生させる証券会社のビジネスの一つの手法を見た気がした。
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スモールカメラ新木とのミーティングから一週間が経過した。カッパ社の社内では、実務担当者と法務部門で ミーティングで合意した内容を契約書に落とし込む作業をしていた。
加藤正一は、スモールカメラに対して1株60万円で3億円分の新株を発行することの理解を得るためにカッパ社の大株主を行脚していた。
スモールカメラとの契約書は、カッパ社の3D技術を6億円でスモールカメラに提供する契約と、カッパ社がスモールカメラ社に対して3億円分の新株を発行する契約の2つだ。
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両社の法務の確認作業を終えて、残るは契約調印だけという段階になって、スモールカメラ副社長の坪倉からの電話がなった。
「会長の新木が、1株60万円は高いので、半額の30万円にしてほしいと言っている。ある人物から御社の業績で株価60万円は高すぎるとアドバイスを受けたようだ」
伊藤は耳を疑った。
「いまさら何ですか。もう契約締結の準備まで完了しています。すでに大株主からすでに一株60万円で了承を得てしまっています」
「そこを何とか半額にしてほしい」
「いまさら無理です。新木会長にノーとお伝えください」
「うちでは会長の新木の意見は絶対なんです。一株30万円にできないなら今回の話はなかったことにしてほしい」
「……。いまさらなかったことにだなんて、契約不履行で訴えますよ」
「まだ契約を結んでいないので契約不履行も何もない。何ら問題はない」
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怒りに震えながら電話を切った加藤正一は、社内の幹部メンバーを集めて、株式の話はともかくとして、3D技術を6億円で買ってもらうビジネスの話がなくなることについての影響を尋ねた。
営業部長の松本は、スモールカメラの6億円はすでに今期の売上予定額に織込済なので、今回の商談が飛ぶのは是が非でも避けたい、先方の要求である株価のディスカウントを受け入れてでも6億円分の仕事をもらうべきだと主張した。
管理本部長の乙野は、スモールカメラに対してのみ株価のディスカウントを適用することが他の株主に与える悪影響を考えると、譲歩するべきではなく、営業案件を含めて今回の話はすべてあきらめるのが得策だと主張した。
結果的に、加藤正一は、株の話もビジネスの話もすべて白紙に戻すことを決めた。このような汚いやり方をしてくるスモールカメラをこれ以上信用することができない。仮に50%のディスカウントを受け入れたとしても、そこからさらに値引き交渉してくる可能性いだってある。信用第一だ。スモールカメラは一緒に仕事をする相手ではない。
スモールカメラは本業の商品の仕入れについて、いったんメーカーと合意した仕入れ値を、ギリギリのタイミングで値引きを要求し、すでに出荷調整をしてしまっているメーカー側が泣き寝入りする、ということを今まで散々やってきたという話を後日ある人物から聞いた。さもありなん――。そういう汚いことを毎度やってきたからこそ、スモールカメラは短期間で大きな会社になったのだ。
子供のころから裕福な家庭で上品に育った加藤正一にはとうていできないやり方だ。いや、できたとしてもやりたくない交渉方法だった。
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電話を切った30分後に、観光証券の石井専務から電話が鳴った。
スモールカメラの件をお詫びする。ついては、スモールカメラが買うはずだった株を観光証券が代わりに買い取ることで責任を取るとのことだった。
そんな馬鹿な話はあるか。誰も株なんか買ってほしくない。買ってほしいのは3D技術だ。3D事業で6億円の売り上げが上がるからこその株の取引に応じたのだだ。加藤正一は石井に強く主張した。
「石井さん、ちょっと待ってくださいよ。それじゃうちの3Dの6億円の売り上げはどうなるんですか? 株だけ売るわけにはいきませんよ」
「そっちも含めて何とかします」
石井は自信満々で答えた。
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3週間後、観光証券とカッパは契約を結んだ。観光証券は、スモールカメラが買う予定だった3億円分の株式の全額を買い取り、3D技術については、スモールカメラと合意した金額のたったの十分の1の値段である6000万円で発注するというものだった。
株式会社カッパのIPOを目指していた加藤正一は、観光証券がカッパ社の上場のためのキャスティングボードを握っていることを知っていたので、泣く泣くこの不平等条約に了承したのであった。
こうして観光証券は、カッパの未公開株5000株をやすやすと手に入れた。カッパが上場すれば、軽く10倍の60億円にはなるだろう。そもそもカッパ社のデューデリジェンス(資産査定)をしたのが観光証券だから、加藤正一以上に石井のほうが会社の価値を知っているのだ。
自宅に帰る車の中で加藤正一は思った――。
もともと観光証券にとって、カッパの株を得ることが最初からの目的だったのではないか。新木会長とのミーティングはフェイクだったのではないか。新木会長に1株60万円は高すぎると助言したのは、観光証券の鈴木だったのではないか。
加藤はもともと株屋と呼ばれる証券会社の人種は嫌いだったが、今回の一件でますます嫌悪感を増したのであった。