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ギイイィィィ、といかにも重そうな音を上げて、食堂の扉が開かれた。
……いいかげん、部屋に広さに驚くのにも飽きてきた。
要するに、食堂もうんざりするほど広かったということだ。
ちょうど部屋の真ん中に大きな長いテーブルが置かれている。その一番奥に、今のマルガリーテにとっては父である、バルバロッサ国王が座っていた。
扉を開けてくれたマリアンヌはというと、部屋の端に整列していたメイドたちの中に加わっていた。
その人数たるや、ここから数えるのが面倒なくらいだ。
ちなみに、逆側の壁際には執事たちが大勢整列している。
一度は決心をしたはずだけど、これにはさすがに尻込みをさせられた。
これを知っていたからマリアンヌは確認したのだろう。マリアンヌの方を見ると、心配そうにこちらを見つめていた。
「どうした? そんなところで立ち止まっていないで、中に入りなさい」
大きくはないが、とても重厚で心に響き渡るような声が聞こえた。
前に一度、城のバルコニーから演説するところを聞いたことはあったが、こんなに間近で国王の声を聞くことができるなんて、それだけで少し感動してしまった。
「マルガリーテ、早く席に着きなさい。せっかくの朝食が冷めてしまうぞ」
「は、はいっ」
名指しで呼ばれてしまったことに焦り、二つ返事で席に着いた。
マルガリーテが座ったのは、国王から一番離れたテーブルの端。つまりは国王と正面から向かい合うように座っているのだ。
離れているからいいようなものの、なんとも落ち着かない。
目の前には数々の料理が並べられていて、そのどれもが美味しそうだったけど、ほとんど目には映っていなかった。
「さあ、いただくとするか」
国王はそう言って食べ始めた。だが、マルガリーテは一向に手がつけられずにいた。
「……どうかしたのか、マルガリーテ。調子でも悪いのか?」
「い、いえ。そういうわけではありません。い、いただきます」
危うくマリアンヌに忠告されたようになってしまうところだったので、できる限り平静を装って朝食を食べることにした。
手近にあったパンを手に取り、口の中に入れたが、まったく味がしなかった。
何かの間違いかと思って二口、三口と放り込んでも同じだった。
「……マルガリーテ、あまりがっついて食べるな。お前は女なのだからな」
「は、はいっ」
緊張しすぎて声が裏返る。
王女としての食事はとても楽しみにしていたことの一つだったというのに、これじゃあちっとも楽しめそうになかった。
「ところで、今日はずいぶん起きるのが遅かったようだが、寝坊でもしたのか?」
「いえ……あの、その……」
マルガリーテが答えに窮していると、意外にも国王はほほ笑んだ。
「まあ、たまにはそういうことがあってもいいがな。お前の真面目なところはよいところだが、それも度が過ぎれば堅苦しいものになるからな。そういうのは、あまり男には好かれんだろう。――おっと、これは少し言い過ぎたか」
そう言って、国王は人目もはばからず豪快に「ハッハッハッ」と笑った。
つられて、マルガリーテも笑う。こちらはどちらかというと苦笑いに近いけど。
それにしても、国王がこんなに話す人だとは思わなかった。
それとも、娘を前にしているから饒舌なのか。
マリアンヌの話だと国王は娘を溺愛しているらしいし。
とにかく、お陰で少しだけ落ち着くことができた。
相変わらず、朝食は何を食べてもまったく味がわからないが。
その後も国王はいろいろな話をしていた。
ただ、マルガリーテは生返事くらいしかできず、どんな話だったのかほとんど覚えてはいなかった。
「マルガリーテ王女、いつまでそこに座っているおつもりですか?」
聞き慣れた声が聞こえて、我に返ると、いつの間にか目の前にあった朝食はすでに片付けられた後だった。
もちろん、正面に座っていたはずの国王もすでに席を外している。
恐る恐る声のした方に顔を向けると、そこにはマルガリーテ専属のメイド、マリアンヌが立っていた。
「……いつ、朝食は終わったのかしら……」
「もう、しっかりしてください。部屋に戻りますよ」
マルガリーテのつぶやきはしっかりと聞かれていたようで、マリアンヌは放心してほとんど抜け殻のようなマルガリーテを無理矢理立たせた。
だが、足に力が入らない。
歩くどころか立っているのも難しいくらいだった。
マルガリーテはマリアンヌと他のメイド数名に抱えられるようにして食堂を後にした。
移動させられながらも廊下を見渡していると、ちょっとした違和感に気づいた。
城の中から見える景色なんて、どこも似たようなものだとは思うけど、それでもさっき通ってきた廊下と違うとわかった。
マリアンヌが部屋に戻る、と言ったからてっきり寝室に戻るのかと思ったが、どうやら違うようだ。
それに、なぜか今度はさっき食堂にいたと思われるたくさんのメイドたちが付き添っているようだっ
た。
「さあ、着きましたよ。ご自分の足で中に入れますか?」
気になることはそれだけじゃない。食堂からこっち、マリアンヌの口調が他人行儀なものに変わっていた。
最初からそうしていたなら、むしろ気にはならなかったと思う。
王女に接する口調としては、今の方が正しい。
だけど、最初が砕けた口調だったために、他人行儀の方が間違っているように聞こえてしまう。
「マルガリーテ王女?」
「ええ、大丈夫よ。もう歩けるわ」
メイドたちから離れ、自分の足で立った場所は、寝室よりもやや大きく装飾の派手な扉の前だった。
ここがどこなのかは聞くまでもない。
マルガリーテ王女の部屋だ。
きっと扉を開けると、レースのカーテンや色とりどりの家具に出迎えられるのだろう。
意気揚々と部屋に入った。
「――え……? ここは、どこなの……?」
部屋の様子が意外すぎて、勝手に言葉が出てしまった。
さっきはわかると思っていたこの部屋が、いったい何の部屋なのか、入った瞬間にわからなくなってしまった。
「どこって……、マルガリーテの部屋よ」
幸いにもマルガリーテのつぶやきが聞こえたのはマリアンヌだけだったらしく、小さく耳打ちしてくれた。
――って、これが王女の部屋!?
マルガリーテが驚くのも無理はなかった。
予想もしない部屋が目に飛び込んできたのだから。
一歩中に足を踏み入れると、さらに感じることになる。
――殺風景だ、と。
寝室は寝るところだから、清潔感に溢れていると感じることができたけど、自室までこうも何もないと、それはもう正直にその感想しかもてない。
だだっ広い部屋の端に、木の机が一つと、寝室にも置かれていた白いタンスが二つ。
唯一寝室と違いがあるとすれば、それは大きな本棚が壁際にあり、そこに溢れんばかりの本が収納されていたことくらいだ。
あ、いやそれだけじゃないか。
寝室とはもっと大きく違う部分があった。
この部屋の窓ガラスは扉くらいの大きさがあり、しかもそこからバルコニーに出られるようだった。
「王女様、お着替え手伝いますわ」
部屋の中央で落胆にくれていたマルガリーテは、見たことのないメイドにそう話しかけられた。
誰なのか聞く前に改めて辺りを見渡すと、部屋の中にはマリアンヌを筆頭に十人以上のメイドが忙しなく動き回っていた。
「着替えって、私はもう着替えてるわよ」
「王女様、ご冗談をおっしゃらないでください。それはただの部屋着ではありませんか」
「これが部屋着!?」
このまま結婚式にだって出られそうなこのドレスが?
さすがに思っていてもそこまでは言えなかった。
ここではマルガリーテの持っている常識が通じないことなど当たり前。
そこでやっと気がついた。さっきから動き回っているメイドたちは、服や化粧品の準備をしていたのだ。
自分の部屋に帰ってきたというのに、まったく気の休まるところがない。
少しは放っておいてもらいたいものだ。
……そうだ、今のマルガリーテは王女なのだから命令すればいいのでは。
「出て行って」
「――はい?」
先ほど話しかけてきたメイドが、何を言われているのかわからない、というような表情を返してきた。
それに怒ったわけじゃないけど、
「全員ここから出なさいっ!」
つい、口調が威圧的になってしまった。
「は、はいっ」
もちろんマルガリーテの心情などわかりはしない彼女たちは、怒られたと感じたのだろう、逃げるようにして部屋から出て行った。
これでやっと落ち着ける。
ぐったりしながら机の側にあった椅子に腰を降ろすと、どっと疲れが出た。
「……はぁ……」
勝手に出てきたため息は、どんな意味が含まれているのか、自分でもよくわからない。
まだ半日さえも王女として過ごしていないのに、わからないことが多すぎて、頭が破裂しそうだった。
王女になったらやりたいこともたくさんあったはずなのに、何一つ思い出せなかった。
「こんなはずじゃ、なかったのに……」
アミーの言う通り、マルガリーテはまだ何も手には入れていなかったことに、ようやく気づかされた。