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「どうして……、私があと三日で死ぬと言い切れるの……?」
ガックリと膝から崩れ落ちたマルガリーテは、つぶやくように聞いた。
「どうして? 決まってるだろ? そりゃ、あたしが悪魔だからさ」
「それじゃあ、なんの根拠にもなってないわよ……」
その言葉は、自分に言い聞かせるためのものだった。
信じたくない、信じられない。
大体悪魔は、よく人間に嘘をつく。
これも、マルガリーテの動揺を誘うための嘘かも知れない。
そう思いたかった。
「根拠? 確かにそりゃないね。信じるも信じないもお前次第だよ。ただ、そうなるとあたしがここに現れた目的がなくなっちまうけどな」
その通りだった。
アミーの目的が人の魂なら、それが真実だとするならマルガリーテの前に現れた目的としては適当すぎた。
だったら、そもそもマルガリーテの前に現れたというその目的こそが嘘だとしたら。
……それは、いくら何でも無理があるか。
自分に都合よく考えすぎだ。
それよりも、もっと建設的に考えるべきだろう。
本来ならば、これはマルガリーテが知るはずのないことなのだから。
それを事前に知ることができたことを上手く利用するべきだ。
それはつまり、悪魔のお告げが真実であると認めてしまっているのと同じことになるけど。
「アミーはどうやって私の……。いや、人間の寿命を知ることができるの?」
「どうやって? う~ん、わかりやすい言葉で言えば、魔法を使うんだよ」
「魔法……? だったら、私がどうやって死ぬのかもわかるの?」
「いや、その魔法でわかるのは人間の寿命だけだ。その詳細まではわからねーよ」
「そう……」
アミーの言葉には、特にこれといって裏があるようには思えなかった。
しかし、だからといってその全てを鵜呑みにするつもりはない。
魔法で人間の寿命を知ることができるのなら、本当はその全てを知っていて隠しているのかも知れない。
たとえそれが、人の力ではどうすることもできない、変えることのできない運命だったとしても、その全てを知ることができれば変えてしまう可能性がないとは限らない……はず。
それは、マルガリーテの魂を欲しがっているアミーにとっては避けたいことだろう。
「いいわ。アミーが私の前に現れた目的に関しては、納得したわ。悪魔は嘘をつくものだと思ってるけど、この目的には嘘をつく意味があるとは思えないもの」
「そりゃ、どーも」
精一杯の皮肉を込めて言ってやったけど、アミーにはそれもちゃんと伝わった上で言葉を返したようだった。
「――で、あたしに何をして欲しいんだ? お前があたしを呼んだ理由は幸せにして欲しいから、だったよな。できれば具体的に言ってもらいたいんだけど」
「ずいぶん、優しい悪魔なのね。私の願いを叶えてくれるつもりなの?」
「そうして欲しいからあたしを呼んだんだろう?」
「それはそうだけど……」
「ただし……運命を変えろって言うのはなしな。それはいくら何でもできねーから」
それは、わざわざ言う必要のないことだと思った。
もし、それがアミーにできたとしても、その望みだけは決して叶えないだろうことは予想できた。
なぜならそれは、アミーの行動と目的に矛盾を生じさせてしまうから。
だから、アミーは先回りをしてマルガリーテの望みを潰したつもりかも知れないが、本音を言えばそれはどうでもいいことだった。
生きるものの本能として、寿命が残りわずかだと知ったことはショックだったけれど、元々命に対してそんなにこだわりがあるわけではない。
それはマルガリーテの思い描く幸せとは関係なかった。
「……だったら、アミーには何ができるというの?」
「運命を変えることを除けば、この世界でできないことはない。さっきも言ったが、あたしは最強の悪魔だからな」
アミーは胸を張って自信たっぷりにそう答えた。
「何でもできる、と」
「ああ、ただし一つだけ条件があるけどな」
「わかっているわ。アミーと契約しなければならないのよね」
「へ~。あたしを呼ぶだけのことはあるってことか。知ってるなら都合がいいぜ」
アミー、いや、悪魔に願いを叶えてもらうためには、その悪魔と契約を結ばなければならない。
それはあらかじめ悪魔のことを勉強する中で知り得たことだった。
もちろん、悪魔はただでは人間と契約などしない。
悪魔が人間に求めるのは、魂だ。
悪魔と契約を結ぶということは、悪魔に魂を売り渡すということだった。
「まあね。私は、私が幸せにさえなれれば、どんなことをしてでも構わないと思っているのよ」
「……フッ……、そうだったな。やっぱり、あたしの目に狂いはなかったよ。マルガリーテ、お前はなかなかおもしろい奴だよ。見所がある。普通、人間が幸せになるっていう願いは神にでも捧げるもんだろう。それをあたしのようなものに望むんだからな」
「神? そんなものに私が頼るわけないでしょう。そもそも私は、神に祝福されずに生まれたんだから」
マルガリーテは神が嫌いだった。
神が嫌いな理由は他でもない。
家族の中で、マルガリーテだけが神から何も与えられずに生まれた存在だったから。
「さあ、願いを言えよ。お前に残された時間はあと三日なんだぜ。ぐずぐずしてたらあっという間に終わっちまう」
「ええ、そうね」
気を遣っているのか、それとも早く契約を結びたいのか、たぶん後者なのだろうけど、アミーが急かすように言うので、マルガリーテもあっさりと願いを言った。
「――私を、王女にして」
一瞬、時が止まったかのような感覚に陥った。
そんな魔法は、使った覚えがないのだけれど。
訝しげな顔をしていたアミーの口が動き、ようやくその魔法が解けた。
「……王女? そんなことがお前の願いなのか?」
そんなこと、という言い方にはちょっとカチンときたが、アミーの問いかけには素直にうなずいた。
「人は、生まれる場所を選べない。生まれたところが国王のところってだけで全てを手に入れているなんて、そんなの不公平でしょ。私だって、生まれる場所を選べたなら、こんなところではなく、最初から幸せが約束されている特別な存在として生まれたかった」
「王女として生まれていれば、幸せだった、と? あたしはまた、お前の姉妹たちよりも優れた能力やら、容姿やらを欲しがると思ったんだけど」
「それは、きっとアミーの力を借りて手に入れても、私自身が納得できないと思うわ。私自身が姉さんとカトリーヌを超えられないと思っているから。例えば姉さんたちよりも美しい容姿を手に入れたとして、それが周りの人たちに認められたとしても、所詮作り物の美しさなんだと私が知っている限り、それはすでに姉さんたちに負けているのと同じことなのよ」
それに、今さら外見には興味がなかった。
本物の美しさを毎日見せつけられていたマルガリーテには、どんなに外見がよくなっても本当の美しさが手に入らないことがわかってしまっていたから。
能力に関しても同じだ。
学力にしても、芸術にしても、天性のものである二人の能力にはとても勝てないと認めていた。
マルガリーテの願いはできる限り今のまま叶えることでもあった。
自分自身は一切変わらずに、ただ周囲の状況を変えたかった。
正直に言えば、生まれた場所が違うというだけで、特別な存在である王女が羨ましかった。
「……フ……」
「何?」
マルガリーテの心を知ってか知らずか、アミーが鼻で笑ったので、少しムッとした表情で聞いた。
「いや、つくづくおもしろいなと思っただけだ。王女になりたい、ねえ。なんとも可愛らしい願いだよな。でも、悪魔にその願いを望んだのはある意味正解だったと言えるよ。神にどんなに命を捧げて祈っても、そんな俗な願いは叶えてはくれねーだろう」
悪魔に説教をされているような気がしたことは、あまり気持ちのいいことではなかったが、少しだけ安心させられた。
アミーが話したことから、一つだけわかったことがあったから。
「じゃあ、アミーにはできるのね」
「ああ、まあな。最初から言ってるだろ? あたしがこの世界でできないことなんて、ほとんどないんだよ」
それなら、なんの問題もない。
安心してこの魂を差し出せるってものだ。
「だったら、早く私の願いを叶えてちょうだい」
「ああ。マルガリーテ、右手を差し出しな」
マルガリーテはアミーに言われた通り、右手を広げてアミーに向けた。
「これから、あたしとの契約の儀式を行う。と言っても、お前が特別何かをするわけじゃねーから安心しな」
アミーは不敵な笑いを浮かべたかと思ったら、急に表情を変えた。
手を胸の前で組み、真剣な眼差しでマルガリーテを見据える。
その迫力に押されて、今さらながらに畏怖の念さえ抱くほどだった。
そして、アミーはマルガリーテには理解できない不思議な言葉でボソボソ話し始めた。
……いや、違う。話しているのではない。ただ言葉を並べているだけだ。
マルガリーテには理解できないが、これがおそらく悪魔の使う魔法とやらの呪文なんじゃないだろうか。
次の瞬間、差し出していた手の平に、何かが這うような、奇妙な感覚だけが伝わってきた。
「……っ……」
「動くな、刻印が歪むだろ」
その感覚があまりに気持ち悪くて手の平を閉じようとしたら、アミーが大きくはないが有無を言わせぬ強い口調で言った。
マルガリーテは数秒の間、そのままの姿勢で固まってしまった。
「さ、もういいぜ。これでマルガリーテとの契約は結べた。これから先、お前が死んだらその魂はあたしにものになるってわけだ」
アミーが真剣な顔を崩してそう言って、やっとマルガリーテも動けるようになった。
右手の平を見てみると、そこには黒いグニャグニャの線が描かれていた。
見る人が見れば絵のようにも見えるだろうし、字のようにも見えるだろう。
はっきり言ってしまえばよくわからない模様だった。
しかし、アミーが言うのだから、これが悪魔との契約の印なのだ。
その刻印とやらは、ほどなく消えてしまった。
「あれ? 消えちゃったわよ」
「ああ、それでいいのさ。それは普段からお前たち人間に見えるものじゃないからな。あたしにさえ見えていればいいんだ」
「そう……」
「さてと、次はお前の願いだったな。王女にしてくれって言ってたけど。それはこの国の王女とマルガリーテの立場を入れ替えればいいのか? それとも、新しい国をあたしが創ってそこの王女にでもすればいいのか?」
それは考えていなかった。
というより、悪魔の力でそんなことまでできると思っていなかった。
もしかしたら、とんでもない力を持つ悪魔を呼び出してしまったのかも知れない。
王女にさえなれればいいと思っていたが、これは思わぬ収穫だった。
ある意味、叶えたいと思っていた願いが二つ一気に叶う。
「できるのなら、私とこの国の王女の立場を入れ替えて欲しいわ」
「なーんだ、そりゃ簡単だぜ。朝飯前ってやつだ。それなら今すぐにやってやるよ」
「え、い、今すぐ!?」
そう言われても、まだ心の準備が全然できてない。なんて考えている内に、アミーがまた呪文を唱え始めた。
「ちょ、ちょっと……」
止める間もなく、アミーから放たれた闇がマルガリーテを飲み込んだ。
少しだけ、悪魔に頼った自分を呪った。もうちょっと、こっちの都合も考えて欲しい。悪魔に言っても仕方のないことだろうけど。
マルガリーテは闇の中で、意識を失った。