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聖女様、引導を渡すシリーズ

聖女様、引導を渡す

作者: 千条 悠里

「こちらにいらしたのね、エリナさん」


 私が声を掛けると、エリナさんはびくっと体を震わせた後、背を向けたまま涙を慌てて拭いました。

 深い悲しみに襲われていてもなお、貴族として毅然と振舞おうと努めていらっしゃるのがその様子からも伺えます。

 時間にして数秒とかからなかったでしょう。エリナさんは私の方へ振り返り、優雅に一礼されました。


「お見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ございません。聖女様」


 聖女というのは、私に与えられた名誉であり、役職であり、私の誇りです。

 生誕と共に精霊様より授かる加護の中でも、最も徳の高い光の精霊様より最高の加護を受けし者の称号。


「話はお聞きいたしました。貴女と、アインハルトさんのこと」


 一瞬、エリナさんは心の痛みに耐えるように表情を曇らせましたが、すぐに平静を装いました。

 彼女の傷口を広げることになると分かりながらも、私は話を続けなければなりません。

 彼女がこれ以上、心を傷つけられたせいで、壊れてしまわないように。


「別の少女と付き合うために、貴女との婚約を破棄させようとしている、と」


 エリナさんとアインハルトさんは、家同士が決めた許婚でした。

 幼い頃から決められたことであり、その契約を前提に両家は互いの繁栄と民の安寧のために関係を深めていたはずだ。

 それなのに、最近になって急にアインハルトさんは一方的に婚約の破棄を求め始めました。

 同じ学園に通う少女と仲睦まじくなり、そちらの彼女と添い遂げるために。

 貴族として、あるまじき行いです。

 豪華な食事、服装、民からの賞賛、全ては貴族としての人生に殉じる覚悟に対する代価です。

 それらの恩恵を好きなだけ貪り終えた後で、責務を放り出すなど、許されることではありません。


「いまこの場所には、私が人払いの魔法を掛けております。どうか、貴女の思いを聞かせていただきたい」


 今にも崩れ落ちてしまいそうなエリナさんをまっすぐに見つめて、私は彼女に歩み寄ります。

 エリナさんはそれでも気丈に振舞おうと何か話そうとされますが、言葉にならないようです。

 私はそんな彼女を、そっと抱き寄せて耳元で囁きます。


「昔みたいに、貴女のありのままを、受け止めさせてくださいな」

「……っ、ああ、ああああ、マリアおねえさま……うっ、ぐすっ……うああ……」


 子供みたいに泣きじゃくる彼女を胸に抱いて、私はただじっと、彼女の悲しみを受け止めようと努めました。

 理不尽に裏切られた悲しみなど、他人が受け止められるものではないということは知っていますが、それでも。



 まだ幼い頃にエリナさん達とお会いしました。

 愛くるしいエリナさんから、アインハルトさんのことを「しょうらいのおむこさんです!」と満面の笑みで紹介されたことを、今でもはっきりと覚えています。

 それからもエリナさんとは何度かお会いする機会があり、泣きじゃくる幼い彼女を抱きしめたこともあります。

 成長して学園で再会した彼女は、貴族としての誇りと責務を自覚して、少々高飛車なところは感じましたが、とても素敵に成長されたと思います。

 学園の卒業後はアインハルトさんと夫婦となり、この国の将来を支えてくださる――そう、信じておりました。

 当事者ではない私ですら怒りを覚えるのですから、エリナさんの怒りと悲しみとは計り知れません。



「……私は、ずっとアインハルト様のことを見ていました。

 子供の頃からずっと傍にいて、その絆は、想いは、許婚など関係なく繋がっているのだと、信じておりました

 だけど……ずっと好きで、傍にいたからこそ、今のあの方の心に私への愛がないことは、分かってしまいました」


 それでも彼女は、なんとかしようと一人奮闘されていました。

 アインハルトさんにもう一度自分を見てもらおうと、また、貴族としての在り方を思い出してもらおうと、必死に説得を行いました。

 なのに、向けられた言葉は冷たいものでした。

 親同士が決めた関係でしかない。本当の愛に生きたい。君も貴族に縛られるな、自由に生きろ。

挙句の果てには――「言葉をいくら飾ろうと無駄だ、お前は俺を諦めたくないだけだろう」


そう言われた時のエリナさんの思いは、同情することすら許されないほどの痛みであったことでしょう。


「諦めたくないに、決まってます……! ずっと、ずっと好きだったんですもの……!」


 エリナさんの悲痛な叫びを聞いて、そして、周囲の人々から伝え聞いた話が真実であることを確信して。

 私は。


  ○


「あら、こんにちはアインハルト様。それにミント様」


 学園の中庭に設けられた花壇で偶然を装い、二人に声をかけます。

 二人が普段からここにいることは事前に確認済みです。どうもミントさんのお気に入りの場所らしいですね。


「……マリアか。エリナの差し金なら無駄だぞ。俺の決意は固い」

「ちょ、ちょっとアインったら。そんな刺々しくしなくていいじゃないの」


 こちらへの返礼もしないアインハルトさんと、それをやんわりと注意しながらも二人だけの世界に浸ろうとするミントさん。

 色々と頭に浮かぶ皮肉や罵詈雑言は飲み込んで、早々に用事を切り出します。


「私、お二人の仲を祝福したいと思いますの。つきましてはこちらに記載した日時に、どうかご出席いただきたいと思います」


 事前に用意しておいた封書を手渡して、私は「では、ごきげんよう」と返答も聞かずに立ち去ります。


「祝福って、私達の仲を認めてくれるってことよね?」

「マリアは聖女だ、彼女が正式に祝福するということは、実質結婚が認められたようなものだぞ」

「け、結婚!? えーやだー、気が早いよー!」


 背後に二人の幸せそうな声が聞こえます。

 本当に、お似合いの……馬鹿共ですこと。


  ○



 数日後、二人を招待した式典用の場に私達は集っていました。

 私と、アインハルトさん、ミントさん。

 そして――エリナさん。3人の関係者たるご家族の代表者様方。


 元は愛人の娘で、最近になって本妻が亡くなったために引き取られたことで貴族になったというミントさんはまだ事情が飲み込めていないようです。

 だが、アインハルトさんは腐っても上流貴族、この光景の異様さに即座に気づいた様子です。


「マ、マリア……聖女様。これは、いったいどういうことでしょうか」

「正式にお二人の仲を祝福する前に、済ませるべきことがございますので、皆様方にご足労いただきました」


 私は聖女としての権限を存分に使い、場を秘密裏に用意していました。

 本来なら私が手を下すまでもなく粛々と行われることだったはずの手続きですが、私が無理を言ってこのような形で行わせていただくことにしました。


「では皆様、よろしくお願いします」


 会場にお集まりいただいた皆様に最高位の礼を行い、私は着席します。


「アインハルトよ」


 厳かな声で、男性の声が響きます。

 まずはアインハルトさんの実家、ギュスター家からのようですね。


「現時刻を以て、お前をギュスター家より追放する」

「なっ……ち、父上」

「もはや貴様に父上などと呼ばれる道理はない!!」


 それ以上語る言葉はない、という様子で黙り込むギュスター家当主。

 続いて声を上げたのはミントさんの引き取り先『だった』ミィーティア家の当主様。


「ミント。貴様をミーティア家より追放する」

「な、え……ええ!?」

「……貴様を引き取ったのは間違いであったわ。貴様の母親は、こちらに残ると決めたぞ」

「そ、そんな……お母さん、お母さん!」


 ギュスター家とフランソワ家という上流貴族の婚約を破棄させる原因となった少女は、これで貴族として生きる道を閉ざされた。

 ミィーティア家当主が着席したことで、順番は次へ。

 エリナさんの実家、フランソワ家。

 こちらはフランソワ家当主といっしょに、エリナさんが立ち上がった。


「アインハルト様……」

「エ、エリナ。これは貴様の差し金か? こんな……こんな!」


 喚くアインハルトをじっと見つめて……覚悟を決めたように、言葉を紡ぎ始めます。


「ずっと、ずっと。あなたのことが、好きでした。

 幼い頃から、貴女と二人で築く幸せな未来を夢見ておりました。

 親が決めたからではなく、貴族の務めだからではなく、ただ一人の女として――」


 しばらく、エリナさんは目を閉じました。

 おそらくは、幸せだった日々を思い出して、名残惜しんでいるのでしょう。

 ですが、彼女は貴族として正しく学び、成長したが故に。


「――エリナ・フランソワは元ギュスター家、アインハルト・ギュスターとの婚約を破棄します」


 貴族としての道を決定的に違えたアインハルト様を、切り捨てなければなりません。

 そうならないようにと彼女は苦心しましたが、最後の最後まで、アインハルトさんはそれを理解しようと努めることすらしませんでした。

 だからこの結末は自業自得、です。


「は、話が違うぞマリア! おまえは、私達を祝福すると――!」

「もちろん、祝福いたしますわ」


 ようやく、私の出番がやってきます。

 私は再び立ち上がり、儀式のために必要な杖を手に取ります。


「ああ、そうそう。お忘れのようですので、お伝えしておきますね」


 彼はここに至って、まだとても大切なことを思い出せないでいるようでした。

 だから私は、はっきりと、伝えてあげることにします。


「あなたは幼少期、エリナさんとの仲を私に祝福されていますわね?」

「……そんなこともあったと思うが、それが、どういう……」


 どうやら、一から説明してあげなければ分からないようですね。

 まったく、お勉強不足のお坊ちゃまですこと。元お坊ちゃま、ですけど。


「光の精霊の祝福を授かる者は、生ある限り永遠の愛を一人の相手に誓わなければならない。

 その誓いを破ること、これ即ち世界を司る精霊への裏切りである」


 幼いながらに、しっかりと伝えたことです。調べさえすれば、一般市民でも分かることです。

 光の精霊は生まれ持った身分に分け隔てなく、真に愛し合う者を祝福してくれるのですから。


「……魔法は精霊様にお願いして使える神秘なのですから、その精霊を裏切る以上、今後一切魔法は使えなくなります。

 また、あなたが生まれ持った加護も消滅しますわね」


 予想外だったのか、唖然とした表情になるアインハルトさん。


「ああ、エリナさんは裏切られた被害者ですからこれには該当しませんわ。

 貴方はただ、貴族としての責務から解き放たれたもの同士、愛し合えばいいのです」


 何か言おうとするアインハルトさんを無視して、私は儀式に入ります。

 溢れ出す魔力が光を紡ぎ出し、雑音を掻き消していきます。


「私、本当にお二人を祝福いたしますわよ?

 家族を、想ってくれる人を、世界さえも裏切って、それでも添い遂げようというのですもの」


 それはまるで夢物語。

 絵本の中でしか叶わないような、本当の愛の物語。


「お二人には数々の万難を乗り越えて、是非幸せになっていただきたいものです。

 ――できるものなら、ね」


 そう言って私は、お二人の新しい門出を祝福するのでした。


エリナ:ゲーム的には「婚約者取られたから主人公に過激な嫌がらせ」→「証拠掴まれて悪役として成敗される」みたいなポジションをイメージしました。悪役ポジションだからって悪役じゃなくてもいいよね。こういう一途な子好きです。一歩間違えたらヤンデレとか悪役かもだけど。


マリア:わりと腹黒いけど聖女様。彼女がここまで介入したのはエリナのためでもあり、幼い頃とはいえ愛を誓ったのにそれを「本当の愛に生きたい」=「あの誓いは偽物」としたアインに腹を立てたという自分の怒りもあります。聖女と呼ばれ、そのように立ち振る舞いますが、基本は普通の女の子なイメージ。

もしアインとミントがこの先本当に真実の愛の物語を紡いだのなら、それはそれで心から祝福するでしょう。


ミント:主人公イメージ。庶民として生活していたため貴族社会の決まり事に疎かったり、反感を抱いたりしますが基本的に優しい良い子です。とはいえ他人の婚約者取るのはアウトだよね。現実は「愛があれば大丈夫だよね!」ではなかなか解決しないようです。


アインハルト:へたれ。

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― 新着の感想 ―
[一言]  聖女様よくこれだけの少人数で事を治めましたね。上流貴族の醜聞に関わりたい聖職者(笑)が多数いたと思われますが、聖女という名だけでなく権力もしっかり抑えておられるようでなによりです。上流貴族…
[一言] 婚約者がいるのに、略奪する人の気持ちが、わかりません。後、彼女いるくせに、他の女性に手を出す男の人の気持ちも、わかりません。 だから、主人公が、成敗してくれて、読んでる方も、スッキリしました…
2013/10/26 00:43 すぷらいと
[良い点] 政略結婚に背いての恋愛ものも好きなんですが、こういうのも面白いですね。 アインハルトさんは器が小さすぎ(笑 その後の二人をちょっと見てみたかったです。
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