痛みの記憶
「おらよっ」
足元にカランと音をたてて、皿が投げ込まれた
正体不明のぐちゃぐちゃな物体が、乗せられており、投げ込まれた弾みに零れた汁が足にかかった
小虎は皿ごと食べる勢いで、がっつく
3日振りの食事だった
臭くて不味くて吐き出しそうになるが、それでも無理矢理飲み込んだ
どれだけ不味かろうと、食べなくては命をつなげない
連れられた先は、見世物小屋だった
毎日檻のまま色々な場所に運ばれ、意味もなく鞭を打たれる
芸をするよう強要されたが、小虎は拒み続けた
その結果、ろくな食事も与えられず鞭打たれる生活を送らされている
姉と妹には、あの日以来会っていない
どこか他の所に売り付けられたのだろう
探し出そうにも、自分の命すら危ない状態ではどうにもならない
なんとか隙を見て逃げ出そうとしたが、その度に捕まってひどく傷つけられた
魔獣の血を引くこの体は、人間よりもずっと頑丈で傷の治りも早い
それが、更に事態を悪くするなど思ってもみなかった
見世物小屋の主は、小虎に芸を仕込めないと判断すると、売りに出した
それから、何人も飼い主は変わった
しかし、皆小虎を傷つけるだけだった
時にナイフで切りつけられ、火の付いた鉄棒を押し付けられ、気を失うまで殴られる事もあった
蔑まれ、いたぶられるだけの毎日
何度も死にそうになったが、頑丈すぎる体が死を拒む
そうして、何年もの月日が流れた
薄暗い小屋の隅で踞っていると、足音が近付いてくるのがわかった
立て付けの悪いドアが耳障りな音をたてて開いた
入ってきたのは、今の飼い主である中年男と、初めて見る男だった
値踏みするような、冷たい目
どうやらまた売られることになったらしい
「どうです?正真正銘魔獣との混血です」
髪を捕まれ、無理矢理引きずりだされた
明るい場所に出され、男の顔もよく見えた
頬のこけた、どこか病的な雰囲気のある男だ
その目に、全身の毛が逆立つ
いたぶる獲物を見つけた、残虐な目
本能が、危険だと知らせてくる
しかし、小虎に拒否する権利なと端から与えられてはいないのだ
想像を絶する痛みの日々
ありとあらゆる痛みを経験することになった
男は小虎を使って、人を傷つける道具の開発をしていた
人間よりも頑丈でちょっとやそっとでは死なないが、見た目や反応は人間のものである小虎は、格好の研究材料だった
「さて、今度はどこまで耐えられるか」
狂っているとしか、思えなかった
小虎は、血が出るほどに唇を噛み締めて耐えた
「やはり、雄に限るな」
薄れそうな意識の中、紅い色が見えた
白い、細い体
紅い髪の小さな、少女
「雌はすぐに壊れてしまった」
男が、髪をつかんで揺さぶっても力の抜けた体は揺れるだけ
もう、その体に命の火は灯っていない
声にならなかった
目の前が真っ赤になった
何か、自分の中で爆発したのがわかる
音が消えた
見えるもの全てが止まって見えた
恐怖に歪む男の顔
紅い色、紅、紅、紅、紅…
響く悲鳴
逃げ惑う人々
向かって来る武装した男達
紅い色が散る
高揚していく自分
低く低く、唸り声が響く
紅い、虎の獣
血に濡れ、牙を剥いて兵士に飛び掛かる
魔獣そのものの姿
窓に映し出された自分の姿
魔獣だった
不意に、父の声が耳に蘇る
“お前達は父の強さを引き継いだ。しかし、同時に母の人の心を引き継いだ。人として誇り高く生きろ”
人として…
地獄の日々を生き抜いてこれたのは、父と母の教えがあったから
今、自分は魔獣となりつつある
嫌だ…嫌だ…
低い魔獣の唸り声の下、人間でありたい心が叫び声をあげる
「今だ!仕留めろ!」
動きの止まった小虎に、一斉に兵士達が襲い掛かる
混乱状態から覚めきらない小虎は、迫り来る兵士達を他人事のように眺めていた
もう、生きることに疲れてしまった
このまま、死んでしまおう
そう思っていると、視界に紅い色が広がった




