三週間目
三週間目
練習の甲斐あって、直哉は大分スムーズに人に触れるようになった。気を散らすとすり抜けてしまうが、これなら大丈夫だろう。以前から考えていたことを実行に移すことにする。
『なぁ裕人、本当にやるのか?』
「うん。直哉だって、ちゃんと自分で伝えたいんでしょう?」
『そりゃ、そうなんだけど』
「僕、頑張るからさ。直哉も、頑張って?」
直哉の家の前で、躊躇う直哉を説得する。一応顔を動かしたりはしてない。端から見たら、突っ立っているようにしか見えないだろう。他人の家の前に立ってる時点で怪しいけどね。まだ子どもだから許されると信じたい。
両親が家にいることは事前に直哉に探らせたから知っている。後はもう、当たって砕けるしかない。
チャイムを鳴らして、ちょっと待つ。インターホンから聞こえてきたのは直哉の母親の声だ。カメラで僕を見たおばさんは驚いたようだった。直哉の亡くなった今、普通なら僕が来る理由なんて無いからね。
『裕人君? どうしたの?』
「突然すみません。直哉の御焼香、上げたくて」
この理由は本当だ。本人は横にいるけどそれはそれ、これはこれ。気持ちの問題だ。ただ、来た理由はそれだけじゃない。直哉の思いを知ってほしい。そして直哉はまだここにいると、解ってほしい。
『ありがとう、裕人君。直哉の為にわざわざ来てくれて。ちょっと待っててね』
「はい」
通話が切れて、家の中からパタパタと走る音が聞こえてくる。久しぶりに見た直哉のおばさんは、少しやつれたように思えた。それでも僕を見ると嬉しそうに笑う。
「久しぶりね裕人君。さぁ上がってちょうだい」
「ありがとうございます。急に来てしまってごめんなさい」
「そんなの気にしなくて良いのよ。直哉も喜ぶわ。直哉は裕人君のこと、大好きだったものねぇ」
おばさんがしみじみと呟く。僕を通して、直哉を思い出しているようだった。僕も思い出す。いつだって、直哉はこの廊下を僕の前に立って歩いていた。今僕の前にいるのはおばさんだ。直哉は横に浮かんでいる。壁に半分めり込んでるのはわざとなの? 雰囲気ぶち壊しだよ。
「直哉、裕人君が来てくれたわよ。久しぶりだもの、嬉しいでしょう。さ、裕人君、どうぞ」
おばさんに促されて仏壇の前で正座する。流石に直哉の家の宗教は覚えてないから、僕の知ってる作法で御焼香を上げた。多分そんなに変わらないと思う。本人は横にいるけど、やっぱりこう言うのは気分だ。ちらっと横を見たら、何故か直哉も拝んでた。ご先祖様も奉ってるから、別に可笑しくはないんだけど、何か変。
吹き出しそうになって慌てて堪えていたら、後ろで物音がした。おばさんどうかしたのかなと振り返ろうとして、
「ごめんね」
頭が凄く痛くなってぼくはきをうしなった
『――と、ひろとっ、裕人、起きろっ』
「ん、なおや? なに……っ、頭、痛いっ」
直哉の声に目を開けたものの、すぐに激痛が走って目を閉じた。僕、何かしたっけ? 御焼香上げにきて、それで。そうだ、おばさんだっ。
「直哉、僕どうなったの?」
『母さんが裕人を殴ったんだよ。それで裕人は倒て、って、それどころじゃなかった。裕人、早く逃げないとっ。母さん裕人を殺す気だっ』
「な、何で」
直哉に腕を捕まれて、起きようともがく。頭を殴られたせいか身体が重い。直哉は人に触れても動かせないから、どうにか自分で起きないと。
『俺が喜ぶとか、訳解んないこと言ってた。絶対マトモじゃないっ。しかも父さんまで同意しやがった。何考えてんだよっ、何で裕人に酷いことするんだよっ。そんなの俺、全然嬉しくない!』
「……直哉。ねぇ、僕起きれそうにない。悪いけど、鉛筆でもペンでも、何か書くもの持ってきて。それと紙も」
『わ、解った。すぐ持ってくる』
泣きそうな声で直哉が叫ぶ。自分の両親が、自分の為と言いながら親友を殺そうとしてるもんな。ショックに決まってる。そんなこと、直哉が喜ぶ筈ないのに。
でも僕は動けそうにない。だから大分予定が狂ったけど、彼等に知ってもらおう。直哉はここにいるって。
どうにか上体を起こす。今気が付いたけど、側にビニールロープが転がってた。多分直哉が外してくれたんだろう。本当に、こんなことするなんて、おばさん達はどうしちゃったんだろうね。
「あら、裕人君、起きちゃったのね」
おばさんが部屋に戻って来た。おじさんも一緒だ。二人とも、少しやつれて見える以外は何も変わらないように見える。なのに、僕を殺そうとしてるのか。
「折角縛ったのに、解いてしまったのかい。結び目が緩かったのかな」
「おじさん、おばさん、どうして」
悲しい。悲しくて堪らない。
「直哉一人じゃきっと寂しがってるわ。裕人君だって、直哉がいなくて寂しいでしょう? 直哉は裕人君が大好きだったから、裕人君が一緒にいてくれたらきっと喜ぶ。裕人君だって、直哉に逢えるんだから嬉しいわよね。わざわざ御焼香まで上げに来てくれたんだもの」
「出来るだけ苦しませないようにするからね。怖くないよ」
あんたらは、直哉のこと何にも考えてないじゃないか。自分が悲しくて寂しいからって、他人に押し付けるなよっ。
「直哉は喜ばない。こんなこと、直哉が喜ぶ筈もない。何で直哉の親なのに、解ってないんだよっ」
大きな声は出なかったけど、出せる精一杯の声で叫ぶ。悔しい。何で親のあんたらが、こんな簡単なことも解らないんだ。
「裕人君ったら、どうしてそんなこと言うのかしら。直哉はちゃんと喜ぶわ」
「そうだよ、滅多なことを言わないでおくれ」
おかしくなった二人には僕の言葉じゃ届かない。直哉、早く来て。
またロープで縛られそうになる。抵抗したけど、小柄で大した運動もしてなかった僕では、力の強いおじさんに簡単に取り押さえられてしまった。おばさんがビニールロープを巻き付けていく。
『裕人っごめん遅くなった!』
手を縛られて次は足、と言う所で直哉が戻った。遅いよ、待ちくたびれちゃったじゃないか。
「直哉っ」
いきなり直哉の名前を呼んだ僕に、二人が顔を向ける。そして僕の見ている方へ視線を動かして、驚きに固まった。
「えっ?」
「紙が、浮いてる」
二人にはそう見えるだろうね。僕に言われた通り直哉は紙とペンを持ってきた。幽霊の見えない人からすれば、紙とペンが独りでに浮いてる状態だ。
「直哉、何か言いたいこと書きなよ」
「裕人君、何を言ってるの?」
「お、おいっ、あれ見ろっ」
おじさんが指差した先、床の上で直哉がペンを走らせる。何枚かに書き殴って、おじさんの胸元に押し付けた。
「これは……」
「直哉、直哉なのっ?」
『裕人、大丈夫かっ』
「うんありがと、縛られただけ」
直哉がビニールローブを解こうと頑張っている。僕はその間、二人の様子を観察した。もしこれで駄目なら、僕に出来ることはない。でも幸い、二人にはその紙が直哉の書いた物だと解ったみたいだ。
「ごめんなさい直哉、私、貴方が喜ぶと思って」
「直哉、何処にいるんだっ。父さんが悪かったっ、出てきてくれっ」
おばさんは泣き崩れ、おじさんは見えない直哉を探して視線をさ迷わせる。正気に戻ったのかな。
「答えてあげなよ直哉」
『でも、二人は裕人のこと、殺そうとしてたのに』
「良いから。このままじゃ収拾つかないよ。それに二人が可哀想でしょ」
小声で直哉を促す。何だか納得行かないって顔だけど、それなら尚更話し合えば良い。自分で抱えてたって、もやもやするだけだ。
『解ったよ』
ああ、これで目的は果たせた。二人と筆談で会話を始めた直哉に、肩の荷が降りた気分になる。リビングに移動することになったが、僕は辞退してそのまま家に帰った。今まで散々直哉と一緒にいたんだ。親子水入らずの時間を邪魔する気は無い。
結局夜になっても、直哉は僕の前に姿を見せなかった。両親と上手く仲直り出来たんだろう。安心した。
翌朝、直哉はいつも以上に嬉しそうな笑顔で現れた。昨日何を話したかとか、夜は帰ることにするとか、色々教えてくれる。直哉の帰る場所を取り戻せて良かった。
この日、僕は直哉が死んでしまってから初めて、心の底からの笑顔を浮かべることが出来た。