始まりの日
その日は梅雨の名に相応しく、朝から雨が降っていた。放課後になっても雨は止まず、じっとり湿った空気の中を僕らは帰る羽目になる。
「雨止まないなぁ。な、裕人、明日も降ると思うか」
長尾 裕人、それが僕の名前。黒い傘を差して、雨の中を歩いてる。そして僕に話し掛けてきたのは横溝 直哉。空色の傘を差して、僕の隣を歩いてる。
一年生の時に同じクラスになって以来、僕と直哉は親友だ。三四年生の時は違うクラスになったけど、五年生でまた一緒になった。六年生はクラス替えが無いから、来年も同じクラスだ。
「天気予報では雨だって。それに梅雨だし、降るんじゃないかな」
朝見た天気予報を思い出しながら言ったら、直哉が不満の声を上げた。校庭で遊べないのがつまらないんだろう。どのみちこの雨じゃ、明日が晴れでも遊べなかったと思うけどね。
「梅雨なんて早く終われば良いのに。雨は嫌いじゃないけどさ、こんなに降ってたら外で遊べないじゃん」
直哉がぶぅたれる。元気が有り余ってる直哉には、雨続きの天気は辛いだろう。僕は部屋で本読む方が好きだから気にならないけど。でも、流石にこの雨はね。
「僕も、梅雨はじめじめするから早く終わってほしいな。降らないと夏場に困るのは解ってるんだけどね」
節水になるとプールの時が大変だ。シャワーの水がほとんど出てこない。
「だよな。あーあ、早く7月にならないかな。そしたらプールだ」
「直哉、いくらなんでも気が早いよ。6月になったばっかりなのに」
来月の話じゃないか。直哉にしてみたらたった一ヶ月なのかもしれないけど、僕にしてみたら後一ヶ月も、だ。
「いいじゃんか、言うのはタダだろ。じゃあな、裕人。また明日!」
曲がり角で直哉が別れた。濡れるのもお構い無しに勢い良く手を振っている。前見ないとまた電柱にぶつかるよ。
「また明日っ」
直哉に見えるように、それなりの大きさで手を振り返す。見えなくなるまでお互い手を振って、僕はまた歩き出す。いつもの通学路を途中で脇道にそれるのが僕の日課だ。
「ただいま、サクさん」
『お~、お帰り裕人』
電柱の所に、甚兵衛姿の男の人が立っている。この人はサクさん。ちょっと透けてるけど良い人だ。ずっと前に死んじゃって以来、ここら辺をさ迷ってるらしい。要するに、幽霊だ。
僕は昔から、何故か幽霊が見える。でも僕の両親は見えない。お祖母ちゃんは見えたらしいから、隔世遺伝って奴かな。この事は今では両親と直哉しか知らない。お祖母ちゃんが、本当に信用出来る人にしか話しちゃいけないって言ったから。
直哉は見えないのを悔しがっていた。僕も、サクさんには会わせてあげたかったから残念だ。サクさんは決まった場所しか動けないから、つまらないと思う。直哉と友達になれたら絶対楽しいのに。
『ちゃんと勉強してたか?』
「僕はね。でも直哉はまた居眠りして怒られてた」
毎日学校の行きと帰りにサクさんと話をする。朝は時間が無いから挨拶だけだけど、帰りはこうやって世間話と言うか、直哉の話をしてる。一日一回は何かやらかすから、ネタに困らないんだよね。
『授業中に居眠りとは。また勉強教えてくれって、泣きつかれるんじゃないか?』
「もうされた。直哉って懲りないんだよね。一年生の時からずっとだもの」
『そう言う裕人は、一年生の時からずっと面倒見てやってるじゃないか。裕人は優しい子だなぁ』
サクさんが頭を撫でてくる。両親にされたら恥ずかしいことでも、サクさんは言ってみれば何百歳のお爺さんだから気にならない。ただ、角度を考えないから腕が傘をすり抜けてて、そっちの方が気になる。
「もぅ、からかわないでよサクさん」
ちょっと傘を引きつつ、ついでに頭を振って手を離す。撫でても良いけど、からかうのは駄目だからね。直哉の勉強見てるのは、そうしないと宿題しないからだよ。あれは吃驚した。先生に向かって宿題やって来てないって平気で言うんだ。
『ごめんごめん。さ、今日は雨だからもうお帰り。風邪を引いてしまうよ』
「うん。じゃあまた明日ね、サクさん」
手を振って見送ってくれるサクさんに、角を曲がる前に一度だけ手を振って別れる。怖い幽霊もいるけどサクさんは優しいから好きだ。見た目はお父さんより若いけど、本当のお祖父ちゃんみたいに感じる。
サクさんと別れて通学路に戻って来た。家まではあとちょっと。五分くらい歩いたら、青い屋根瓦が見えてくる。もっと歩いたら玄関が見えてきて、何故かそこに直哉がいた。傘も差さずに踞ってる。何で家の前にいるの? 傘は何処にやったの?
何で――
「なお、や?」
『裕人ぉ。俺、死んじゃった』
困ったように笑う直哉の身体は、透けていた。
これは、君が消えてしまうまでに過ごした七週間の、その始まりの日。