このエピフォンで吠える
音楽は世界を変える力を持っていると思う。レッドツェッペリンやビートルズなどの有名バンドの登場は当時の人間に多大な影響を与えたし、今なお影響を与え続けている。きっと50年後も誰かに影響を与えるだろう。そんな僕も高校時代ツェッペリンのギタリスト、ジミーペイジの存在を知り感銘を受けた。ただ僕の使用ギターはジミーペイジが使っているギブソンではない。5万円台のエピフォンというメーカーのレスポールだ。ネックの裏に貼ってあった『MADE IN INDIA』のシールは買ってすぐ剥がした。そんな僕は、やはり音楽は世界を変えることができると考えている。僕の歌でこの不条理な世の中を変えることだって出来るのだ。
「価値観の違いって言うのかな?やっぱり私と仁くんじゃ、もう無理かなって思うの。これからは仁くんはバンドに集中して。」
僕―大学2年生の中村仁は、一昨日彼女の春香に振られたばかりだ。ただ僕も冷めていたので世間一般に言う失恋ほど痛手は負わなかった。むしろこれでバンドの練習も増やせるな、と世の中の女性から大ブーイングを食らいそうなことを考えながら、校内の喫煙所で煙草を吸っていた。煙草を吸いながら空を見上げると、吸い込まれそうな青空が広がっている。なにもこんな日に別れ話をしなくてもいいじゃないかと、考えても考えなくてもいいような事を思っていた。
「なんだよ仁。お前春香ちゃんにフられたんだって?」
同じ大学の、そして同じバンドのベーシストでもある山田良が、喫煙所にいる僕を見つけて、こちらへ向かってきた。どこで嗅ぎつけたのだろうか、もう僕が彼女と別れたことを知っているようだった。
「相変わらずお前の情報網はすごいな。どうも春香は俺がギターばっかりに夢中で、放置されてたのが気に食わなかったらしいよ。」
話していてずいぶんと自分勝手な奴だな俺も、と思った。恋人なのだから放置されていたら嫌になってくるのは当たり前だろう。それを見透かしてか山田が言った。
「まぁお前、春香ちゃんと会ってても話すのは音楽のことばっかりだもんな。そりゃ俺が春香ちゃんでも嫌になるって。もっとさ、世の中の恋人が話すような甘い会話とか出来ないのかよ。」
「甘い会話ねぇ…。今日もかわいいねとか、愛してるからヤらせてくれとかか?」
「…お前に恋愛について話した俺がバカだったよ。そもそも俺は春香ちゃんみたいなかわいい子とお前は絶対に不釣合いだと思ってたよ。」
余計なお世話だとは思いながらも、やはり僕と春香は周りから見ても不釣合いだったのだろうなと改めて感じた。春香はスタイル抜群で背が高く―最初にスタイルが上がったのは、やはり僕に下心があったからだろう、顔立ちも整っていていつスカウトされてもいいような人だった。対する僕はと言うと、背こそ180cmあるものの痩せ気味で筋肉もついてなく、髪は無造作に肩まで伸ばし趣味はギターを弾くことくらいしかない。何故春香が3ヶ月前に大して顔立ちも整っていない僕に告白してきたのか、学科の連中やバンドメンバーに言わせてみれば立派な学園七不思議らしい。同じ学科で春香を狙っていた自称イケメンサーファーの上野は罰ゲームに違いないと言っていたが、大学生にもなって罰ゲームで告白なんてことはないだろうし、春香の周りにいた女の子は大人しそうな子が多かったのでやはり罰ゲームではないだろう。
「おう、仁と山田じゃん。そーいえばさ、明日の練習って夕方の6時からだっけ?」
第一校舎から同じバンドでドラマーの相澤雄太が出てきて、すぐ脇の喫煙所にいる僕らを見つけたらしい。相変わらず僕と同じくらい細い体だ。ただ短髪で僕よりも爽やかなのであまり暗い印象はない。その爽やかさが僕との決定的な違いなのだろう。ベースの山田も整った顔立ちをしていて、体には程よく筋肉がついている。きっとデビューしたら、人気はこの二人に持っていかれてしまうだろうなと、してもしなくてもいいような心配をしてみた。そもそも僕らはライブハウスで地道な活動を続けているものの、固定客はついてなくいつも他のバンドに呑まれてしまう形になる。すべての演奏が終わったあとのライブハウスでは、その日来た客がそれぞれバンドの感想を言い合ったりしている。あるバンドのギターの速弾きがすごかったとか、あのバンドはリズム隊がしっかりしているからこれからが楽しみだとか、他のバンドを褒める声は聞こえてくるが、僕らのバンドのこととなるとベースの人の顔が好みなど演奏や曲のことについてはあまり聞いたことがない。要するにデビューなど夢のまた夢の話だ。
「そうだよ。6時にいつものスタジオな。それよりも相澤、仁の奴ついに春香ちゃんと別れたぜ。」
僕が言うより先に山田が言った。この手の話には疎い相澤のことだから相当驚くだろう。何せ僕が春香と付き合ったという話をしたときも「えっ!マジかよ!うわっ!信じらんない!」と漫画のようなリアクションをとった男だ。
「えっ!マジかよ!やっぱり仁みたいな根暗な男と春香ちゃんって組み合わせが間違ってたんだよなぁ。」
前半のリアクションは僕が春香と付き合ったということを知ったときと同じだった。人間はこういう時にボキャブラリーの差が出るのだろう。ただ後半は山田と同じようにやはり僕と春香の不釣合いさのことだった。
「うるせぇ。」
投げやりに言ってみたものの、その言葉は逆に僕の虚しさを際立たせた。
「びっくりしたぁ。友達のライブ見にきたら中村君がいるんだもん。バンドやってるとは聞いてたけど、まさか今日中村君のライブが見れるとは思ってなかったな。ステージに立ってる中村君って普段と全然違うんだね。」
初めて春香とライブハウスで会ったのは大学に入学してから1年が過ぎようとした頃だ。無事1年生の課程を修了し、長い春休みに入った僕はその日都内でライブをしていた。そこで春香と会った。大学というものは高校とは違いクラスの繋がりが薄く、春香と話したのは多分1年前のオリエンテーションの自己紹介以来だった。女の子に縁の無かった僕は多少緊張しながら軽く挨拶だけした。
「あれ?仁にこんなかわいい知り合いいたんだ。こんにちは、俺は山田良って言います。仁と、向こうでアホな顔して煙草吸ってる相澤って奴とハイライトってバンドやってます。よろしくね。」
山田が春香と話している僕を見つけて会話に入ってきた。ちなみにハイライトというバンド名は、ただ単に僕の吸っている煙草がハイライトだったからだ。相澤はシンプルでいいと絶賛したが、山田はもっと洒落たバンド名をつけたかったらしい。しかしこれといった名前が思い浮かばなかったので、結局ハイライトに落ち着いた。
「こんにちは。山本春香って言います。ライブ見ました。バンドってかっこ良いんですね。特に3曲目が良かったです。」
3曲目はPREJUDICEというタイトルで、その名の通り偏見についての歌だ。もちろん僕が作った。ドラムの激しいタム回しと、うねるようなベース、そして思いっきり歪ませたギターの音が混ざった中で僕が反社会的な歌詞を叫んでいる。僕はこの曲を歌っていると、自分の殻を破った感じがして最高に気持ちがいい。ひとしきり話した後―と言っても話していたのは山田と春香だけだったが、春香が帰るというのでそこで別れた。
「なぁ、春香ちゃんってすげー美人だな。お前あんな子が同じクラスとか羨ましいよ。」
山田が春香と話した満足感からかニヤついた表情で言う。
「同じクラスって言っても約1年ぶりの会話だよ。それに山本さんのこと狙ってる人なんていっぱいいるし、さっきの話だって社交辞令だろ。」
「馬鹿、悲しくなるようなこと言うなよ。最初から諦めてたんじゃなんにもできませんよ、中村さん。あそこまで美人だと、逆に男が寄ってこなくて寂しい想いしてるんだって。」
女の子のこととなると山田は妙に説得力があるから不思議だ。ここで経験の差が出るのだろう。僕が同じセリフを言ったところでなんの説得力もないはずだ。
「アソコマデビジンダト、ギャクニオトコガヨッテコナクテサミシイ。」
やっぱり説得力がない。相澤は煙草を吸いながら手で膝を叩きリズムをとっている。
膝ドラムだ。
春休みが終わり大学2年生になった僕は、いつも通り平凡な日々を送っていた。そんなある日、春香と校内であった。2年生になると必修の授業がなくなり、ただでさえ薄かったクラスの人間関係がますます薄くなっていく。そして春香と会うことも必然的に少なくなった。
「久しぶり。あのさ、またライブ行きたいから中村君の連絡先教えてもらってもいいかな?」
先に口を開いたのは春香だった。しかも予想していなかったセリフ。僕があたふたしているとさらに春香が続けた。
「どうしてもさ、この前聴いた曲が頭から離れないの。私、中村君たちがやってるような激しい音楽好きなんだ。」
信じられない。この前のは社交辞令じゃなかったのだ。
「いいよ、番号とアドレス教えるね。山本さんってイメージ的にクラシックとかばっかり聴いてると思ったからなんかびっくりしたよ。」
自分ではすんなり言えたつもりだったが、後で春香から聞いたらこの時の僕は声が上ずっていて面白かったらしい。
「私、クラシックはぜんぜん聴かないの。歌がないとダメでね、だから中村君があんなに激しく歌ってるの見てすごく感動しちゃったって言うか…。」
パーフェクト。何よりもバンドを褒めてくれたのが嬉しい。
「連絡先教えてくれてありがとう。ライブやるときは教えてね。じゃあ授業行かなくちゃいけないからまたね、中村君。」
またね、と手を振ったときの僕の顔は嬉しさのあまり相当アホ面になっていただろう。
そして1週間後の夜電話で告白された。クラスのマドンナ的存在に告白されて僕は当然舞い上がり、即OKの返事をした。そうして僕と春香は恋人になったわけだが、山田が言った通り僕は音楽の話くらいしか出来なくて最終的には春香といることが面倒になってしまった。本当に僕は自分勝手だと思う。だけど、女の子といることに慣れていないため何をするにもいちいち気を遣ってしまうのだ。
話を現在に戻そう。山田と相澤に別れたことを茶化されたあと、家に帰っていつものようにギターを弾いていた。そこで不意に春香をモチーフにした曲を作ろうと思った。自分でも何故そう思ったのかはわからないが、思ってしまった以上作らないと気が済まない。
春香をモチーフにするなら、やはりスローテンポなバラードだろうか。ギターをアンプに繋いで、クリーントーンで適当なコードを弾いてみた。ジャラーン、ジャラーン。いつもバンドでやっているような音とは対照的な音色で僕のインド製エピフォンはコードを鳴らす。ジャラーン。
そこで、ふと思った。春香はバラード調の曲より激しい曲―しかも僕のバンドがやっている誰からも理解されないような叫んでいるだけの音楽、が好きなのだ。僕はアンプをいじり、ゲインを上げ音を歪ませた。
激しく、激しく、激しく。だけど繊細に。僕は春香を思い浮かべながら、インド製エピフォンをさらに激しく弾く。長い間暖めておいたギターのリフを中心に、どんどん曲を広げていく。この曲を春香に聴かせたい。ヨリを戻そうという考えではなく、ただ純粋に春香にこの曲を聴いてもらいたい。春香はどんな顔をするだろうか。きっとこの曲をステージで弾いているときの僕の顔は、気持ち良さそうに笑っている。春香は笑っているだろうか?
僕は考える。音楽で世の中を変えることが出来る。そして、自分を変えることも出来るのだと。ギターを弾いている瞬間だけは、僕の周りには殻が無くなる。きっと過去の有名ギタリスト達は自分の殻を完全に破って、その結果世の中を変えたのだ。
明日スタジオで山田と相澤にこの曲を聴かせよう。そして彼らが僕のギターに合わせて演奏したときにはこう言おうと思う。
「そこはもっと激しく演奏して。だけど繊細にな。」
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