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舐(る)子は、あの

作者: ボーン

題名は勿論アナグラムです。

事情により、以前書いた「流れ落ちる先(上)」に手を加えてこの形にしました。


前verの「流れ落ちる先(上)」を読んでくださった方、有難うございます。そして、申し訳ありませんでした。


雨の日に原付で移動することほど馬鹿らしいことはない。

まして半ヘルだったらなおさらに。

地下駐輪場に愛車を止めた祐二は、濡れた靴で滑りやすい階段をゆっくりと登っていた。数メートル先にある地上出口に見える空は鉛色で、倦んだ気配が広がっていた。雨は、もう一ヶ月も降り続いている。

ここはどこなのだろう。

最近よく浮かんでくる問いを、もう一度繰り返す。

山口祐二の記憶が正しければ、ここは日本で、もっと言えば住み慣れた仙台で間違いないはずだった。

夏が終わると同時に早足で秋が駆け抜け、冷たく澄んだ空と硬質な星の光が冬の訪れを告げる。そういう時期にあるのが通常の姿なのだ。



「山口君。おひさしぶり。」

「待たせちゃってすいません、西宮さん。」


地上出口はアーケードにの中心へと繋がっている。階段を登りきるとすぐに、人ごみの中から山口へとかけられる声があった。

西宮怜は、去年始めた家庭教師のアルバイトでの先輩にあたる。仕事内容の説明会でほんの少し言葉を交わしただけの彼女とは、実に一年ぶりの再会になる。


「わざわざこっちまで出てくるの、大変だったでしょ。山口君て実家若林区って言ってたわよね。」

「いや、あの後引越して一人暮らしになったんで、特に問題はないんですよ。でも、雨ってのはめんどくさいですね。」

「ああ、原付だもんね。車持ってなかったらそうなるかあ。」

「なんでこんな日に講習なんてするんですかね。」

「って言ったって、何時降り止むかもわからないけどね。」


降り続いた雨は、ダムを溢れさせ、作物を洗い流し、山の斜面を切り崩している。氾濫した川に流された人間は、もう何人になるかもわからない。

だが不思議、というか奇妙なのは、世の中にそれほどの危機感がないことだった。それどころか、心のどこかでわくわくしているようにも思えるのだった。歩道の排水路が限界を迎え二センチの泥水が路上を覆っても、その上を歩く人々は雲の上でも歩くようなふわふわとした足取りだった。


「あ、そっちじゃないわよ。こっち曲がった方が近道だから。」


考え事をしていれば、背中から声がかかった。彼女が立ち止まったのに気付かず通り過ぎてしまったらしい。


「すいません」

「別にいいのよ。なにか心配事でもあるのかしら」


こんな非常事態なのに、ないなんてことは無いんじゃないでしょうか。

言っても許されそうな台詞ではあるが、山口は口に出すことはしなかった。心配事にカテゴライズされるのには適さない気持ちだ。


「いえ、なんでもないです」

「それならいいのだけど」


深く追求することも無くアッサリと引いてみせた西宮は、じゃあ急ぎましょうと声をかけ、足を早めた。

「・・・・・・でもこんなときでも説明会って。商売熱心だかそうじゃないんだかわかりませんね。明日の仕事を脅かされるような非常事態にあって、気にするところが間違ってる気がします。もっと別のことを心配したほうがいいんじゃないんですかね。」

「けっこう言うわね山口君て。でも、そういうあなたは何か建設的な心配をしていると言えるのかしら」

「いや、それは、ない、ですけど。」


言葉尻をにごして返せば、西宮はふっと笑った。


「かくいう私も、ないんだけどね。」

「へえ、そうなんですか。意外です。西宮さん、そういうの考えるの好きそうだなって思ってました。」


「気分じゃないのよ」


ううん、語弊があるかしら。

人ごみを抜ける内に多少乱れた長い黒髪を、耳に掛けなおす。


「そういう風に、思考が操作されてるって感じかな。」


きょとん、とした顔をしてしまったのかもしれない。

言い終えて山口に向き直った西宮は、プッと笑った。


「なあに、その顔。ちょっと面白いじゃない。そんな可愛い顔もできたのね。」

「いや、なんかあまりに意外なことを言われたんで、その。」


彼女に似合わない、子供がいいそうなたわ言だと思った。


「いや、別に駄目ってわけじゃないんですけど。」

「いえ、さっきの山口君、明らかに変な人を見る目になってたわよ。」


一瞬だけ可愛かったのに勿体ない。そう言われた。若干照れて、山口は俯いた。


「西宮さんずるいですよ。からかったんですか、もう。」

「別にそういうわけじゃないんだけどねえ。」

「だってそんな突飛なこと。」

「あ、やっぱりそう思ってたんじゃない。山口君こそ誤魔化して。」


雨は未だに降り続いている。が、アーケードの下では、屋根にあたる水滴の硬い音が響くだけだ。

リズミカルとは程遠い乱暴な音を耳に入れながら、山口は確信していた。

彼の心に期待が溢れているのは、誤魔化しようもない事実だった。

そして、ひとつ、思い立った。


「西宮さん。」

「なにかしら。」


急に声の調子を変えた山口に、彼女は戸惑ったように見える。


「今日の講習、どんな内容だか知ってますか。」

「ええ。貴方も知ってる通り、指導方法についての内容が中心となってるわ。いつも通りね。」

「人の命がかかってる状況だったら、後回にされる程度のものですね。」

「・・・・・・」


なにが言いたいの、と目で訴えてみせる西宮は、いつの間にか足を止めて山口に相対していた。


「さっき、地下駐からあがるときに、みずたまりに足を取られて滑って転んだお婆さんがいた――」

「ええっ。なんでもっと早く言わないのよ。」

「――ような、いなかったような。あれ、記憶がはっきりしないんですけど何でですかね。誰かに操作でもされたかな。」


そのように言えば、西宮は、さらに眉を寄せた。


「ちょっと確認しに戻りませんか。でもこの道勾配がちょっと危険なので、今度は遠回りで。」

「要するに、私に話したいことでもあるのかしら?」


まっすぐ向けられた視線は、容赦なしに山口の目を貫いた。

そして、解かれた。


「馬鹿なこと言ってる暇があったら、行くわよ。」

「どこにですか。」

「お婆さんが大変なんでしょ。あ、でも私ピンヒールできたから疲れちゃった。滑るし、坂はもう嫌だわ。」


西宮は、片足をあげて誇示するようにふらふらと振って見せた。


「遠回りって、どう行けばいいのかしら。いい道を頼むわよ。」








喫茶店にて一組の男女が対面している。女性は長い黒髪をまっすぐに垂らし、ピンヒールのかかとで床をコツコツと叩いていた。一方の男性は、まだどこか幼さの名残が見えるようなくりくりとした瞳をした青年だったが、慣れた様子でスーツを着こなし、リラックスした様子で椅子に腰掛けていた。


「さて、私に話ってなんなのかしら、山口君。」

「さっき西宮さんが言ったことが面白かったので。」


楽にしているように見えても実際は緊張しているのか、男の声は若干の緊張を孕んでいた。


「一体なんのことを言ってるのかしら。あなたの口からはっきり聞きたいわ。」

「いじめないでくださいよ。わかってらっしゃるんでしょう。」


男性のすがるような声音は女性に何の変化も及ぼさなかった。仕方なしに青年は言葉を続ける。


「もう一ヶ月、雨が降り続いてます。その影響で多くの人がなくなって、生きている人間にも生命の危機が降りかかっています。」

「そうね。それが?」

「でも、自分も含めて誰も、危機感を持っていないんです。正確に言えば実感していないというべきか、それとも別の感情と置き換えられてると言うべきか。」

「ふうん。その、別の感情ってなんなのかしら。」

「俺の感覚だとそれは、期待と興奮ですね。」

「へえ。」


西宮は相槌を打つが、その声には未だ特別な感情は見られなかった。だが、床を叩くかかとのリズムが上がっている。

彼女の反応を引き出すにはもう少しだ。

山口は核心に入った。


「思考操作」


言い切ると山口は、言葉の意味を強調するように十分な間をとってから続けた。


「そういうのって、この現代日本において考えられるものなんでしょうか。SFとかだと普段摂取する食物に服従剤が入れられていて、何も疑問に思わなくなるとかありますけど。」

「なるほど。私が言った操作って言葉からそこまで発展させて考えたわけね。君ってSFとかそういうの好きそう。」

「いや、好きですけど……。別にそんなことどうでもいいじゃないですか。」

「まあ、そりゃそうね。じゃあ話をもどすけど、私達にそう思わせることで一体誰が得するっていうのかしら。」

「ええと、それはですね――」


山口は押し黙った。考えても該当者がいない、わけではない。そのことを考えようとすると頭の隅が霧がかったようにおぼろげとなり、まともに思考できないこと気がついたためだった。


「わからないです。というよりは、わからないっていう結果が出るまで考えることが出来ません。」

「それはいつから?」

「いつからって言われても、今の今まで気にしたことなかったし、わからないですよ。」

「でしょうね。」


西宮は小さく呟くと優雅に足を組み替えた。


「ちょっと山口君の鞄、貸してくれない。」


さて、と当たり前のように言い放つ西宮に、山口は狼狽した。


「えっ。なんでいきなり。」

「大丈夫、漁ったりはしないから。ほら、早く。」

「ええっ。……まあいいんですけど。」


机越しに黒い鞄を受け取ると、西宮は山口の鞄に手を突っ込んだ。

驚いて留めようとする山口を目で制して、西宮は言った。


「今私は何を出そうとしているでしょうか。」

「漁らないっていったのに結局漁るんですか。出てくるのなんてノートか筆記用具かiPodか財布かそんなもんしかないですよ。」

「よく考えた結果がそれなの?」

「当たり前じゃないですか。」


とは言いつつも、真剣に考えたとは言いづらいので、山口はきちんと思考し直した。先ほどのときのようなもやがかった感じはなく、クリアに思考できる。だが、結果は変わらない。引っ張りだすつもりならばそこには入っていたものがあるはずなのだ。

正解は、そう言って西宮は鞄に入れた手を上に引いた。


「兎でした。」

「ええっ。」

西宮の手には確かに立体に満ち満ちたもこもことした毛並みの兎が治まっていた。


「私達の思考が及ぶ範囲なら、現実はいくらでも作り出せるみたいよ、結構前から。でも他人の思考には干渉できない。そういうふうにできているみたい。この雨も、そうなのかもよ。だから、山口君の言ってることって、見当違いね。」

「すいません。理解力に乏しくて、何を言われているかわからないのですが。」


つまんないことよ、と言いながら、彼女は机に置いた兎の背中を優しくなでた。


「私達一人ひとりが神様、ってことよ。」


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