第九話/例えば今日から王都の生活が始まります。
「……習慣って怖いわぁ」
パッチリ目が覚めたわたしは、静かな朝の空気を感じながらそう独りごちた。少し残って響いているのは、恐らく『時計塔』の鐘の音だろーねー。
そしてちらりと設置してある柱時計を見れば、確かに針は六時を指していた。……うん、今日も変わらずいつも通りだね。
「あ、ふぅ……あー、我ながら緊張感がないというか……」
あくびを出しながら、とりあえずベッドから出る。すると、ふかふかな毛が長くて柔らかい絨毯の感触がして、足が少し気持ち良かった。いやー、流石王城だね、一級品以上しかないわ。
足裏の感触を楽しみつつ歩き、絨毯の端でスリッパを履きさらに移動。ちなみにスリッパも、かなり気持ち良いんだよね。
パタパタと足音を鳴らしてたどり着いたのは、洗面所。朝起きたら、普通は顔を洗うかトイレだよねー。
「……あー、水が気持ち良いなぁ」
キュッと蛇口を捻って出した水を手に受けると、自然そんな声が出た。わたしは、起きてからこうして流水を受けるのが好きなのだ。
そんな感触を楽しみながら、ざばざば顔を洗ってからしゃこしゃこ歯を磨く。
この世界で何が助かったというと、生活水準というか生活に必要な道具がほとんど日本と同じだったということだ。
水道設備は調ってるし、暦の感覚も時間の概念も同じ。歯磨きだって普通に出来るし、お風呂でもシャンプーやリンス、ボディーソープがある。身体もスポンジのようなもので洗う。
全てが丸々同じというわけじゃなくて、歯磨き粉のようなものだし、ボディーソープのようなものなんだけど、感覚的には同じく使えるからたいした問題はない。
まぁそれも、位が高い人間だからこそだと思う。一般の人達まで、全く同じ道具を使えてるかは分からないからね。……そう考えると、日本はホントに裕福な国だと思うわ。
そんな風に考えてトイレまでを済ますと、ちょうど部屋の扉が叩かれた。
「誰ですかー?」
「サフィリアです。王妃様方からのお荷物をお届けにあがりました」
「入っていいですよー」
「失礼いたします」と断りを入れて入ってきたのは、青い髪を持つ若いメイドさんだった。もちろん、なんちゃってメイドさんみたいな短いスカートは穿いてなくて、膝下いくらかのスカートを穿いている。
「おはよ、サフィリア」
「おはようございます、カリン様」
わたしの挨拶に、サフィリアは腰を折って挨拶を返してきた。いやはや、若いのによく出来た人だこと。
このサフィリア、わたしが王城で生活する上でつけられた侍女さんである。わたしは要らないと言ったんだけど、色々不便もあるだろうし、連絡役も欲しいからということで半ば無理矢理つけられた。
ちなみに選定理由は、実力の高さと歳が近いということだってさ。……うーん、微妙に気を使ってもらったみたいだね。色々と。
実はサフィリアとは、昨日の顔合わせでちょっとした出来事があったりする。まぁ、ちょっとした確認事項だけどね。で、その時のことで何か分かんないけど、気に入られちゃったみたいです、はい。
ついでに呼び捨ては、押し切られました。敬称をつけると怒られるんですよ。
「王妃さん達の荷物って、何?」
「はい、こちらになります」
そう言って持ってきたのは、かなり大きな箱だった。それも、三つ。
「……ナニコレ?」
「カリン様の御召し物です。下着、肌着、外出用などの普段着から、晩餐会用、会食用、パーティー用などのドレスまで入っているとのことです」
……ちょい待ち、何か不穏なものが紛れ込んでないかい?
「ドレス? パーティー用? なんでそんなものが入ってるのよ?」
「もちろん、必要になるからです」
いや、ならないならない。普通に考えて、そんなもの着る機会ないから!
「……とりあえず、下着とか普段着とかを出してくれる? あとの服は、しまってくれていいから」
「かしこまりました」
どう見てもマジな目をするサフィリアに、何もかける言葉が浮かばずちょっと投げやりに指示を出す。それにも、サフィリアは折り目正しく礼をして従ってくれた。
……というか、普通に指示を出してるけども、ホントにわたしは一般人なんだろうか? りっちゃん家で慣れてたのもあるんだろうけど、あまりにも順応してるわね。こりゃ、普通の一般人じゃないわ、わたし……。
って、改めて見てみれば、サフィリアが持ってきた箱デカイ! こんなの一人で持ってきたの!?
そんなことを考えて驚きながら、わたしはテキパキと荷物を片付けていくサフィリアを見ていた。正直、それが終わるまで何も出来ないのよ。
結局、そんな見学は十分ぐらいで終わりましたとさ。どんだけ優秀なんだよ、この人。
「えーっと……わたしが着てたみたいな服はある?」
「一応、冒険者などの女性用にミニスカートはありますが、あのような細やかな柄はありません」
「そっか。とりあえず、下着と外着の服をお願い」
「かしこまりました」
相変わらずいい手際で、分けられた中からあまり飾り気の無い黒の下着を渡してくるサフィリア。――おい、よりによってそのチョイスかよ。
少し頬を赤くして差し出してくる下着を受け取り、わたしはリビングから寝室に戻る。流石に、誰か来るかもしれない場所で全裸にはなれないわよ。
ベッドの近くに再び戻ってから、着ていた丈の長いネグリジェみたいなやつを脱ぐ。何故か、昨日寝る前にこれしか渡されなかったのよね。
で、それを脱いだら、支えを失って胸がぷるんぷるん弾んでいた。……ちょっと脱ぐとき、勢い付けすぎたみたい。
一応このネグリジェ、軽くブラジャーの代わりみたいに胸を支えてたからね、脱いだら上半身は完全に裸よ! いや、なんで威張るのかね、わたし。
……なんか、今朝のわたしテンション変だわ。少し興奮してるのかなぁ?
ちょっと首を傾げつつ、ショーツの両脇に手を入れて一気に引き下ろす。ちなみに、今脱いだこの下着もわたしの持参したものじゃなくて、用意してもらったもの。色は白でした。
「うーん、流石王城で用意されたもの。というか、王妃さんが用意したもの。日本に居たとき買ってたやつと、遜色無い以上だわ」
なんだか客人としては、待遇良すぎじゃないかな? なんて考えつつも、別段意見はしない。だって直接肌に触れるんだから、質が良いもののほうが気持ち良いしね。
そんな現金な事を考えながら、新しく用意された下着に着替える。……あれ? そういえば、なんでサイズが良い感じなんだろ?
「これは一回、王妃さん達に問いただす必要がありそうね」
主に情報の入手先とかねっ! 乙女のスリーサイズや体重は、国家機密に匹敵するんだから!
うふふー、どうやって問いただそうかなー。なんて考えながらリビングに戻ると、そこには洋服屋さんみたいに並んでいる様々な服がありました。
「……は? あの、サフィリアさん? これはいったい……」
「――カリン様?」
ひぃっ!? 綺麗な笑顔が怖い! 美人だから凄く怖い!
「さ、サフィリア!」
「はい、なんでしょう?」
「この状況はいったいなんなの!?」
怖がりながらも疑問系でちゃんと質問! 威圧感は引っ込んだけど、一瞬で恐怖を忘れるようなことはありません! それがサフィリアの恐ろしさなのよ!
「カリン様が選びやすいよう、お並べいたしました」
いや、それは大変ありがたいんですが、この長いハンガーラックと大量のハンガーは、いったいどこから出したんですか!?
そんなことをストレートに言葉にして質問すると、
「侍女の嗜みでごさいますわ」
なんて上品な口調で返されました。スマイル付きでね。
だから、とりあえず「不思議不思議〜」なんて思うことで、自分を納得させておく。多分、踏み込んだらいけない領域だと思うから……。
「まぁ、それについては別にいいとして。ありがとね、気を使ってもらって」
「いえ、これも勤めですので。それに、とても素晴らしい目の保養を、させてもいただいておりますから」
ほぅ……っと、どこか恍惚とした溜め息を吐きながら、右頬へ手をあてるサフィリア。微妙に瞳も熱っぽいし……。なんだろう、生唾飲むほど色っぽいとはこのことか?
いや、目の保養って言ったら、こっちも眼福なんだけどさ。同時に少し、貞操の危機というのも感じるよ? だって、サフィリアの目がマジなんだもん。
これはあれだね、肉食な猛獣の前にブロック肉を放り投げたみたいな、猫が鳥を捕まえようとロックオンしたみたいな。一瞬でも目を反らせば、一撃でヤられる!
……父上様、母上様。華凜は、異界の地で純潔を散らせてしまうかもしれません。――女性に。
彼我の距離は約三メートル。恐らく、サフィリアならば一瞬で間合いを詰めてくるだろう。ならばどうする?
下着姿の女子高生対メイドさんという、意味不明な睨み合いが続いていくばくか。ついに狩る者が姿勢を変え、飛び込んでくる予備動作か腕をだらりと下げた瞬間――しかし、救いは現れた!
「だ、誰ですか!?」
「え、エルリファーナですわ、カリン様!」
救いの女神は、第二王女エルリファーナだった!
そう、『救い』とは、『ノックの音』だったのだ! その音を聞いて、サフィリアはハッとした表情になり我に返ったのだ!
……というか、さっきからわたしのテンションが一番おかしいんじゃないか? 妙なナレーションを入れまくってたような気がするけど……。ま、いっか。
「どうぞ、入ってー」
なるべく平静を装って入室を促す。すると扉を開けて、ゆっくりと金髪美少女が中に入ってきた。
「カリン様、今日のご予て……い、は……」
あ、固まった。入っていきなり固まるとか、何がしたいのよこの子ってば。
「も、ももっ申し訳ありませんでしたわっ! 着替えの最中とは、全く気付かずに!」
「いや、別にいいよ? というかわたしとしては、扉を閉めてほしいかな」
「はぅっ。重ね重ね、申し訳ありませんですわ!」
わたしの言葉に顔を赤くしながら、リファーナは慌てて扉を閉めた。うん、流石に下着姿を道行く人に見せるほど、酔狂じゃないわよ。
ちなみにサフィリアは、すでに何もなかったかのような振る舞いをしています。――あ、少し耳が赤い。
「それでリファーナ、何の用?」
まだ少しあわあわしている第二王女を、改めて観察する。
まるで太陽みたいな輝く金髪。アメジストのような紫の瞳。身長は大体アイシアと同じぐらいで、わたしの腕に入る程度。
頭頂部には、ピンと立った三角形のケモノミミ。多分、狐系だと思うね、全体的には髪と同じだけど先っぽが白くてギザミミだし。
体つきはスレンダーで、あんまり胸は無い。けど、逆にそれが似合ってる感じかな? まぁ、本人は気にしてるかもしれないけど、まだ十五らしいからね、これから大きくなるよ……きっと。
「か、カリン様……早く服を来て下さいませ……」
そんな風に観察していたら、リファーナは顔を真っ赤にして俯きながら、小さく声をかけてきた。……微妙に忘れかけてたけど、今のわたしって下着姿じゃんか。
「は、恥ずかしくて、ドキドキしてしまいますわ……」
ミミをピコピコさせながら、両手を頬に当てて俯くリファーナ。
……いや、なんですかこの生き物!? めちゃくちゃ乙女なんですけど! 凄く抱きしめたい!
「リファ〜ナ〜。ちょっとこっちおいで〜」
「え? あ、はい」
おいでおいで〜と手を動かすと、少し心ここにあらずって感じ素直にトコトコ歩いてくるお姫様。だがしかし、今のわたしは食虫植物な気分なのさっ!
「きゃっ!?」
「もう! リファーナ可愛すぎるわよ!」
間合いに入ってきたリファーナを、わたしは真っ正面から思いっきり抱きしめる! そしてそのまま胸に押し付けるようにギューっとして、髪の柔らかい感触とかミミのふわふかな感触を思う存分堪能するのだ!
そうして約二分ほど、お姫様の抱き心地その他を楽しんでから開放すると、リファーナは放心したような雰囲気になっていた。……あれ、やりすぎた?
心の中で謝りながら、とりあえずリファーナをソファーに持っていく。深々と沈んだリファーナの口からは、何故か魂が抜けていく様子が幻視出来た。……ごめんね、リファーナ。でも謝るけど、後悔も反省もしないわよ?
「さて、いつまでもこの恰好で居るわけにはいかないし、早く服を選ぼうかな――って、サフィリア? なんでそんなに悔しそうなのよ」
「気のせいです」
いや、目がすっごく不満を訴えてますけど? でもこれ以上は絶対に薮蛇だと思うから、深く突っ込まず話を切り上げる。
というかね? いい加減何か着ないと、わたしが露出狂みたいなのよ。
そんな感じで、紆余曲折がありつつもようやく服を選びに入って、適当に探し始める。――けど、少しだけ問題があった。
「うーん、個人の趣味の問題だからなんとも言えないんだけど……」
「何か問題が?」
「んっとね、わたしが持ってたミニスカートって、全部柄がチェック……つまり、わたしが穿いてた感じの柄なんだけど、こっちの服って基本的に単色系が多いから」
「それはそうですね。では、カリン様の故郷から買い付けますか?」
「いや、それは無理。それに出来たとしても、そこまで迷惑はかけられないよ」
こんな個人の趣味で、わざわざ用意してくれたものを受け入れないとか、言うつもりもないし。ちなみに、わたしが異世界から来たのは公表していない。色々と面倒になるだろうし、面倒だからという判断である。
「――お」
何かそれでも琴線に触れる物はないかと探していくと、一着のスカートで手が止まった。それはミニスカートじゃなくて、多分足首近くまで隠れるロングスカート。
だけど、淡い緑のグラデーションが凄く綺麗で、何の飾り気が無いからか上品な雰囲気を見せている。――でも、これだとわたしには合わないわね。
「ねぇサフィリア。ここにある服って、全部好きに使っていいの?」
「はい、そうおおせ付かりました」
「じゃあ、切ったりしても大丈夫かな?」
「え? ……恐らく、大丈夫だと思いますが……。王妃様方のお話では、カリン様の持ち物として扱っていいと、おっしゃられてましたし……」
わたしが言いたいことをイマイチ分からないのだろうサフィリアは、疑問を感じているような声ではあるもののしっかり答えてくれた。そしてその答えは、わたしにとって最上のものだった。
わたしの持ち物としてってことは、何をやっても大丈夫ってことだよね? 今のわたしは、そう判断するよ?
「サフィリア、今すぐに裁縫道具を用意して。用意出来る一式、全部お願い」
「かしこまりました」
わたしの指示に、サフィリアはお辞儀をしてから部屋を出て行った。でも、わたしはそれを見送らない。何故なら、頭の中で設計図やらコーディネートやらを考えて、必要になりそうな物を探していたからだ。
やがて方向性を完全に決め、大体必要な物を見繕い終わった辺りで、ちょうどサフィリアが帰ってきた。
一式の裁縫道具を受け取ったわたしは、早速行動を開始。ただ、ミシンが無かったのはちょっと誤算だったかな。この世界の文明は、日本から考えると少しちぐはぐかもしれない。
それからどれぐらいの時間が経ったのか分からないけど、わたしは一心不乱に作業を進行させていき、無事完成させた。
「――よし、イメージ通り!」
出来上がった服を着て、わたしは満面の笑みを浮かべてガッツポーズをする。姿見に映るわたしも、同じくな姿である。
「驚きました……。カリン様は、裁縫もお上手なのですね」
「あはは、昔からやる機会があっただけで、そこまでってわけじゃないわよ」
そう、ただ必要だから、出来るようになっただけ……。そうしなければ、色々と面倒だったからね。
といっても、ここまで本格的に出来るようになった要因には、お兄ちゃんとのり君が関わってきたりするんだけど。……あの二人、不器用だからとか言ってわたしにコスプレ衣装を作らせて、しかもわたしに着させたからなぁ。何の罰ゲームかって感じだったなぁ、当時は。
で、今のわたしの恰好ってのが、ノースリーブの白いシャツに改造した元ロングスカート。何の改造をしたかと言うと、右足の前にバッサリスリットが入っております。大体、腰近くまで。
しかも、常時二センチ程度は開いてるようになっていて、補強や補修などもバッチリしてあるのさ! ちなみに見えても良いよう、しっかりとスパッツみたいなやつを穿いてありますよー。ま、見せびらかすようなことは、しませんけど。
ついでに髪型もいつも通りにして、簪二本挿してあるから出かける準備は万端さっ!
というわけで、未だ魂が抜けているお姫様を起こしましょうかね。