エメラルドグリーンの髪飾りの少女
【語り手:古本都紙魚】
ふへへ、それでは僕からも、とても興味深い——いえいえ、身の毛もよだつこわーい話を……。
みなさんは、夜の街にどんな生き物が徘徊してると思いますか?
ネズミ?
ゴキブリ?
それとも……ニンゲン?
これは都市伝説系の動画配信者から聞いた話なんですが、どうも、それらだけじゃないようなんですよね……。
『篠田林檎さんの怖いお茶会』エメラルドグリーンの髪飾りの少女……お楽しみ下さい。
(ぬぼーっとした古本都紙魚の表情が引き締まり……そして、演技が始まる)
大きなビル群によって隔離された裏路地の飲み屋街は、酔っ払いのえずきと下水の臭いで充満していた。
日頃の鬱憤を洗い流すかのように焼酎とウイスキーを流し込んだスーツの男は、人通りの少ない裏路地を歩いてた。
気持ちのいい夜だ。あとは女の柔肌でもあれば言う事はない。身体の中心に粘つく欲情を抱えながら、雑居ビルのザラザラした壁に寄りかかり、淀んだ目で周囲を見渡す。
ミニスカートの少女が、路地の向こうからゆっくりと歩いて来た。
見るからに蠱惑的な風貌の少女だ。
フリルのついたトップスは胸元の豊満さを誇張し、短すぎるスカートは柔らかな生足を覗かせている。
まるで自分の身体を餌に、夜の海へ釣り糸を垂らしているようだ。バカな男がその餌に食らいつき、逆に財布の中身を喰らい尽くされる。
脱色した髪につけた大きなエメラルドグリーンの髪飾りは、少女の身の丈には合わないほど、下品な輝きを放っていた。
男はしばらく、その匂い立つ美貌に魅入られていた。左胸から押し出された熱い欲情が、足先を通って、ついには脳の毛細血管をも熱く滾らせる。
「ねえ君、大丈夫?」
男は堪らず、目の前を無言で通り過ぎようとした少女を呼び止めた。口の中が渇いて、その一言はひどく滑稽に響く。
少女は何も答えない。
見向きもしない。
「すごく酔ってるよね? フラついてるよ? こんな場所で……危ないんじゃない?」
無言で目の前を通り過ぎた少女に向かって、下心に塗れた言葉を差し出す。
しかし、言葉は地面に転がった。ダラリと下げた両手を力なく揺らし、靴底は地面を擦り続ける。
酒かクスリか……いずれにせよ前後不覚な事だけは確かだった。
このまま放置すれば野垂れ死ぬかもしれないし、誰かが介抱してやねばならないだろう。どこか、人目につかない場所で、肌と肌を重ねながら……。
男は己の欲情を自分勝手な正義で塗り固めた。
少女は歩き続ける。今にも倒れそうにも見えるが、その歩みはいっこうに止まらない。
「あのさ……。危ないから、俺が、送っていくよ……」
男は独りごつと、ゴキブリのような陰湿さで匂い立つようなうなじを追った。
やがて少女は裏路地を抜け、不恰好な集合住宅が乱立する一角へと入り込んだ。
寂れたマンションの影には、より深い夜が横たわる。異様な静けさの中、少女の靴底が地面を擦る音だけが響く。
不気味だ。男の心に隙間風が吹く。
路上に放置された新聞紙が舞い上がるように、数日前に見た地元記事の一文が脳に張り付く。
『N県N市M地区で、行方不明事件が頻発している』
あ、M地区ってこの辺りか――
背筋に悪寒が走った。
しかし男は、それを罪悪感が呼び起こす気の迷いと捉え、再び目の前を歩く少女の後ろ姿を見つめる。臀部から背中そして頸へと、ヌルついた視線を滑らせた。
エメラルドグリーンの髪飾りが、少女の歩調に合わせて小さく蠢く。
蠢く——
やがて少女は立ち止まった。
目の前には古いアパート。
見るからに単身向けの、トタンと錆びた鉄骨で装飾された安物のアパートだ。セキュリティなんて言葉は、ハナから丸めて道端に放り投げている。
一人暮らしか――男は生唾を飲み込んだ。
ならば、咎める人物はいない。細い両腕を押さえつけてさえしまえば、如何様にでも振る舞うことが出来るだろう。
少女は階段を上り始めた。祝福の鐘の音のように、踏みつけられた金属が喘ぐ。
男はその後を追った。ほんの少しだけ残された迷いも、目の前で左右に揺れる臀部の肉感の前では、脆くも崩れ去った。
2階廊下の一番奥、ドアノブに手をかけるとドアは軋みを上げて開く。少女はその隙間から、滑り込むように部屋の中へと消えた。
カギをかける音は――聞こえない。
男もノブに手を伸ばす。回すと、ドアは何の抵抗もなく開いた。
隙間から覗いた部屋の中は薄暗かった。
生ゴミが腐ったような、異様な臭いが鼻腔に突き刺さった。少女はよほどズボラな性格らしいと、男は顔を顰める。
中に入ろうか迷ったが、暗い部屋も鼻をつく臭いも、込み上がる欲情には勝てなかった。
短い廊下の右側にキッチン、廊下の突き当たりにワンルーム。
掃き出し窓のカーテンは開いていた。
そこから漏れ入る夜の街の明かりで、部屋の中はうっすらと輪郭を保っている。
少女は――いた。
部屋の真ん中で、窓の方を向いた状態で、微動だにせず佇んでいた。
靴も脱がずに男は少女の元へと向かう。
欲望の捌け口を目指し、歩く。
臭いはどんどん強くなる。
吐き気を催すほどに。
そして、少女は振り向いた。
首を大きく歪めて、顔だけで振り向いた。
口の隙間からだらしなく垂れ下がった舌。目は左右が別々の方を向き、白眼だけが際立つ。
タスケテ……。
半開きの口が、そう動いた気がした。
髪につけた大きなエメラルドグリーンの髪飾りが蠢く。
髪飾り?
いや、ちがう
あれは、生き物――
たじろぎ視線を泳がせた男は、視界の隅に異様な光景を見た。
部屋の隅に、人間が山のように積み上がっている。
その全てはボロけた毛布のように折り重なり、見開かれた光のない眼球が男に向けられていた。
死体……?
男は漏れ出そうな声を飲み込む。
ヤバい、ヤバい、ヤバい……
脳が警笛を鳴らす。
フラフラと後ずさった男は、床に散乱した物体に足を取られて転んだ。
着いた右手に床とは異なる柔らかな感触。見ると、骨と皮だけになった女の死体が、ぐしゃぐしゃに捻じ曲がって転がっていた。
叫び声すら出ない。
『N県N市M地区で、行方不明事件が頻発している』
不吉なニュースを思い返す余裕など、今の男にはなかった。
目の前に転がる女の腹がモゾモゾと動く。
その蠕動は胸に移り、喉を抜けて、口腔へと至る。
女の口が開いた。
そこには、エメラルドグリーンの巨大な蜂が蠢いていた。
羽音が響く。
男の叫びは、一瞬で途絶えた。
* * *
エメラルドゴキブリバチという寄生蜂がいます。
ゴキブリの脳を操り、巣穴へと誘い、その体内で幼虫を育てるという特殊な生態を持っています。
以前は、ゴキブリ達が我が物顔で闊歩していた夜の世界。
しかし今や、その世界を住処とするのは、ゴキブリだけではありません。
他人の欲を貪る者――
自分の欲で他人を汚すもの――
酒、暴力、金、クスリ、性――
寄生体が、より柔らかくより栄養価の高いゴキブリの存在に気付いた時、新たが進化が促進されたのでしょうか。
やつらは、夜を支配したいという人間の欲が生み出した、怪物なのかもしれませんね。
【語り手:古本都紙魚】
いやあ、実に興味深い寄生バチですよね。
人間に寄生するハチが目の前に現れたら、僕は率先して頭を差し出しますよ。生きたまま虫に操られるって、どんな感覚なんでしょうね。
ふへへ? ダメだって? せめて今あるオファーをこなしてからにしろって?
うーん、どうかなぁ……(にちゃあ)
【あとがき:幕田卓馬】
虫好きの都紙魚くんらしい、虫に関連する怖い話にしました。怪異というよりはクリーチャーものになっちゃいましたが、お許し下さいm(_ _)m




