第7章 開戦の海
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深海前哨基地『リウグウ』のメインモニターで、無慈悲なデジタル数字がゼロを刻んだ。
48時間の猶予が、完全に潰えた瞬間だった。
直後。
世界が、ひっくり返るような轟音に包まれた。
『――ソナーに強烈な反応! 全方位から来ます!』
オペレーターの悲鳴が、警報サイレンを掻き消す。
レーダー画面を埋め尽くしたのは、絶望という言葉すら生温いほどの赤い光点だった。隙間などない。深海の闇そのものが、巨大な殺意の壁となって迫ってきている。
『第一波、高速魚雷群および誘導爆雷! その数、測定不能ッ!』
『連中、最初から島を沈める気満々じゃねえか……!』
通信回線越しに、出撃準備を終えていた鉄男の怒声が響く。
ドローンによる探り合いなどではない。UPFは、アカツキという国家を地図から物理的に消去するための最大火力を、出し惜しみなく叩き込んできたのだ。
ズズズンッ!!
遠方で起爆した爆雷の衝撃波が、分厚い水壁を伝って基地を激しく揺さぶる。
強化樹脂ガラスが悲鳴を上げ、天井から火花が散った。
この圧倒的な物量差を前にしては、通常兵器で構築された防衛ラインなど紙細工にも等しい。
(……行くしかない)
玖珂蓮は、『海神』のコクピットで操縦桿を握りしめた。
気密服の下、胸元の『勾玉』が、まるで主の決断を待ちわびるように脈打っている。
「八咫烏、全機出撃! 基地に一発でも直撃させるな!」
『了解ッ!』
カタパルトから射出された4機の強化外骨格が、漆黒の海へと飛び出す。
だが、蓮の目に飛び込んできたのは、地獄の様相だった。
上方の海域が、白く沸騰している。
サーチライトの光の先、無数の魚雷が、巨大な鮫の群れのように殺到してくるのが見えた。
鉄男のガトリングガンが火を吹き、リンの狙撃が先頭の弾頭を正確に撃ち抜く。ジョゼが電子妨害を最大出力で展開し、誘導システムを狂わせようと試みる。
だが、焼け石に水だった。
一発を撃ち落とせば、その後ろから十発が襲い来る。
回避行動を取る間もなく、鉄男の機体が至近弾の衝撃波で吹き飛ばされた。
『ぐあっ……! 隊長、数が……多すぎ……』
『防衛網、突破されます! 基地への到達まで、あと40秒!』
ジョゼの悲痛な叫びが、コクピットに響く。
終わる。
このままでは、仲間も、背後にある祖国も、海の底で永遠の沈黙を迎える。
蓮は、己の唇を噛み破った。
鉄の味が口内に広がる。
(大国の暴力がなんだ。理不尽な数がなんだ。……俺の仲間を、奪わせるものか!)
それは、人間・玖珂蓮としての最後の足掻きだったかもしれない。
蓮は操縦桿から手を離し、胸元を乱暴に掴んだ。
「システム……! 『零』!」
蓮の咆哮に呼応するように、勾玉が蒼く、暴力的なまでの光を放った。
『――生体ID、玖珂蓮。バイタルサインの異常な昂ぶりを確認』
脳内に、氷のように冷たい少女の声が響く。
「同調レベルを引き上げろ! 重力制御を……広域解放しろッ!」
『警告。現段階での神経接続の深化は、適合者の自我に不可逆的な損傷を与える致死リスクが――』
「構うな! 俺をくれてやる……だから、やれ!!」
◇
その瞬間、世界が反転した。
――ギャリィィィィンッ!!
空間そのものが引き裂かれるような悍ましいノイズ。
それは音ではない。蓮の脳髄に直接叩き込まれた、規格外の「情報」の奔流だった。
「がああああああッ!!」
視界が真っ白に飛んだ。
眼球の裏側に、見たこともない古代文字が、焼き鏝を押し当てられるように次々と刻み込まれていく。
脳細胞の一つ一つが強制的に再起動され、古代兵器の演算ユニットとして造り替えられていく激痛。
(痛い……違う、俺の、俺の記憶が……っ)
過去の記憶が、古代の言語体系によって上書きされていく感覚。
自分が誰なのか。何のために戦っているのか。
その輪郭が、ノイズの海に溶け出しそうになる。
『――制限解除。広域重力制御、展開します』
零の無機質な宣告と共に、蓮の機体を中心とした深海の空間が、異常な変容を遂げた。
ピタリ、と。
荒れ狂っていた海流が、完全に静止した。
『え……?』
ジョゼの間の抜けた声が、遠くで聞こえる。
仲間たちの目前で、信じがたい光景が広がっていた。
基地へと殺到していた何千、何万という魚雷と爆雷の群れ。
それが、蓮の『海神』から放たれた目に見えない巨大な球状の領域に触れた瞬間、空中で完全に停止したのだ。
運動エネルギーの完全な無効化。
現代物理学を真っ向から否定する、神の御業。
「……還れ。無に」
血走った目で、蓮が虚空を睨みつける。
彼の意志は、そのまま兵器の演算プロトコルへと直結していた。
空間が、歪んだ。
ドプンッ、という奇妙に間の抜けた音。
次の瞬間、停止していたUPFの兵器群が、凄まじい勢いで「内側」へと折り畳まれ始めた。
鋼鉄の弾頭が、推進器が、火薬が。
見えないブラックホールに飲み込まれるかのように極小の点へと圧縮され……そして、存在そのものを空間ごと刈り取られた。
◇
静寂。
先ほどまでの狂騒が嘘のように、深海には再び、死のような静けさが戻っていた。
海を埋め尽くしていた死の雨は、欠片一つ残さずに消え去っている。
『……嘘だろ。おい、なんだよ今の……』
『波形、観測不能……全部、消えた……?』
鉄男とジョゼの声が、恐怖に粟立っている。
圧倒的な危機から救われたというのに、彼らの声に歓喜はない。
ただ、自分たちの隊長が振るった、理解を絶する「悪魔の力」に対する純粋な畏怖だけがそこにあった。
(……助かった、のか)
コクピットの中で、蓮は荒い息を吐きながら、モニターの光を見つめていた。
仲間を守り抜いた。基地は無事だ。
だが。
――ザザッ。
「■■■■■、■■■」
突然、蓮の口から、意味を成さない音声が漏れた。
いや、それは彼自身の意志で発した言葉ではない。
古代の言語が、ノイズとなって彼の声帯を強制的に震わせたのだ。
「……っ!? なんだ、今の……」
蓮は慌てて自分の口を覆う。
指先が、酷く冷たい。自分の身体が自分のものではないような強い違和感。
頭の奥底で、あの不協和音が止まることなく鳴り響いている。
それはまるで、蓮という「人間」の領域が削り取られ、空いた隙間に『天の逆鉾』というシステムがどろどろと流れ込んできているような、おぞましい感覚だった。
『……生体回路の定着率、上昇。素晴らしい親和性です、適合者』
零の声が、先ほどよりも一層、蓮の思考の「内側」から響いている気がした。
「黙れ……俺は、俺は玖珂蓮だ。兵器の部品じゃない……!」
誰にともなく吐き捨てたその声は、虚しくコクピットの壁に吸い込まれていく。
仲間を救う代償に、蓮は悪魔との契約を一段階進めてしまった。
大国の理不尽な暴力が、皮肉にも、深海に眠る神の完全なる覚醒を後押ししてしまったのだ。
黒い海の中、蒼く光る『海神』だけが、孤独な神像のようにぽつりと浮かんでいた。
戦端は開かれた。
そして蓮の魂の侵食もまた、もう二度と後戻りできない領域へと踏み込んでいた。
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