第6章 48時間の最後通牒
無機質なデジタル数字が、秒を削り落としていく。
――47:59:58。
深海前哨基地『リウグウ』のメインモニターに赤々と映し出されたその数字は、人類の平和が終わるまでのカウントダウンだった。
『皇国アカツキ政府に告ぐ。これは地球平和連合(UPF)からの最終通告である』
スピーカーから流れる音声は、機械を通したかのように冷徹だった。
ノース・アトランティス連邦の報道官が、全世界に向けて突きつけた最後通牒。
『48時間以内。これが、貴国に与えられた猶予のすべてだ。期限内に未確認古代兵器の完全な引き渡し、およびUPF査察団の無条件受け入れを行わぬ場合――我々はこれを重大な国際法違反とみなし、あらゆる軍事的措置を行使する』
「あらゆる軍事的措置、ね」
ブリーフィング・ルームのパイプ椅子に深く腰掛けたジョゼが、鼻で笑った。
「要するに、島ごと消し飛ばすってことさ。連中の常套句だよ。第一波は成層圏からの軌道爆撃。第二波で弾道ミサイルの雨。降伏のサインを出す前に、国会議事堂はクレーターに変わってる」
「上等じゃないか。やってみろってんだ」
鉄男が壁に背を預け、腕組みをしたまま獰猛な笑みを浮かべる。
「こっちには隊長がいる。あのバケモンみたいなドローン群を、指先一つでスクラップにした『魔法』があるんだ。UPFのミサイルだろうが艦隊だろうが、全部捻り潰してやるよな、隊長?」
鉄男の言葉に、銃の手入れをしていたリンも、無言のまま小さく頷いた。
彼らの眼差しには、絶対的な信頼が宿っている。大国の理不尽な暴力に対する、一矢報いることができるという確信。
その真っ直ぐな視線が、蓮の胸をナイフのようにえぐった。
(……捻り潰す、だと?)
蓮は、テーブルの下で震えそうになる右手を、左手で強く押さえつけた。
彼らには見えていないのだ。
あの時、蓮の脳神経がどれほど焼き切れ、人間としての自我がどれほど削り取られたのかが。
あの力は、使うたびに命を、あるいは魂そのものを燃料として燃やす呪いだ。それを知るのは、実際に古代のシステムと神経接続を果たした蓮だけだった。
『我々は、不当な圧力には決して屈しない』
モニターの映像が切り替わり、皇国アカツキの御門宗一郎首相が大写しになる。
その表情は、大国の恫喝を前にしてもなお、揺るぎない岩のように冷ややかだった。
『我が国が手にしたのは、他国を侵略するための剣ではない。暴力を無効化するための、絶対的な「抑止力」である。UPFが武力による蹂躙を選択するならば、我々はその抑止力をもって、断固たる防衛の意志を示すだろう』
モニターを見つめながら、蓮の視界は暗く歪んだ。
(抑止力。……綺麗な言葉で飾り立てやがって)
首相の言葉の裏にある冷酷な計算が、蓮には痛いほどよく分かった。
首相は、世界を相手にしたポーカーのテーブルに座っている。そして、その手札として切られているのが、他ならぬ玖珂蓮という一個の人間なのだ。
蓮の魂を燃やして発動する異常な現象を盾にして、国家の尊厳を守ろうとしている。
「……少し、外の空気を吸ってくる」
「隊長? ここは深海5000メートルだよ、空気なんて……」
ジョゼの怪訝な声を背中で聞き流し、蓮は逃げるようにブリーフィング・ルームを後にした。
このままあそこにいれば、仲間の純粋な信頼という名の重圧に押し潰されてしまいそうだった。
◇
重厚な隔壁に囲まれた通路を歩く。
鋼鉄の壁の向こう側からは、途方もない水圧が基地を締め上げる鈍い軋み音が絶え間なく聞こえていた。まるで、蓮の心臓を締め付けるプレッシャーそのもののように。
――ズキリ。
不意に、脳の奥底で火花が弾けた。
『海神』を通じてシステムとリンクした際の後遺症だ。古代語の不可解な羅列が、ノイズとなって蓮の視界の端に明滅する。
「……くそッ」
壁に手をつき、荒い息を吐く。
胸元の『勾玉』が、蓮の苦痛を嘲笑うかのように、微かな熱を放っていた。
ふと顔を上げると、解析ドックの扉の前にいた。
自動扉が開くと、そこはすでに異界の様相を呈していた。
空間を埋め尽くすほどの、数百枚のホログラム・ウィンドウ。
その中央で、白衣姿の御門紗良が、虚空のキーボードを狂ったような速度で叩き続けている。
「……御門博士。少しは休んだらどうだ。過労で倒れられては困る」
「休む? 馬鹿なことを言わないで。今、歴史の深淵に手が届きそうなのよ」
紗良は振り返りもせずに答えた。
目の下には濃い隈ができているが、眼鏡の奥の瞳は、異常なほどの知的好奇心にギラギラと輝いていた。
「UPFの最後通牒は聞いたか。あんたの父親は、この兵器で連合軍を迎え撃つ気だぞ」
「ええ、知っているわ。父さんには父さんの盤面がある。でも、私は私の盤面をクリアするだけ。……ねえ玖珂大尉、これを見て」
紗良が指先を弾くと、無数のウィンドウが退き、メインスクリーンに不気味な映像が浮かび上がった。
それは、現代のどんな映像技術よりも生々しく、鮮明な『記憶』の再生だった。
――空を覆い尽くす、幾筋もの光の雨。
大地が悲鳴を上げてひび割れ、海がマグマのように沸騰している。
天を突くような美しい摩天楼の群れが、見えない巨大な力に押し潰され、飴細工のようにドロドロと溶け落ちていく。
逃げ惑う人々の姿は、光に触れた瞬間に影だけを残して蒸発した。
音はない。
だが、その凄惨な光景は、網膜を通じて蓮の脳髄を直接揺さぶった。圧倒的な絶望のヴィジョン。
「……なんだ、これは」
「古代AI『零』のブラックボックスから引き出した、5000年前のアーカイブ映像よ」
紗良の声が、静かなドック内に響く。
「『空白の150年』。隕石衝突説なんて、やはりデタラメだった。彼らは自ら引き金を引いたのよ。この『天の逆鉾』を使ってね」
「自滅……したというのか」
「ええ。美しくて、残酷なまでの自滅。今の私たちと全く同じように、互いの正義と『力』をぶつけ合い、そして全てをガラスに変えた」
紗良は、その絶望的な滅亡の映像を前にして、恍惚と微笑んでいた。
母の命を奪った古代の呪い。その正体を解き明かす快感に、彼女は完全に呑み込まれている。
(狂っている……)
蓮は、足元が崩れ落ちるような錯覚に陥った。
UPFも。首相も。そして目の前の天才学者も。
誰も彼もが、あの圧倒的な力の前に正気を失っている。
5000年前の過ちを、今の世界は一寸の狂いもなくトレースしようとしているのだ。
「博士……あんた、これがどれほど恐ろしいものか、分かっていないのか」
「恐ろしい? ええ、恐ろしいわ。だからこそ惹かれるの。この兵器が『誰』によって創られ、なぜあえて『封印』されたのか。その答えの核心まで、あと少しなのよ……!」
紗良は再びホログラムの海へと没入していく。
もはや、蓮の制止の言葉など、彼女の耳には届いていなかった。
◇
蓮は一人、解析ドックを後にした。
通路の冷たい壁に背中を預け、ずるずると床に座り込む。
――40:15:33。
基地の至る所に表示されているカウントダウンが、無情に時を刻んでいる。
タイムリミットがゼロになれば、連合艦隊がこの海を真っ黒に埋め尽くすだろう。
それを迎え撃つには、蓮が再び『天の逆鉾』のシステムとリンクし、あの恐ろしい重力制御を引き出すしかない。
(次にあれを使えば……俺の自我は、どうなる?)
恐怖が、冷たい汗となって背筋を伝う。
英雄になりたいわけではない。国の尊厳などという大義名分にも興味はない。
ただ、鉄男やリン、ジョゼといった仲間たちを生きて地上へ帰したいだけだ。
しかし、その代償は、蓮自身の人間性の喪失だ。
『……適合者。あなたの決断を、お待ちしています』
幻聴か。
それとも、胸元の『勾玉』から直接響いたのか。
無機質な『零』の声が、逃げ場のない蓮の魂に、甘く冷たく囁きかけていた。
迫り来る全面戦争への重圧と、呪われた力への恐怖。
破滅の秒針は、誰にも止めることはできない。ただ静かに、その時を待っていた。
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