第5章 水面下の火種
深海前哨基地『リウグウ』の格納庫に、重苦しい沈黙が降りていた。
先ほどまでの死闘が嘘のような静寂。
だが、その静けさは安堵によるものではない。得体の知れない「何か」を目の当たりにした者たちが抱く、本能的な畏怖の現れだった。
プシュウゥゥゥ……。
圧縮空気が抜け、蓮の搭乗する『海神』のコクピットハッチが開く。
蓮は、鉛のように重い身体を引きずりながら、タラップへと足を踏み出した。
視界がまだ微かに明滅している。脳髄を焼き切るような痛覚はシステムによって遮断されていたはずだが、神経を強制的に繋ぎ変えられた後遺症は、確かな疲労となって肉体にのしかかっていた。
「……隊長」
タラップの下で、鉄男が立ち尽くしていた。
いつもなら豪快な笑い声を上げて駆け寄ってくるはずの巨漢が、まるで幽霊でも見るかのような強張った目で蓮を見上げている。
その後ろでは、リンが銃を抱えたまま、感情の読めない瞳でこちらを注視していた。
「無事か、お前たち」
蓮の掠れた声が、格納庫に響く。
鉄男は弾かれたように我に返り、一歩前に出た。
「俺たちは、ピンピンしてますよ。……隊長こそ、なんだよアレは」
「……」
「ドローンの群れが、一瞬で消えちまった。魔法か、それともバグか? あんた、一体あの機体で何をしたんだ?」
鉄男の声には、戸惑いと、隠しきれない恐怖が混じっていた。
無理もない。
彼らが信じてきた現代兵器の常識を、蓮が引き出した「古代の力」は根底から覆してしまったのだ。
(……俺は、化け物を見られているんだな)
蓮は自嘲気味に目を伏せた。
仲間を守るために使った力が、仲間との間に決定的な断絶を生んでしまった。
自分はもう、彼らと同じただの人間ではない。『天の逆鉾』という狂気のシステムに組み込まれた、一つの生きた歯車なのだ。
「隊長を質問攻めにするのは後にしてくれない?」
張り詰めた空気を割って入ってきたのは、ジョゼだった。
彼女は片手にタブレット端末を持ち、もう片方の手で蓮の肩を支えた。
「ほら、隊長の顔色、最悪だよ。限界超えてる。まずは休ませないと」
「あ、ああ……そうだな。悪い、隊長。俺、気が動転してて……」
鉄男がバツの悪そうに頭を掻く。
リンも無言で頷き、背を向けた。
「ジョゼ、俺は……」
「喋んなくていいから。あんたがヤバい橋を渡ったことくらい、見りゃ分かる」
ジョゼの横顔は、いつになく真剣だった。
彼女に支えられながら、蓮は基地の奥へと歩みを進める。
だが、安息の時間は、この深海の底にすら用意されてはいなかった。
◇
医務室へ向かう途中、ジョゼのタブレットがけたたましい警告音を鳴らした。
「……ッ、何だこれ」
ジョゼの足が止まる。
彼女は画面に目を落とした瞬間、顔色をサッと変えた。
「隊長。休んでる暇、なくなったかも」
「どうした?」
「基地の通信網に引っかかった。微弱な暗号化パルス。……さっきのドローン群が、全滅する直前に本国へ送信したデータログの返しだ。モニタールームへ行くよ」
薄暗いモニタールームに飛び込むなり、ジョゼはメインコンソールに自身の端末を接続した。
猛烈な勢いでキーボードを叩き始める。
その指先の動きは、異常だった。
蓮も電子戦の基礎訓練は受けているが、彼女が今展開している解読プロトコルは、軍の標準マニュアルの範疇を完全に逸脱している。
まるで、UPFが誇る最高機密レベルの軍事暗号の「癖」や「裏口」を、あらかじめ知り尽くしているかのような滑らかさ。
「ジョゼ、お前……ただの亡命兵士にしては、手際が良すぎるぞ」
「ビンゴ。暗号鍵、突破。……映像、引っ張り出せるよ」
ジョゼは蓮の疑問を意図的に無視するようにエンターキーを叩いた。
巨大なスクリーンに、ノイズ走る映像が投影される。
それは、どこかの司令室の監視カメラ(セキュリティ・フィード)を逆探知してハッキングした、リアルタイムの映像だった。
「ここは……」
蓮は息を呑んだ。
壁面を隙間なく埋め尽くす巨大なモニター群。そこに映し出されているのは、皇国アカツキの衛星写真と、先ほど蓮がドローン群を圧縮した際の異常なエネルギー波形だった。
見覚えのある軍服。UPF総司令部の中枢だ。
スピーカーから、ざらついた音声が流れ込んでくる。
『――波形解析、完了。出力値、測定不能。既存の核兵器の熱量パターンとは全く異なります』
オペレーターの無機質な報告。
『重力場そのものが極地的に歪曲し、対象が「消滅」しました。……アカツキは、未知の超兵器を実戦投入した模様です』
画面の奥、指令席に座る初老の男のシルエットが動いた。
映像の解像度は荒いが、蓮にはその男に見覚えがあった。UPF最高司令官、ヴォルフガング・シュミットだ。
『……クリーンエネルギー、だと? やはり、あの島には化け物が眠っていたか』
ヴォルフガングの冷笑が、通信回線越しにモニタールームへと響く。
『第一、第二迎撃フェーズをスキップしろ。あれは、人類が手にしてはならない代物だ。我々が管理するか、あるいは――島ごと海に沈めるかだ』
『閣下、では……』
『ああ。包囲網を狭めろ。次なる手駒を動かす準備を急げ』
映像が、ふっと途切れた。
強制切断。向こうのファイアウォールが逆探知に気づき、回線を物理的に遮断したのだ。
モニタールームには、再び重い沈黙が降りた。
蓮は、黒く染まったスクリーンをただ見つめていた。
UPFは、アカツキの動向を完全に監視し、執拗なまでに警戒を強めている。
あの圧倒的な力を見せつければ、敵は怯むかもしれないというわずかな希望は、完全に打ち砕かれた。
逆に、大国たちの恐怖心に火をつけ、本格的な蹂躙へのカウントダウンを早めてしまったのだ。
「……聞いたでしょ、隊長」
ジョゼが、コンソールに手をついたまま呟いた。
その声は、いつもの飄々としたものではなく、ひどく冷め切っていた。
「あれが、UPFの本気だよ。連中は、自分たちが理解できない力は絶対に許さない。……次は、ドローンなんて生温いものじゃない。本物の『戦争』が来る」
静かな水面下で、絶望の包囲網が敷かれようとしていた。
蓮は胸元のペンダントに触れた。
冷たくなっているはずの『勾玉』が、まだ蓮の体温を奪うように熱を帯びている気がした。
(俺が力を使えば使うほど、この国は破滅に近づくのか……)
適合者としての証明は、同時に、世界を滅亡へと導く切符でもあった。
だが、立ち止まれば仲間が死ぬ。
蓮はぎゅっと目を閉じ、大きく息を吐き出した。
自分が人間であり続ける道は、あの暗黒の海の中に置いてきた。ならば、彼が為すべきことは一つしかない。
(仲間を守るためなら……俺が、あの呪われた化け物になるしかない)
それは、自分自身へのかけがえのない呪いだった。
水面下の火種は、もはや消すことのできない業火となって、彼らの足元を焦がし始めていた。
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