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零の抑止力 ―遺された神の鉄槌―  作者: 酸欠ペン工場


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第4章 適合者の証明

 深海の闇が、無数の閃光によって切り裂かれていた。

 無音の世界であるはずの海底が、今や鋼鉄が爆ぜ、ひしゃげる暴力的な振動に支配されている。


『――クソッ、ウジ虫みたいに湧いてきやがる!』


 通信ウィンドウ越しに、鉄男が毒づく。

 彼の搭乗する重火器仕様の『海神』が、両腕のガトリングガンから猛烈な勢いで徹甲弾をばら撒いていた。海水を沸騰させながら放たれる弾幕が、接近してくるUPFの無人潜水ドローンを次々と粉砕していく。


 だが、多勢に無勢だった。

 5機落とせば、新たに10機が暗闇から湧き出してくる。


『隊長、右舷から回り込まれる! 私の電子妨害ジャミングも、もう限界だよ!』


 ジョゼの悲鳴に近い声が響く。

 UPFの戦術AIは優秀だ。こちらの防衛網のほころびを瞬時に計算し、統制の取れた群れとして殺到してくる。


「ジョゼ、後退しろ! リン、援護を――」

『……残弾ゼロ。予備兵装に切り替える。でも、もたない』


 氷のように冷たいリンの声にも、隠しきれない焦燥が混じっていた。

 防衛ラインは完全に崩壊しかかっている。

 あと数分。いや、数十秒で、八咫烏は物量の波に飲み込まれ、海の藻屑となるだろう。


(……ここまでか)


 蓮は操縦桿を握る手に力を込めた。

 通常兵器としての『海神』の性能は限界を引き出している。蓮自身の操縦技術も完璧だ。だが、圧倒的な数を前にしては、個人の技量など砂上の楼閣に過ぎない。


『隊長! ここは俺が盾になる! あんたらは基地へ――』


 鉄男の機体が、蓮とジョゼの前に躍り出た。

 弾切れとなった巨大な銃身を投げ捨て、分厚い装甲だけでドローン群の突進を受け止めようというのだ。


「馬鹿野郎、下がるんだ鉄男!」


 蓮の怒声も虚しく、先頭のドローンが放った魚雷が、鉄男の機体の直近で爆発した。

 激しい衝撃波。

 アラートがけたたましく鳴り響き、モニター越しの鉄男が苦痛に顔を歪める。


 このままでは、仲間が死ぬ。

 自分が率いてきた、かけがえのない部下たちが。


 ――ドクン。


 蓮の胸元で、気密服の下にある銀のペンダントが、ひどく熱を持った。

 まるで彼の絶望を喰らって喜んでいるかのように。


(……力を使えとでも言うのか)


 蓮は奥歯を噛み締めた。

 『勾玉』と呼ばれる古代のデバイス。これを通じて『天の逆鉾』のサブシステムとリンクすれば、この窮地を脱する手段が手に入るかもしれない。


 だが、それは人間であることを捨てるに等しい行為だ。

 得体の知れない古代の呪いに、己の精神と肉体を明け渡すということ。

 何より、忌み嫌っていた「絶対的な兵器」に、自分自身が成り下がることを意味していた。


『隊長……装甲、もたねえ……ッ』


 鉄男の呻き声。装甲の軋む音が、蓮の鼓膜を容赦なく叩く。


 葛藤は、一瞬だった。

 己の矜持と、仲間の命。天秤にかけるまでもない。


「……ジョゼ、鉄男を回収して下がれ。リンもだ」

『隊長!? あんた、どうする気……』

「命令だ!!」


 蓮の咆哮に、通信回線が静まり返る。

 彼は操縦桿から片手を離し、気密服の胸元を強く握りしめた。

 その奥にある、熱を帯びた『勾玉』ごと。


「システム。……『勾玉』との同調プロトコルを起動しろ」


 蓮がそう口にした瞬間だった。


          ◇


 バチッ!!


 網膜の裏側で、青白い火花が弾けた。

 コクピットの計器類がショートしたわけではない。蓮の視界そのものに、物理的なノイズが走ったのだ。


「ぐ、が……ああああッ!!」


 自らの喉から出ているとは思えない、獣のような悲鳴がコクピットに反響する。

 脳髄に直接、灼熱の鉛を流し込まれたような激痛。ニューロンが次々と焼き切れ、新たな回路へと強制的に繋ぎ変えられていく。


 それは、蓮の脳波を古代語に翻訳し、増幅するための容赦ない初期化だった。


 鼻孔を突くのは、肉が焦げるような異臭。

 幻覚か、それとも実際に自身の脳が焼け焦げているのか、蓮にはもう判断がつかない。ただ、圧倒的な情報量が、濁流となって精神を侵食してくる。


 ――べべん。


 あの和楽器のような不協和音が、今度は頭蓋骨の内側で直接響いた。


『――生体ID、スキャン完了』


 冷たく、感情の欠落した少女の声。自律AI『零』の音声が、ノイズまみれの脳内に染み渡る。


神経接続ニューラル・リンク、臨界点に到達。……適合遺伝子の完全な同期を確認しました』


「ふ、ざけるな……勝手に、人の頭の中を……ッ」


 蓮は血の味がするほど唇を噛み破り、両目から一筋の血を流しながら、目の前の虚空を睨みつけた。


『判定を下します。……個体名、玖珂蓮。あなたを、3人目の適合者として正式承認』

『古代兵器「天の逆鉾」、重力制御システムの限定解放を許可します』


 その瞬間、痛覚がシステムによって強制的に遮断された。

 代わりに蓮の全身を満たしたのは、万能感にも似た、おぞましいほどの「全能の力」だった。


          ◇


 モニター越しに見える世界から、唐突に「重さ」が消え去った。


『な……んだ、これ……』


 通信機から、退避していた鉄男の呆然とした声が漏れ聞こえる。

 彼らの目前で、物理法則が音を立てて崩壊していた。


 蓮の乗る『海神』を中心とした半径数百メートルの空間。その領域だけ、海水の流れが完全に静止している。

 まるで目に見えない巨大な球体が、深海の圧力を完全に遮断しているようだった。過度な空間歪曲が、周囲の空間構造そのものを不安定化させている証左だ。


「……消えろ」


 コクピットの中で、蓮が静かに呟く。

 操縦桿は握っていない。彼の思考がそのまま機体の挙動となり、さらには周囲の「重力」そのものを支配していた。


 蓮の意識に呼応し、青白い光の球体が収縮する。

 その領域内に捕らえられていた60機近いUPFのドローン群が、一瞬にして見えなくなった。


 破壊されたのではない。「存在しなかったこと」にされたのだ。

 重力のベクトルが一点に向かって無限大に働き、ドローンを構成していた鋼鉄も、推進剤も、爆薬も、すべてが極小の点へと圧縮され、次元の彼方へ消え去った。


 凄まじい水圧の揺戻しにより、海水が断末魔のような音を立てて渦を巻く。

 弾薬も、戦術も、数も。

 そんなものは、この古代の「魔法」の前では何の役にも立たなかった。


『……隊長? 今の、は……?』


 ジョゼの声が震えている。

 それは、未知の現象に対する純粋な恐怖だった。共に戦ってきた信頼すべき隊長が、突然、理解の及ばない「神」のような力を振るったのだ。その畏怖は計り知れない。


 数分後。

 深海には再び、完全な静寂が戻っていた。

 周囲の海水はまだ不自然に歪み、熱を帯びている。


 圧倒的な勝利。

 だが、蓮の心に歓喜はない。


 コクピットの中で、蓮は荒い息を吐きながら、血にまみれた自分の両手を見つめていた。指先が、小刻みに震えている。


(俺は……なんてことを……)


 脳裏に焼き付いた火花の残滓が、まだチカチカと明滅している。

 失われた人間性。自分が世界を滅ぼしうる「兵器」の同類であるという、取り返しのつかない証明。


 仲間を守るために引いた引き金は、彼自身の魂を決定的に汚染してしまった。


『……素晴らしい演算能力です、3人目』


 頭の中で、零が無感情に賞賛する。

 蓮はその声に答える気力もなく、ただ深い、暗い絶望の底へと沈んでいくような感覚に身を委ねていた。

 神の力を手にした代償は、あまりにも重かった。

お読みいただき、ありがとうございました!

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