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零の抑止力 ―遺された神の鉄槌―  作者: 酸欠ペン工場


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第2章 禁忌の解析

――べべん。

 ――べん、べべん。


 耳鳴りではない。

 それは、電子音の羅列で構成された現代のシステム音とはあまりに異質な、有機的で、どこか呪術的な響きだった。

 張り詰めた弦が弾け、空気が震えるような、琵琶や琴に似た不協和音。


「……ッ、ぐ」


 玖珂蓮は、割れるような頭痛と共に覚醒した。

 視界がぼやけている。

 深海特有の冷たい空気が肺を満たす感覚で、ここがまだ海底の解析ドックであることを理解した。


(俺は……気絶していたのか?)


 記憶がフラッシュバックする。

 ペンダントの発熱。流れ込んできた情報の濁流。そして、少女の声。

 身体を起こそうとすると、指先が痺れて思うように動かない。神経回路が過負荷で焼き付く寸前だったのだ。


「気が付いた? 意外とタフね、玖珂大尉」


 背後から、興奮を抑えきれない声が掛かる。

 御門紗良だ。

 彼女は蓮の体調を気遣う素振りも見せず、空中に展開された数十枚ものホログラム・ウィンドウに埋もれるようにして作業を続けていた。


「状況は……」

「見て。この波形、美しいと思わない?」


 紗良が指先で弾いたウィンドウが、蓮の目の前に滑ってくる。

 そこに表示されていたのは、複雑怪奇なエネルギーの流動グラフと、ある地層断面の比較データだった。


「この兵器の動力源、理論的には『相転移エネルギー』に近いわ。でも、出力の桁が違う。現代の核融合炉なんて、これに比べればマッチ棒の火遊びよ」

「俺が聞いているのは、そんな学会発表じゃない。……あの『音』はなんだ」


 ――べべん。


 再び、ドック内のスピーカーから乾いた音が鳴る。

 それは警告音のようでもあり、あるいは何かの到来を告げる神楽のようでもあった。


「OSの起動音よ。信じられる? 電子信号じゃなくて、特定の周波数の『音』そのものをトリガーにして演算処理を行っているの。まるで楽器を奏でるようにシステムを制御している」


 紗良は恍惚とした表情で、眼鏡の位置を直した。

 だが、次の瞬間、彼女の声色は急激に温度を失う。


「でも、本当に驚くべきはそこじゃない。……大尉、あなたは歴史の授業で『空白の150年』を習ったわよね?」

「ああ。5000年前、世界中の地層がガラス化し、文明が断絶した期間だ」

「そのガラス化した地層から検出される微粒子と、今この『天の逆鉾』が放出しているエネルギー残滓……スペクトルが完全に一致したわ」


 蓮は息を呑んだ。

 その意味するところは、軍人でなくとも理解できる。


「つまり……こいつが、やったのか」

「ええ。隕石衝突説なんて、ただの希望的観測だったのよ。5000年前の世界を焼き尽くし、人類を一度リセットしたのは、間違いなくこの兵器だわ」


 紗良は淡々と、しかし決定的な事実を告げた。

 彼女の瞳には、科学者としての知的好奇心と、パンドラの箱を開けてしまった人間特有の戦慄が同居していた。


「政府はこの事実を知っているのか?」

「さあね。でも、父さん……総理なら、薄々は勘付いているでしょうね。その上で、彼は『これ』を使うつもりだわ」


 紗良の言葉が終わるか終わらないかのタイミングだった。

 艦内放送のインジケーターが赤く点灯する。


『――総員、傾注。本国より緊急放送が入ります』


 ジョゼの声だ。いつもとは違う、硬い声色。

 メインモニターが切り替わり、そこには皇国アカツキの国旗を背にした一人の男の姿が映し出された。


          ◇


 皇国アカツキ首相、御門宗一郎。

 「非核の誓い」を掲げるこの国の指導者は、穏やかながらも、決して揺らぐことのない鋼の眼差しでカメラを見据えていた。


『親愛なる国民、ならびに世界中の友邦へ告ぐ』


 宗一郎の声は、深海にいる蓮たちの耳にも、そして衛星回線を通じて世界中のリビングルームにも、等しく届いていた。


『本日未明、我が国の海洋調査隊が、排他的経済水域内の深海にて、未知の古代遺跡を発見した。……それは、枯渇しつつある化石燃料に代わる、無尽蔵かつクリーンな「新エネルギー」のプラントであると判明した』


(……新エネルギー、だと?)


 蓮は拳を握りしめた。

 嘘だ。

 いや、嘘ではないが、致命的な真実を隠蔽している。

 これはエネルギー・プラントなどではない。世界を一度滅ぼした、虐殺の道具だ。


『我々皇国アカツキは、この天恵を独占するつもりはない。平和利用の技術が確立され次第、全世界へ共有する用意がある。しかし――』


 宗一郎は一呼吸置き、カメラのレンズ越しに、世界を威圧するかのような沈黙を作った。


『この平和利用を妨げ、武力によって奪取を試みる勢力に対しては、断固たる措置を取る。我々は非核宣言国であるが、自国の尊厳を守るための「力」を手にしたことを、ここに宣言する』


 それは事実上の、核保有連合(UPF)への宣戦布告に近い牽制だった。

 「弱者」と侮られてきた羊が、突然、狼の牙を剥いた瞬間だった。


          ◇


 大西洋、ノース・アトランティス連邦。

 地球平和連合(UPF)総司令部。


 無機質な作戦会議室で、その放送を見ていた男が一人。

 UPF最高司令官、ヴォルフガング・シュミットである。

 彼は上質なワインを揺らすように、手元のグラスを弄びながら、モニターの中の宗一郎を冷笑した。


「クリーンエネルギー、か。……三文芝居だな」


 ヴォルフガングの背後には、すでに解析班が弾き出したデータが表示されている。

 深海から観測されたエネルギー反応は、通常の発電プラントのそれを遥かに凌駕していた。

 あれは、明らかに「破壊」を目的とした出力だ。


「条約違反の新型兵器と見て間違いないでしょう。閣下、即刻攻撃命令を」


 副官が息巻くが、ヴォルフガングは片手でそれを制した。


「焦るな。まずは『調査』だ。アカツキは一線を越えた。……秩序を乱す『力』がどれほどのものか、見極める必要がある」


 彼の眼光が鋭くなる。

 それは、獲物を弄ぶ猛禽類の目だった。


「第四、第七艦隊を太平洋へ回せ。演習名目で構わん。……奴らがその『おもちゃ』の使い方を覚える前に、たっぷりと圧力をかけてやる」


          ◇


 再び、深海5000メートル。

 放送が終わり、再び静寂――いや、あの不気味な和楽器の音が支配する空間へ戻った。


 蓮は、モニターを見つめたまま動かない紗良に歩み寄る。


「……満足か、御門博士。あんたの父親は、この兵器を盾にして世界と渡り合うつもりだぞ」

「父さんは政治家よ。利用できるものは何でも利用する」


 紗良は顔を上げない。だが、その声は微かに震えていた。

 彼女もまた、自分の解析結果が招いた事態の大きさに、恐怖を感じ始めているのだ。


「でも、私は学者だわ。このシステムの真実を……五千年前の彼らが何を考え、なぜ滅びたのかを知るまでは、ここを動かない」


 その横顔は、頑固で、そして危うい。

 知的好奇心という名の麻薬に侵されているようにも見えた。


 蓮はため息をつき、視線を巨大な兵器の中枢へと向けた。

 闇の中に浮かび上がる、幾何学模様の光。

 その奥から、何か、粘着質な「視線」を感じる。


(……見ているのか?)


 誰が?

 AI『零』か。

 それとも、この兵器に宿る、かつての神々の亡霊か。


 ――べん。


 また一つ、琴の音が響く。

 それはまるで、蓮の心臓の鼓動に合わせてリズムを刻んでいるかのようだった。


「玖珂大尉」


 通信機から、ジョゼの声が届く。先ほどまでの硬さは消え、いつもの軽薄さを装っているが、その裏に隠しきれない焦燥が滲んでいる。


「ソナーに感あり。……お出ましだよ。UPFの潜水艦だ。聴音データ照合……間違いない、ノース・アトランティスの『シーウルフ』級だね」


 早すぎる。

 いや、最初からマークされていたのだ。

 宗一郎の演説は、火に油を注いだに過ぎない。


「……こちら八咫烏。状況を開始する」


 蓮は、軋む体を無理やり動かし、愛機である水中用強化外骨格のコクピットへと向かった。

 ペンダントが、熱い。

 まるで、「早く血を吸わせろ」と急かすように、胸元で脈動を続けていた。


 禁忌の扉は開かれた。

 もう、後戻りはできない。

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