第1章 眠れる神の目覚め
――海は、すべてを飲み込み、そして隠蔽する。
西暦2126年。皇国アカツキの排他的経済水域内、その深海五千メートル。
探査灯の蒼白い光が、濃密な闇を切り裂いた。
そこに浮上したのは、岩礁でも沈没船でもない。
人工物であることを拒絶するような、圧倒的な「質量」の塊だった。
「……これが、神話の終着点か」
潜水艇のモニターを見つめ、玖珂蓮は低く呟いた。
鋭い眼光が、画面に映し出された巨大な影を射抜く。全長数キロ。深海の高圧にさらされながらも、その表面には傷一つない。
それは五千年の時を経てなお、獲物を待つ捕食者のように静まり返っていた。
皇国アカツキ国防軍、特殊任務部隊『八咫烏』。
蓮が率いるこの部隊に下された密命は、この遺物の「警護」だ。
だが、蓮の心中には、任務への忠実さとは裏腹に、どす黒い嫌悪感が渦巻いていた。
(……気味が悪い。こんな化け物を動かせるのが、世界で俺だけだというのか)
蓮は無意識に、首元から下げた銀のペンダントを握りしめる。
代々「遺跡守護の一族」として育てられた彼にとって、古代の遺物は崇めるべき神体ではない。
いつ神経を焼き、魂を侵食するか分からない、忌むべき「呪い」だった。
「隊長、そんな怖い顔しないでよ。せっかくの歴史的瞬間なんだからさ」
通信回線から、軽薄な、しかし頼りがいのある声が響く。
僚機を操るジョセフィン・“ジョゼ”・レイカーだ。
元連合軍の亡命者という異色の経歴を持つ彼女は、蓮の隣で不敵な笑みを浮かべているのが目に見えるようだった。
「ジョゼ、周囲の警戒を怠るな。UPFの哨戒網がいつここを察知してもおかしくない」
「分かってるって。でもさ、これだけデカいのが目覚めようとしてるんだ。隠し通す方が無理があると思わない?」
ジョゼの指摘は正しい。
この巨大兵器――『天の逆鉾』が放つ未知のエネルギー反応は、すでに世界中の観測網を刺激し始めている。
潜水艇が遺物の中枢、解析ドックへと接舷する。
ハッチが開くと、そこにはすでに先客がいた。
「遅かったわね、玖珂大尉」
白衣を纏い、知的な眼鏡の奥で瞳を輝かせている女性。
皇国首相の娘にして、量子考古学の若き天才、御門紗良だ。
彼女は蓮の視線を一瞥もせず、空中に浮かぶホログラム・ディスプレイに指を走らせていた。
「御門博士。状況は?」
「最高よ。この兵器……いえ、このシステムは、私たちの想像を遥かに超えている」
紗良の言葉には、狂信的なまでの熱がこもっていた。
だが、キーボードを叩く彼女の指先は、微かに震えている。
かつて母の命を奪った古代遺跡の残照が、その瞳の奥に恐怖として焼き付いているのを、蓮は見逃さなかった。
「解析が済んだら、すぐに封印の準備に入る。これが世に出れば、均衡は崩れる」
「歴史は超えるためにある。これは人類への最後の警告よ」
二人の間に、冷たい火花が散る。
相容れない二人の視線が交錯した、その時だった。
――カチリ。
重厚な金属音が、深海の静寂を震わせた。
「……ッ!?」
蓮の胸元。ペンダントが、唐突に熱を帯びた。
それは脈打つような蒼い光を放ち、蓮の心音と同期していく。
「何……? システムが、勝手に……」
紗良が驚愕に目を見開く。
彼女の操作を無視して、巨大な遺跡の壁面が脈動を始めた。
現代の機械音とは異なる、和楽器のような不協和音が空間を支配する。
蓮の視界が、急激に歪んだ。
「ぐ、あああああッ!」
脳内を直接、焼灼されるような激痛。
「勾玉」を通じて流れ込む古代語の奔流が、蓮のニューロンを焼きにかかる。
(なんだ……これは……言葉か? 脳が、書き換えられる……!?)
『……適格性判定を開始します』
どこからともなく、無機質な少女の声が響く。
蓮の目の前に、ホログラムの残像が浮かび上がった。
透き通るような肌をした、古の少女の姿。自律AI『零』。
彼女は感情のない瞳で蓮を見つめ、静かに宣告した。
『起動。――天の逆鉾、覚醒します』
刹那、海底から巨大な震動が巻き起こった。
深海に差し込んでいた細い探査灯の光など、瞬時にかき消される。
重力制御の余波が空間を歪め、海水が沸騰したかのように激しくのたうった。
◇
――同時刻。地上。
皇国アカツキ首相・御門宗一郎は、緊急入電を受けたモニターを冷徹な目で見つめていた。
「ついに目覚めたか。……全ては、この国の尊厳のためだ」
彼の指示により、その映像は「新エネルギーの発見」として、全世界のネットワークへ一斉に配信された。
◇
地球平和連合(UPF)の司令室。最高司令官ヴォルフガング・シュミットが立ち上がる。
「秩序を乱す力は、一刻も早く摘み取らねばならん」
◇
平和という名の薄氷が、音を立てて砕け散る。
深海から放たれた蒼い重力の波動が、海面を割り、夜空を貫く柱となって宇宙まで届かんとしていた。
蓮は、意識が遠のく中で、ただ己の指先を見つめていた。
(俺の指先一つで……歴史が変わる……)
その重みに耐えきれず、蓮は床に膝を突く。
神経を焼き付かせるような古代語の残響。
そして、零の声が、最後にもう一度だけ耳元で囁いた。
『判定を開始します。あなたたちは、また火を、間違えて使いますか?』
皇国アカツキ、深海遺跡。
沈黙していた「神」が、ついにその目を見開いた。
嵐の時代の幕開けだった。
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