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零の抑止力 ―遺された神の鉄槌―  作者: 酸欠ペン工場


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1/8

プロローグ 断絶の深淵

西暦2126年。

 世界は、見えない境界線によって二つの色に塗り分けられていた。

 核を持つ者と、持たざる者。

 より正確に言うならば――「暴力という切り札をテーブルに叩きつけた者たち」と、たった一国、「そのテーブルから降りた者」である。


 極東の島国、皇国アカツキ。

 世界唯一の「完全非核宣言国」。

 その高潔な理念は、しかし、海を隔てた大国の軍人たちにとっては、極上の酒の肴でしかなかった。


          ◇


 太平洋上、公海とアカツキ領海の境界線付近。

 鉛色の波を切り裂いて進むのは、地球平和連合(UPF)所属、ノース・アトランティス連邦の最新鋭駆逐艦『アイゼン・ヴォルフ』だ。

 その甲板で、二人の士官が紫煙をくゆらせていた。


「おい見ろよ、ハンセン。あれが噂の『聖女様の国』だ」


 下卑た笑い声を上げたのは、頬に古傷のある大柄な少佐だった。彼が指さした先、水平線の彼方に、アカツキの島影がうっすらと浮かんでいる。


「聖女、ですか。俺には『裸の美女』に見えますけどね」


 部下のハンセン中尉が、肩をすくめて追従する。彼らの背後には、圧倒的な破壊力を秘めたレールガンの砲塔が、冷たい輝きを放って鎮座していた。


「服も着ず、武器も持たず。ただ『襲わないでください』って祈ってるだけの無防備な女だ。唆るじゃないですか」

「違いない。あの国のお偉いさん方は、外交文書という紙切れ一枚が、我々の砲弾を止められると本気で信じているらしい。脳みその中がお花畑ってのは、羨ましい限りだな」


 少佐は吸い殻を海へと弾き飛ばした。

 赤い火の粉が、暗い海面に落ちてジュッと音を立てて消える。


「我々がその気になれば、あの島は1時間で地図から消える。核の炎で焼く必要すらない。通常弾頭の雨だけで十分だ」

「全くだ。……力なき平和なんぞ、犬の餌にもなりゃしねえよ」


 彼らの言葉は、連合国軍(UPF)の総意でもあった。

 「力」こそが正義であり、「抑止力」こそが秩序。

 そのルールに従わないアカツキは、彼らにとって異端であり、いつ踏み潰しても心が痛まない「弱者」の象徴だった。


 彼らは嘲笑う。

 自分たちが乗る鋼鉄の船の下、遥か深海に眠る「何か」が、自分たちの常識を根底から覆す悪夢だとは知らずに。


          ◇


 同時刻。皇国アカツキ、最東端の沿岸監視所。

 海風に晒されたコンクリートの塔の上で、二人の国防軍兵士が双眼鏡を覗いていた。

 一人はまだあどけなさの残る少年兵、カイ・ルカ。

 もう一人は、白髪交じりのベテラン軍曹だった。


「……また、連合の船ですか」


 カイの声は硬い。レンズの向こう、領海スレスレを挑発するように航行する駆逐艦の威容が、彼の網膜に焼き付いている。

 紛争地で育ち、力の恐怖を骨の髄まで知っているカイにとって、その巨体は死神の姿そのものだった。


「あいつら、俺たちのことを笑ってるんでしょうね。『何もできない腰抜け』だって」


 カイが唇を噛む。

 握りしめた拳が微かに震えていた。

 悔しさではない。圧倒的な「暴力」を前にしたとき、人間が本能的に抱く畏怖と、平和という薄氷の上に立っている心細さだ。


「笑わせておけばいい」


 軍曹が静かに言った。彼は双眼鏡を下ろし、穏やかな瞳で海を見つめる。


「カイ、お前はこの国の『非核宣言』を、弱さだと思うか?」

「え……? い、いえ。ですが……現に奴らは、あんなに近くまで……」

「奴らは恐怖しているんだよ。自分たちが持っている『火』に焼かれることをな。だから、より大きな火を持とうとする」


 軍曹は、カイの肩にポンと手を置いた。その掌は、分厚く、温かかった。


「我々は、その連鎖を断ち切ることを選んだ。武器を持たないのではない。武器に頼らずとも、誇りを守れると証明するためにここに立っているんだ。……俺はな、その覚悟を『弱さ』だとは微塵も思わんよ」

「軍曹……」

「胸を張れ、カイ。お前が守っているのは、ただの土地じゃない。人類が忘れかけた『尊厳』そのものなんだ」


 カイは再び海へ向き直った。

 先ほどまでの震えは止まっていた。

 そうだ。自分たちは無力な羊ではない。嵐の中でも決して折れない、一本のあしなのだ。

 その高潔な志だけが、戦乱の世で唯一の灯火となっていた。


 だが。

 運命とは皮肉なものだ。


 最も平和を願い、最も力を忌避した彼らの足元。

 その海底に、人類史上最悪の「力」が用意されていたのだから。


          ◇


 ――深海5000メートル。

 そこは、光も音も届かない、永遠の闇の世界。

 しかし、その静寂は唐突に破られた。


 地質学者が「空白の150年」と呼ぶ、謎に満ちた断絶。

 5000年前、世界規模で発生した地層のガラス化現象。

 あらゆる生命の痕跡が途絶え、歴史が白紙になったその時代。

 その「原因」となった黒い質量が、数千年の時を超え、微かな産声を上げた。


『……システム、再起動リブート


 人の耳には届かない周波数。

 しかし、それは確かに、地球という惑星のコアを震わせた。

 全長数キロメートルに及ぶ超古代兵器『天の逆鉾アマノサカホコ』。


 現代の物理法則を嘲笑うかのように、巨大な外殻の隙間から蒼い光が漏れ出す。

 それは電気的な光ではない。

 重力そのものが変質し、空間が軋む際に放たれる、チェレンコフ光にも似た「事象の輝き」だった。


 UPFの駆逐艦も、アカツキの監視所も、まだ気づいていない。

 彼らが互いに向け合っていた嘲笑や矜持など、吹き飛んでしまうほどの「神の鉄槌」が、すぐそこで振り上げられようとしていることに。


 かつて文明を焼き尽くし、地層をガラスに変えた業火。

 平和を謳う「力なき国」の掌に、世界を滅ぼすスイッチが握らされた瞬間だった。


 海が、震える。

 断絶されていた神話が、今、現代という薄氷の上に、静かにその巨体を横たえようとしていた。


 ――眠れる神の目覚めまで、あと僅か。

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