19 前王の隠し子1
初夏を迎えるこの季節、太陽の下でお昼をとるのは、だんだん厳しくなってきた。
セリーネたちは、敷布を広げる場所を木陰に移した。
そばに池のある静かな場所で、水辺を渡る爽やかな風が涼をとるのにちょうどいい。
ナディアは最近、国王の祖母、王太后であるマティルダに仕えることになった。
建国記念の舞踏会でのナディアの活躍は素晴らしかった。
機転を利かせて、子どもたちを連れて舞を舞ったナディアに対し、国王レオニスが与えた褒美だった。
現在の王家で最も地位の高い女性であるマティルダ。彼女付きの侍女は、女性としてかなり高い地位だ。
「んー。おいしい! 何これ⁉ 何これ⁉」
「これはアイスクリームというのよ。牛乳と砂糖と卵で作るの。エルディナではよく食べられるけれど、この国ではあまり目にしなくて。食堂の料理人に頼んで再現してもらったの」
ナディアは、とろけそうな顔で舌鼓を打つ。
ミナに至っては、言葉も発さずに夢中になって食べ続けている。
「相変わらず、料理人のセリーネへの特別扱いがすごい。まあ、そのおかげでこれにありつけたんだからいいけど」
「大げさなんだから」
「マティルダ様にも持っていってあげたい。最近食が細くて心配なんだ」
「そう、それは心配ね。料理人にお願いしておくわね」
高齢で穏やかなマティルダとナディアがうまくやっているようでセリーネはうれしくなる。
膝の上に置かれた皿の上から、自分もひとさじ、アイスクリームをすくった。
その手元がふと暗くなる。
顔を上げたセリーネの手ごとスプーンが持ち上げられる。
琥珀の瞳と視線がぶつかる。
(どこかで見たような……)
じっと見つめてくる瞳は猫のようだ。
けれど、セリーネの思考が形をとる前に、目の前の人物は、セリーネのスプーンに乗ったアイスクリームを口に入れる。
「んまいっ! 何これ⁉」
ナディアと同じ反応にセリーネは思わず笑ってしまう。
「手をお放しいただけますか?」
「あ、ごめん!」
無礼な振る舞いだと気づいたのか、彼はセリーネから手を離す。
体は大きいけれど、まだ幼いしぐさは少年のようだ。
「差しあげましょうか?」
「いいの⁉」
セリーネの横に座りこみ、アイスクリームの皿を受け取って頬張る少年をセリーネはほほ笑ましく見守った。
(なんだかアルセインと一緒にいるみたいね。多分、もう少し年上だと思うけれど)
セリーネは彼の横顔を見る。
アイスクリーム一つ食べるにも表情豊かで、周りを温かい気持ちにさせる少年だ。
「これはエルディナではよく食べられる氷菓子でアイスクリームというんです」
少年は、顔を上げる。
「エルディナ! もしかしてあなたがセリーネ姫?」
「はい」
「俺、明日から先生にエルディナ語を教わることになっているルシアンって言います。俺先生のこと気に入ったから明日からの授業楽しみ」
「先生?」
セリーネは首をかしげながら「じゃあね、先生!」と去っていく少年を背を見つめるのだった。
セリーネは、自分がなぜ先生と呼ばれているのかわからず、事情をエルマー司書長に尋ねた。エルマーは苦笑いしながら、レオニスの執務室に行くように指示した。
「やあ、来たね。セリーネ。二人きりだしさ、久しぶりにこっちの挨拶がいいな」
「……」
レオニスは、そういうと、右手をセリーネの前に差し出した。
レオニスは、エルディア風の挨拶がいたくお気に召している。
セリーネと二人きりになると、この挨拶を求める。
そして、魔術契約に縛られたセリーネはそれを拒むことはできない。
セリーネは、レオニスの前に両膝をついてひざまずく。
レオニスの右手を両の手で恭しくとると、セリーネは、そのままレオニスの手の甲に静かに口づけた。
「暁の王に、幾久しき栄光を」
レオニスは満足げにセリーネを見つめる。
「で、どうしてここへ? 私の告白以来、逃げ回って全然顔を見せてくれなかったのに、今日はいったいどうしてここへ来てくれたのかな? 私の告白を受け入れる気になった?」
「……ご存じのくせに」
「君が悪いんだよ。逃げ回ってばかりだから大事な連絡事項が漏れてしまった」
(他にも連絡手段があったはずなのに)
「うそだよ。こうでもしないと君に会えないかと思って、わざと君が会いに来るよう仕向けた。ごめんね。でも、君に会いたくて切実だった私の気持ちも少しは汲んでほしい」
罪悪感が胸にぐさぐさと刺さる。
けれどレオニスの告白を受け入れるわけにはいかない。
「陛下、ルシアン様のエルディア語の教師の件を伺いたいのです」
「それなんだけど、やらなくていいよ」
「え」
「王の婚約者候補たる君が相手をするような件じゃないから、断ってたんだ」
予想と違う反応が返ってきて戸惑う。
レオニスの元には断るために来たのではない。カリキュラムを作るために必要な情報を受け取るために来たのだ。もちろん連絡が遅れたことに不満はあったのだが、教師という役割は嫌いではない。エルディナでも、慰問先で子どもを教えたりすることはあった。
(それに、そんな理由なら、なおさら断るわけにいかないわ)
「陛下。貴族の方がエルディナ語を学んでくださると言うのは、故国にとっても喜ばしいことです。お受けしますわ」
「いや、他の教師を探す」
「しかし、時間がかかりますし、その分学びの時間が失われます。つなぎの間だけでも私が担当しますわ」
「……だって、彼は、君と歳が近い。人懐こい性格だとも聞いている」
セリーネはパチパチと目を瞬いた。
(これは、ひょっとして)
「陛下、彼に嫉妬してますの?」
「……ストレートに言うね」
心なしか、顔を背けるレオニスの耳が赤い。
「わかったら、引き下がってくれないか。でないと君の希望を叶えてあげたくなってしまう」
セリーネは、ふてくされたようにそう言うレオニスの姿を見て目を細める。
(彼の気持ちに応えることはできないけれど、少し安心させてあげるくらいはいいわよね)
「彼、弟に似てるんです。少年のような振る舞いで、ほほ笑ましくて。きっと弟に重ねてしまったのでしょう」
セリーネは、レオニスの瞳を見て、静かに思う。
(でも、ルシアン様を見て感じた既視感の理由は、アルセインではなく、陛下だったのね。彼の琥珀の瞳が陛下に似ていると思ってしまったんだわ)
「わかったよ。でも、代わりの教師が見つかるまでだよ」
「はい」
レオニスはため息を吐いて折れたのだった。
「先生、ここを教えて」
十六歳だというルシアンは、現宰相で休職中のフォルディア伯の甥だそうだ。
基本的な学問は修めている彼に、第三外国語として選ばれたのがエルディナ語だったそうだ。
(この国の宰相閣下に選んでいただけたなんて光栄だわ)
宰相は、前国王が崩御する数か月前から病気で休職中だった。
新国王のレオニスが即位した際に退こうとしたらしいが、周囲の強い希望により留任されて今に至る。
代理は副宰相が務めていたが、今月には復職されるらしい。
ルシアンは、そんな宰相に先んじて、王都のタウンハウスにやってきた。
もしかしたらこの国を背負う人材になるかもしれない。
そう思うと自然、教えるのにも熱が入る。
授業は、一日一時間、毎日行われた。
実は、ミナも一緒に始めたのだけれど、早々に彼のペースについてこれなくなって脱落した。
<先生、エルディナはいいところだね。寒いけれど、自然が豊かなんでしょう? 雪に囲まれた城なんて想像もつかない。見て見たいな>
<ルシアン様に気に入っていただいてうれしいですわ>
二週間もすると、ルシアンとセリーネは簡単な会話をエルディナ語でできる程度になっていた。
<俺も行ってみたい。今度先生が案内してよ>
<ぜひご訪問ください。弟に伝えておきましょう>
<……先生が案内するって言ってくれないのはさ、陛下の婚約者だから?>
セリーネは目を伏せる。
(それは違う。魔術契約で私がこの国を出られないから)
でも、それを伝えることはできない。
<いいえ。私がこの国に留まることを望んでいるからです。私は、歴史書の編纂の仕事がしたくてこの国に来たんですよ。その目的を果たすまでは帰れません>
「さ、今日勉強したところを復習しましょう!」
「はーい」
セリーネは、そう言うと教本のページをめくる。
ルシアンは、教本ではなく、そんなセリーネの横顔をじっと見つめていた。
◇◇◇◇◇
グランディオス帝国は、行政を担う十二の省と、立法を担う貴族議会、国防を担う軍によって成り立っている。
これら全てを統率するのが王であり、絶大な権力を持っていた。
(持ちすぎ、なんだよね)
ひと月に一度召集される貴族議会の場の最上段に座るレオニスは、議場に座る百人余りの貴族たちを見回した。
彼ら全てが王の意のままだ。
が、逆に王に意思がなければ、容易に政治は腐敗していく。
レオニスは、即位してからのこの半年、よく言えば様子見、悪く言えば放置してきた。
今日は、長く病を患っていた宰相ザイラス・フォルディナが、復帰する日だ。
最上段の王の脇に座る宰相が、レオニスに向けて頭を下げる。
くすんだ金髪にしわの刻まれた顔。鷲鼻に黒い瞳は、強い意志を感じさせる。
五十代、前王と同世代だろう。
暴君だった前王の元どうにか国が成り立っていたのは、この宰相がいたからこそだと人々は口をそろえて言う。
「宰相。長い休職だったがよくなったか」
「おかげさまで。この地位に留任いただいた陛下のご恩情に感謝いたします」
「副宰相がお前以外に代わりはいないと言ってきかなかったからな」
「陛下と皆の期待に沿えるよう、身を粉にして業務に邁進する所存です」
「頼む」
検討されていたいくつかの法が可決され、議会は滞りなく進み、終盤に差し掛かった。
と、そこで宰相が立ち上がった。
「ここで、新たな議題をあげたいと思います」
事前に配布された協議事項に入っていない内容に、議会の貴族たちはざわめく。
「彼を、ここへ」
議場の中央を通り、高くなった壇上へと上がり、レオニスの前へ、一人の少年が立つ。
光の加減によっては赤く見える栗色の巻き毛に、猫のような琥珀の瞳。
彼は、最上段のレオニスをまっすぐに見つめた。
「私は、先王アウグスト・ヴァルターン・グランディオスの息子、ルシアンだ。先王の息子として、正当な権利を要求する。現国王レオニス・ヴァルターン・グランディオスの退位と、王権を要求する」




