15 セリーネの心
(陛下は、私の先見の力を知っていた)
どうやって部屋に戻ったのか、覚えていない。
ソファに座って呆然とするセリーネに、ミナは水を持ってきてくれる。
するりと、獣の姿になると、セリーネの膝の上に寄り添うように座った。
セリーネが動揺しているのを感じ、落ち着かせようと獣の姿になったのだろう。
「ありがとう、ミナ」
水を一口飲み、膝の上のミナの銀色の毛を撫でると、少し落ち着いてきた。
(考えなければいけないわ。私のふるまいには、アルセインの命と、公国の未来がかかっているのだから)
セリーネは、目を伏せた。
レオニスがどこまで知っているのか、その行動の理由も、しっかり把握しなければならない。
(陛下は私に先見の力があることを知っている。私の力を手に入れるために、私の心を手に入れ、意のままに操ろうとしている。陛下が私に好意を寄せていると考えたのは、私の間違い。まずはそこからよ)
感情は抜きにして、ただ事実を、冷静に受け止める。
(でも、魔術契約は知らないはずだわ)
魔術契約を知っているのなら、先見の力を使わせるためにセリーネを欲しがったりはしない。命令すればいいだけだ。
それから、おそらく──。
(先見が命を削ることも、きっと知らない)
先見の力を使える回数には制限がある。それを知っていたら、今までのように気軽にセリーネの元に依頼を持ち込んだりしなかったはずだ。
(知ったら、私を憐れんでくれるかしら? それとも……)
セリーネは目をつぶって、息を大きく吸う。
「こんなことを考えること自体が愚かだわ」
逸れそうになる思考を、首を振って引き戻す。
ゆっくりと目を開ける。
「本当に大切なことは、アルセインの命と、公国の未来よ」
今の状況を把握したうえで、立ち回り方を考えなければならない。
目下の課題は、レオニスの婚約者候補筆頭として扱われることに対する対処だ。
セリーネが婚約してはならないと思っていた理由は、二つだ。
一つ目はレオニスとの距離が近くなることで先見の力が知られるのを恐れたため。
二つ目はレオニスが真実を知った時、傷つくのではないかと恐れたため。
すでに先見の力は知られてしまっているから、一つ目の理由はなくなった。
(愛した女の命を使いつぶしたのが自分だと知ったら、陛下が傷つくのではないかと恐れたのよね。でも、陛下が私を欲しがった理由は、先見の力が欲しかったから)
二つ目の理由もなくなった。
逆に婚約をするメリットも思い浮かべる。
(エルディナ公国の対外的な立ち位置が上がるわ。外交や経済上も大きなメリットが出る。それに、王妃になればできることができることが増える。王宮内の予算になら関わることもできるし、福祉や教育に関する権限も歴代王妃には与えられてきた)
口元に自嘲の笑みが浮かぶ。
(婚約を断る理由はない。メリットだけしかないわ)
婚約を受け入れるべきだと思う。
婚約を受け入れて、冷静にそれを利用して、エルディナの利になるべく動くべきだと思う。
手が震える。
そんな中、ミナがセリーネの手をぺろりとなめる。
セリーネはふっと肩の力を抜いた。
「そうね、急がなくてもいいわよね」
すべきことは決まっていた。
(ただ、もう少し、時間が欲しい──感情を捨てて、覚悟を決めるだけの時間が)
◇◇◇◇◇
翌日、午前中はミナとルゥの勉強を見る予定になっていた。
ルゥが来る時間になると、外の気配に気づいたのか、ミナがこちらを振り向いておずおずと告げる。
「セリーネ様、ルゥだけじゃなくて、陛下もご一緒のようです」
部屋にノックの音が響いた。
セリーネの部屋を訪ねてきたレオニスは「庭園を歩かないか」とセリーネを外に誘いだした。
一月ほど前にクラリッサ嬢の茶会で使われた、王族のみに許されると言う中庭に面した庭園だ。
今の季節は、薔薇の香りが濃い。
「そういえば、この庭園をクラリッサが使っていた件なんだけれど、ずっと言い訳をしたかったんだ。王族しか使えない庭園だなんて知らなくて、許可してしまった。もちろん、彼女を婚約者として考えていたことなんて全くない」
「そうですか」
レオニスはセリーネの浮かない顔を眺めると、苦笑した。
「今日は忘れ物を届けに来たんだ」
胸ポケットから取り出したのは、セリーネが昨日忘れた手袋だった。
「実は取りに来るかと思って待っていたんだ」
「使用人に渡してくださればよかったのに」
「いやだね。せっかく君に会える口実なのに」
セリーネに近づくと、小さな紙包みをセリーネの手に握らせる。
必要以上に距離が近いのは、気のせいではない。
セリーネはそれを受け取る。
レオニスは、包を渡すセリーネの手を離さなかった。
「ねえ、セリーネ、私が君に焦がれているのは気づいているんだろう?」
(ええ、気づいています。あなたが私の先見の力に焦がれていることは)
セリーネは、甘さを孕んだレオニスの瞳を受け止めた。
この打算に満ちた瞳が、自分に向けられたただの好意だと誤解するとは、自分はなんと愚かだったのだろう。
「陛下……」
「囲い込むようなことをして悪かったと思う。君の心の準備ができるまで待ちたいと思ってたんだけど、君のことになると自制がきかなくて」
怒りに満ちた感情が湧いてきて、それを必死に抑えるためにセリーネは下を向く。
「とりあえず、他の男を近づけたくなくて無茶をした自覚はある。もう、君に近づく男はいないだろうから、ここからはゆっくりいこうと思うんだ。一緒の時間を増やしたい。まずは、そうだね週に何回かは一緒に食事をしよう。それから、お忍びで出かけるのもいい。ナディアたちとは行っているんだろう? 私ともでかけよう。婚約すれば一緒に公務と称して旅行にも行けるんだけどね」
(そんなに必死にならなくてもいいのに。あなたが私にのぞんでいるものなんて私はもう気づいているのに)
「陛下は、私に何をお望みなのですか?」
「それを、聞くの?」
セリーネは、はっと気づいて慌てて言い直した。
「いいえ、駄目です。言わないでください」
(それを言われたら、魔術契約が発動してしまう。私は陛下の望みを叶えるしかなくなる)
レオニスは、ふっとため息にも近い笑みをもらした。
「私が言うと、命令になってしまう。君が自分から望んでくれるまで、待ちたいんだ」
セリーネは、ほっと肩を落とした。
「君の気持ちは、私が自分の努力で手に入れるよ。君に望むとしたら、そうだね。危険なことはしないでほしい、それぐらいかな?」
「陛下が危険に陥ったらそれは難しいです」
ただうなずけばいいところなのに、思わずこぼれてしまった。
これが自分の本心なのかと、割り切れていない自分が情けなくなって心が揺れた。
「はは、うれしいね。なら、君も私もあまり危険な目に合わないように、平和に過ごしたい。それが私の望みかな」
(危険な目に会わないこと。それが、陛下の望み)
心が不安定になっていたせいだろう。
自制がきかないままに──意図せず、セリーネの先見が発動してしまった。
第一の映像が視界を覆う。
白刃がレオニスに振り下ろされ、レオニスの衣服を切り裂き、血が飛び散った。




