1 先見の王女は王宮書庫で働く
グランディオス帝国。
大陸全土に覇を唱える、広大な領土と強大な軍事力を持つ覇権国家。
その王宮の東、奥まった場所に王宮書庫は位置する。
施された荘厳なステンドグラスは訪れる者を魅了し、視線を奪い、そこが書庫であることをしばし忘れさせる。
司書として働くセリーネは、両手に本を抱えたまま、淡い灰青色の瞳でうっとりとステンドグラスから落ちる光を見つめていた。
ゆるやかにウェーブを描くラベンダーグレーの髪が光にきらきらと反射して、ステンドグラス以上の輝きを放っていることに本人は気づいていない。
唯一気づいていたのは、書庫の入り口に立っていた人物だけだ。
彼はそのきらめきを十分堪能すると、足音を立てずにセリーネの背後に近づいた。
背後からセリーネの髪を一房手に取ると、それに口づける。
「やあ、セリーネ。書庫に咲く可憐なラベンダー。今日も美しいね。まるで妖精のようだよ」
セリーネは一瞬眉をしかめるが、すぐに表情を元に戻した。
不愉快だが仕方がない。
セリーネに拒否権はない。
せめてもの抵抗として彼の手から髪を奪うように振り向くと、ドレスの裾をつまんでカーテシーをした。
「帝国を導きし暁の王にご挨拶申し上げます」
「そうじゃない。私の欲しい挨拶は知っているだろう」
セリーネは内心ため息をつくと、顔を上げてこの不愉快極まりない発言をする男を見上げた。
彼の名は、レオニス・ヴァルターン・グランディオス。齢二十四。このグランディオス帝国の若き王にしてセリーネの主だ。
赤銅色の髪の下に覗く端正な目鼻立ちに、強い意志を感じさせるやや吊り上がったまなじり。
けれど今その顔は満足げにほほ笑み浮かべ、陽光のような琥珀の瞳は甘さを孕んでセリーネを見下ろしている。
二回目のため息をつきたくなるのを押し殺すと、セリーネはすぐそばのテーブルに抱えていた本を置いた。
背の高い王の前に跪き、体に沿わせた彼の右手を両の手で恭しくとる。
セリーネは、そのままレオニスの手の甲に口づけた。
「暁の王に、幾久しき栄光を」
「いやあ、公国の挨拶っていいね。ゾクゾクする」
「ご用件は」
セリーネはレオニスに言葉をかぶせるように告げる。
必要以上に冷たくなってしまった声音は隠しようがない。
「お礼を言いたくってさ」
レオニスはそう言うと、セリーネの冷たい視線に臆する様子もなく、傍の椅子に座り込んだ。
また居座るつもりらしい。
「この間、東方の親善大使が来た時、君がいち早く彼らに我が国の水が合わないと気づいてくれただろう?」
(対応してくれたのね。よかった)
この男が気に食わないのとこれは別問題だ。
「特に胎児への影響が強く出るんだって? 奥方が妊娠中だったらしくて、大使はとても感謝していたよ。まるで未来が見えていたかのようだって」
「過分なお言葉です。私は書庫の知識で推測しただけです」
「謙遜しすぎだよ。君は本当に賢いね。ねえ、もう気づいているだろう? 私は賢い女性に弱いみたいだ」
そういうとレオニスは、自分の手をセリーネの方に伸ばした。
「陛下」
「私と君との仲だろう? 名前で呼べと言ったのに。セリーネ?」
「〝陛下〟 それで、本当のご用件は?」
レオニスの伸ばした手の先で、セリーネは一歩下がる。
セリーネの態度にむしろ楽しげに目を細めるレオニスを見て、セリーネはこらえきれずに眉をしかめてしまった。
レオニスは、変わらず楽しそうな笑みを崩さない。
そして。
「セリーネ、君の助言が必要なんだ」
予想通りの答えに、セリーネも変わらず冷ややかにレオニスを見つめ返した。
「私でお役に立てることであれば、なんなりとお申し付けください」
(この男は、今日もこうして私の命を使いつぶす──)
セリーネは恭しく、レオニスの前に首を垂れた。
口元に浮かんだ冷笑を隠して。
(でも、それでいい。それさえも私が望んだことだから)
◇◇◇◇◇
──三ヶ月前。
エルディナ公国公女セリーネ・アルヴェリナ・エルディナは、輿入れを前に家族と最後の別れを惜しんでいた。
輿入れ先はグランディオス帝国。
〝同盟を結ぶ〟ためにやってきたという帝国軍は、圧倒的な兵力で城を取り囲み、平和を尊ぶエルディナ公国には開城する以外の選択肢はなかった。
そして結ばれた同盟の条件はなぜかさほどひどいものではなく、公国の民はグランディオス帝国の懐の大きさにむしろ好感すら持ったのだった。
無論、表向きの好条件には裏があった。
「あんな、あんな男に姉さまを嫁がせるなんて」
「アルセイン」
セリーネは、泣き出す弟の肩を抱きしめた。
姉を慕う十歳の弟は、このエルディナ公国の世継ぎの公子でもある。
「セリーネ、力のない父を許してくれ」
「ああ、私のかわいい娘」
「お父様、お母様」
隣に来た父母に交互に抱きしめられるとセリーネの目頭も熱くなる。
「いえ、公家の娘と生まれた以上、婚姻は義務です。どんな婚姻であろうと受け入れる覚悟はとうにしておりました」
「けれど、これはっ! ああ、あなたにあの力が発現しなければっ」
「おっしゃらないで。むしろ、その力のおかげでこの公国が存続が叶ったのです」
セリーネの輿入れは、同盟の対価だ。
正確に言うと、セリーネがグランディオス王に自らの力を捧げることを条件に、エルディナ公国は存続を許された。
国を対価にできるほどの力。
それは、このエルディナ公国の公家の血を引く女性だけに表れる先見の力だった。
争いの元となるこの力は公家のみに口伝で伝わり、けして外部に漏れることはなかった。
けれど、グランディオス帝国はその情報を突き止めていた。
無論、強大な力には代償が必要だった。
魂を因果律に繋げて未来を垣間見るこの力は、見るたびに魂や感情が削られる。それは、先見の力を持つ公女が代々短命だという事実からも証明されていた。
セリーネは、ぎゅっと唇をかむ。
父母は、セリーネの命を惜しんでこの力を使うことを禁じていた。
しかし、グランディオス帝国は、逆だった。
セリーネが命を惜しんで力を使わないことを防ぐために、セリーネを魔術契約で縛ったのだ。
──グランディオス帝国王族の命は絶対であり、その命には最大限の努力を持って応じる。
──王族の命を破った場合は、魔術契約により二人の人物の心臓が止められる。
「姉上、私は命を惜しんだりいたしません。姉上が帝国の命に背くべきだと思われたら、そのお心を貫いてください。私は、公国の至宝たる姉上の意思を尊重いたします」
セリーネの行動を縛る魔術契約。その対価たる二人の心臓──それは、セリーネ自身とセリーネの弟であるアルセインの心臓だった。
(正義感の強い、ほんとにいい子だわ。だからこそあなたを死なせるわけにはいかない。公国からあなたを奪わせるわけにはいかないの)
この魔術契約の消滅はセリーネの命が消えた時のみ。
「宝はあなたよ。私を惜しんでくれるなら、立派な王になりなさい」
そして、十八の誕生日を迎える前に、セリーネは覚悟を決めてグランディオス帝国へ嫁いだ。自らの命を、傍若無人、悪逆非道と称される齢五十を超えるグランディオス国王に使いつぶされる覚悟だった。
しかし、セリーネの婚儀は行われなかった。
帝都へ着いたセリーネを迎えたのは、国中に掲げられた王の訃報を告げる黒旗だった。
何日も客室に拘留され情報も遮断されていたセリーネは、新王の元に呼び出される。
王の前に引き出されたセリーネを待っていたのは、赤銅色の髪と琥珀の瞳を持つ新王──レオニス・ヴァルターン・グランディオスだった。




