cos 9x 球投げ
夜の道路を、黒い車が滑るように走っていた。
窓の外には、時おり流れるネオンの残像と、街路樹の影が交互に通り過ぎていく。
『7区、9区異常なし……』
車内ではラジオが、超能力者による犯罪は今日も0だと報じていた。リリスが片手でラジオを切ると、沈黙が残った。
「……被害者、自分の能力が嫌だったんでしょうか。
ずっと隠してたってことは……」
ぽつりと有馬がつぶやく。
リリスは前を見たまま、ウインカーを片手でゆるく倒す。
「才能あると、面倒も増えるからね」
信号で車が止まる。ルームミラーに映ったリリスの目は、どこか遠くを見ていた。
「あんたも大変でしょ? 天才天才って。ドラフト一位の天才くん」
助手席で膝に手を置いたまま、有馬はふっと笑った。
「俺、本当はピッチャーになりたかったんです」
「……は?」
「中学のとき、野球部で。でも、ちょっと速すぎて……みんな辞めちゃって。ある先輩のピッチャーには、辞めるとき“お前のせいだ”って怒鳴られました」
リリスは眉をひそめた。
「あんたが悪いわけじゃないでしょ。それ、辞めたやつがやる気なかっただけ」
「でも、自分に能力がなかったらよかったのに、って。……欲しい人には申し訳ないですけど」
ヘッドライトが夜の道を切り裂く。光の筋が、前方へすっと延びる。
「だから、プロハンターの“ドラフト”って制度……ちょっと、嬉しかったんですよ。
今は廃れたけど、野球にもプロ制度があって、ドラフト制なんです。
形だけでも夢が叶いましたから」
しばらく、沈黙が流れた。車内にはエンジン音だけがあった。
「ねえ、有馬」
「はい」
「“才能”って、たまに罪みたいに扱われるけど。
別に、才能ないやつが悪いってぐらいに思っててもいいのよ。
少なくとも、才能に義務なんてないから」
有馬は目を見開き、リリスを横目で見た。
けれど彼女は、ただ前を見ていた。表情ひとつ変えずに。
「ありがとうございます」
有馬の声は、小さくかすれ、わずかな安堵が感じられた。
──そのとき。
「ところで、野球って何?」
「……えっ?」
有馬はキョトンとした顔を浮かべた。
「スポーツの一種ってのはわかるけど。ピッチャーって何?」
「ポジションのひとつで……球を投げる係です」
「球を投げる? それでプロって……球を投げるのが仕事?」
「……まあ、はい」
リリスは少し上を見た。
「真面目にやってるのよね……球投げ」
「はい、数十年前まですごく人気があって──」
「うん、悪いけど、意味わかんないわ」
穏やかな空気の中、有馬は野球についてリリスに話した。自分の好きな選手について。彼の8番は永久欠番になっていると……
前方には、闇に包まれた軍本部のシルエットが浮かび始めていた。




