i・sin 41x 二重スリット
湾岸部にそびえる、白亜の高級ホテル。その最上階に用意されたスイートルームは、財閥の誇りを示すかのように、豪華絢爛に輝いていた。
半円形に広がる天然石張りのバスルーム。大理石を思わせる白と灰のグラデーションが、柔らかく照らされた照明と湯気に滲んでいた。天井は高く、壁の一面はガラス張り。窓の外には、海沿いの街灯が点々と連なり、遠くネオンサインが波間に滲んでいた。
「有馬くん、前日から宿泊って聞いて……二重スリットの電子ごっことか凄いはしゃいでたわ」
一ノ瀬の笑い声が、柔らかな湯音に溶けていく。
湯はごく薄く、桜色に染まっていた。薔薇を模した入浴剤がゆるやかに溶け、ほのかな香りを放っている。
一ノ瀬は長い髪を後ろにまとめ、浴槽の縁に肘を預けていた。対する神宮は、大きな肩幅と厚い胸板を湯に沈めている。水面に浮かぶ彼の腕の筋肉は、まるで彫刻のように引き締まっていた。
「一ノ瀬、本当に任務をやるつもりなのか?」
彼の低い声が、湯にわずかな震えを生んだ。
一ノ瀬は、わずかに視線を揺らし、湯面に映る夜景を見つめたまま答える。
「ええ」
「僕が代わりに全部やるよ。君が危険な目にあわなくてもいい」
「……あなたは他の任務で動き回ってるでしょう。世界の英雄なんだから」
神宮は短く息を吐き、湯に手を沈めたまま、指を組む。
「僕は世界の英雄になんて興味ない。君だけのヒーローの方がいい」
その声は、まるで波打つ鼓動のように一ノ瀬の胸に触れた。
一ノ瀬は一瞬だけ驚いたように目を開いたが、すぐに微笑みを浮かべた。
「……嬉しいですけど」
やがて、彼女は静かに湯に体を沈めた。
「私も……あなたの役に立ちたいんです」
ふたつの声が交差したあと、室内は再び静かになった。
湯の表面に立つ波紋は、やがて穏やかに広がりながら、二人の間の境界を消していく。
「そうか」
神宮はそう呟いて、瞳を閉じた。
湯気の向こうに、もう一つの幻が霞む。
(あなたの瞳に映る私は本当ですか?)
一ノ瀬は、声には出せなかった。
まるで二重スリットの実験だ。
観測すれば崩れてしまう量子のように、内なる本心は揺れていた。




