cos 26x 幻影
「じゃあ、お姉ちゃん!学校行ってくるね!」
朝。
弟は大きなカバンを背負って、玄関で元気に手を振っていた。
「えぇ、気をつけてね」
町は、まだ穏やかだった。
高原の空気は澄み、木造の家々には薪の匂いが漂い、朝の鐘が小さく鳴っていた。
──それから、数時間も経たないうちに、空は赤く染まった。
風が変わり、音が消えた。
山の向こうに見えた煙は、あっという間に町を包み込んだ。
「あ……あ……ああ……っ」
喉を裂くような悲鳴が響く中、倒壊した壁の隙間から、小さな手が伸びていた。
──かすかに、声が聞こえた。
「ねぇ、ちゃん……あ、あ…………」
愛してる、ありがとう、ではなかった。
熱い。
それが、弟の最後の言葉だった。
焼けつくような苦痛だけが、最後に彼の口を突いて出た。
瞬間、光が走った。
轟音とともに、爆風が街ごと吹き飛んだ。
リリスの視界が白に塗り潰され、音が一気に消えた。
身体が宙を舞う。地面がない。空もない。
何もかもが止まったように感じられた。
でも──たった一つ、確かに見えたものがあった。
瓦礫の向こう、煙の先。
燃え上がる町の奥で、立ち尽くしていた“何か”。
赤い外套のような人の影。
燃える空の中で、こちらに手を伸ばしていた。
──指を、差して、笑っていた。
誰だ。なぜ。
次の瞬間、意識が闇に落ちた。
*
薬品とアルコールの匂い。
静かに鳴るモニターの電子音。
最初に見たのは、真っ白な天井。視界がぼやけ、まぶしい光が滲んで広がる。喉は焼けるように乾き、声を出そうとしても空気しか出なかった。
少し身体を動かしただけで、全身が痛みにきしむ。筋肉が軋み、肺が焦げついたように熱をもった。
視線を巡らせると、ベッドの脇に黒い制服の男が立っていた。
袖には軍章──黒地に銀のライン。プロハンターだった。
リリスは、かすれた声で尋ねた。
「……みんな、は……?」
頭がぼんやりしていたが、男は以下のことを説明したと、はっきり覚えている。
生存者は私一人。
故郷を滅ぼしたのは最強の悪魔にして人類最大の敵、ビクトル。
そして脳波の解析結果を見せ、私が物体に触れることで、過去の痕跡を読むサイコメトリーを持つため、調査部門での勤務を義務付けられる可能性が高いと。
しかし、私の振幅の大きさなら、前線……つまりプロハンターとしての適性もある。0からの再出発を望むか?と聞いた。
リリスはディスプレイを見つめた。
脳波など見えなくても、自分の中で何かが焼きついていることを、彼女は知っていた。
燃え落ちた町。
崩れた校舎。
弟の声、伸ばされた手。
そして──指を差していた、あの“影”。
リリスは、唇をゆっくりと動かした。
声は掠れていたが、意思はぶれなかった。
「……軍に入ります。必ず、奴を殺す」




