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-i  作者: リョーシリキガク
0章 有馬編

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2/21

cos 1x 有馬

「人を思い、人のために何かをなす。

 それはとても素晴らしいことです。

 しかしもし貴方が、絶対に人を思いやれないとしたら?

 上辺だけの偽善でも、価値はあると思いますか?」


 古びた教会のステンドグラスが、午後の光を裂いて床に色を落とす。

 木の椅子に腰かけた、小柄な()()の少年ーー有馬は、手のひらを見つめながら牧師の問いに答えた。


「うーん、優しさに正解はないんじゃないでしょうか。数学とかとは違って」


 牧師は笑った。白髪交じりの口元に深い皺が寄る。


「素晴らしい、哲学的な答えだ。数学が得意だというから、お堅い理論派だと思っていたよ」


 有馬もニコニコと牧師に合わせる。

 学業優秀、放課後には教会でボランティア。誰が見ても“いい子”に見える。


「では、また明日。夜道では悪魔に気をつけて」


 有馬は手を振ると、礼拝堂を出た。背後にある聖像はやけに黄色く、じっと有馬を見ていた。


 静まり返った礼拝堂に、誰かの声が響く。それはまるで、偶像が喋っているかのようだった。


『これから先、展開は突飛で、理論は飛躍している。

だが――それらはすべて、有馬が見ようとしなかった現実ほんものなのだ』



 夜。家で有馬は天気予報を見ていた。今晩はみぞれで、0℃まで冷え込むらしい。


 有馬は明日の予習をしようとノートを開いて、やめた。

 代わりに、彼はそのままニュースを見た。

ニュースでは、iii……国際幻影対策機関に所属するプロハンターが悪魔を討伐した、と英雄として讃えられているのをじっと見ていた。

 彼は幼少期より漠然とした願いがあったのだ。

――死んで英雄になりたい。

 人を救って死んだりなんかすれば、自分はヒーローとして記憶される。

 誰かに、いい目で見られたかった。


 ニュースはなおも、悪魔討伐の英雄を映し出し、不審なことがあればiiiへ通報するように呼びかけていた。


「……そういえば」


 有馬はそう呟いて、手を止めた。

 昼間の教会を思い出す。

 あの祭壇の上、やけに黄色く変色した像。


 その瞬間、視界がふっと暗転した。



 有馬が目を覚ますと、礼拝堂の空気が異様に濃く、焦げたような匂いが鼻を刺した。

 跳ね上がる心臓の中、必死に視界をめぐらせると、五、六人の人影が見えた。

 全員が後ろ手に縛られ、怯えた表情を浮かべている。


「……みなさん、恐れることはありません。これは“救済”なのです」


 祭壇の前で、牧師が両手を広げていた。

 炎のゆらめきがその顔を赤黒く照らし、祈りの声が堂内に反響する。

 その瞳は明らかに狂っていた。


「なにを……してるんですか……?」


 誰かが震える声で問う。

 しかし牧師には届かない。彼は陶酔したように言葉を続けた。


「神に魂を捧げ、我々は天国へ行くのです」


 その善意は、悍ましく歪んでいた。

 「なんで?」「俺は死ぬのか?」「優しそうな牧師さんだったのに……」混雑した思考が有馬の中に巡る。


 ここで普通なら、牧師の歪みに目を向けるのだろう。彼はなぜ狂ったのか。彼はどんな人で、何をしようとしているのか。もしや悪魔と呼ばれる化け物なのか。

 しかし有馬にとって、それはどうでも良かった。彼の善意もまた、歪んでいたからだ。

 彼は一つの答えに到達した。

 ――チャンスだ。英雄になるチャンスだ、と。

 自分を犠牲にして誰かを救えば、きっと誰もが自分を正しく、優しいと思うことだろう。


 その考えが、唇を動かした。


「……生贄は、自分にしてください」


 牧師の動きが止まり、ゆっくりと有馬を振り返る。


「ほう? なぜかな? 有馬くん」


「……良いことをしたいからです」


 有馬は自分でも何を言っているかは分からなかったが、とにかくお利口な理想論を語ると、牧師の瞳は、涙で濡れ始めた。


「素晴らしい……! このような善人こそ、救済に相応しい!」


 蝋燭の炎が黒く燃え、空気が軋んだ。

 縛られていた信者たちは、信じられないものを見るような目で有馬を見つめた。

 だが、助かるという希望が勝ったのだろう。

 牧師が外の扉を開くと、彼らは我先にと駆け出していった。


 残されたのは、牧師と有馬、そして黒く揺れる炎だけだった。


 善意で悪事を行う牧師。

 そして、邪な心で善行を成す自分。

 どちらがマシかと言えば、きっと自分だ。

 でも――一番いいのは、善意で善行。

 それが正解。

 なら自分は間違っているんだろうか。

 けれど優しさに正解はないんだから……


 再び蝋燭の炎が激しく燃える。


「有馬くん。君に超能力を見せよう……。iiiのプロハンターのような紛い物ではない。本物の神の御技だ」


 牧師はそう言って聖杯を掲げる。赤黒い液体が波打った。


 有馬の心臓はドクンドクンと波打ち、両親の顔が脳裏にチラついた。


「これで、君だけが先に天国に行く。私にはまだ使命があるのでね」


 有馬は気づいた。その液体の底に沈む金属片と匂い。――ただの毒だ。それが蒸発し、充満する。銅像の鉛が変色するということは有機的な……


「やはり超能力なんて非科学的だ」と思いながら、有馬は微笑む牧師を見た。この人はなんで狂ってしまったんだろう。自分は、自分は……幼い頃に両親に褒められるのが好きだっただけなのに。そこから、どうして歪んでしまったんだろう?



 夜の街に、雨が打ちつける音をかき消すようにサイレンが鳴り響いている。

 その男は、大雨の中を歩いてきたというのに全く濡れていなかった。

 黒い髪に赤い瞳。背は190以上あるだろう。そして黒い軍服に、金のネックレスが揺れていた。


「状況は?」


 男は、目の前の教会を見ながら、部下に尋ねた。

 黒の制服にはiiiと刻まれている。


「中に1人、有馬という少年が残っています。自分から申し出て身代わりになったそうで」


「ご立派だね」


「人質ごと爆破する許可は出ていますが、出来るだけ救出を指示されています」


 男は、右手をこめかみに当て、目を閉じた。



 教会の中、有馬は十字架に立ったまま縛られていた。額に汗がわずかに滲んでいる。

 そして、有馬に響くような声が聞こえた。


【巻き込まれた有馬くんだね。君を外に転送して救出するには、君がいる座標が必要なんだ】


 牧師は変わらずブツブツ呟いていた。

 有馬は眉をひそめて思った。

 まさか、この声は自分にだけ聴こえている? テレパシーというものが、本当にあるのだろうか。


 脚から力が抜け始め、視界が揺れた。


「もう……いい」

 

 もう口も満足に動かなかった。突入しても遅いだろう。無駄に足掻くのは面倒だ。


 黄ばんだ偶像が滲んで見えた。

 あんたに俺を否定できるか?正解に辿り着けないなりに、俺は正しい行動をしてるだろ?


【確かに死によって英雄にはなれるだろう】


 銅像の向こうから、色とりどりのステンドグラス越しに光が差し込む。


「しかし、それは他人が死者を美化するだけで、君自身は何も語れない」


 今度は、神父にもその声が聞こえたようだった。

 顔色を変え、祭壇の背後に下がる。


【生き延びた人間だけが、何かを成せる。生きて英雄になるのが、より良い答えだ】


「中々にいい出来だ。明日の演説はこれで行こう」


【音速の差は0.040秒……13.26mか】


 有馬は意図に気づいた。物言わぬ英雄ではなく、追求し続ける理論だった。脚に力がこもる。


【正解に手を伸ばし続ける勇気があるなら、君の身長を言って】


 その啓示は、0.04秒のズレを伴うことなく有馬に届いた。


「……151cm!」


 瞬間、光が体を包んだ。

 教会の外壁が見える。


「……もう外だ。大丈夫」


 有馬は、大柄な男の腕の中に抱えられていた。

 黒い髪に、光を吸い込むような赤い瞳。黒い制服に、胸元には金の指輪を下げている。


 目の前の教会が軋む。

 次の瞬間、扉を突き破って牧師が飛び出してきた。

 血走った目で、手にしたナイフを振りかざす。


「神の御技に刃向かう超能力者がァッ!!」


 男は一歩も引かず、淡々と呟いた。


「超能力ってのは、科学だよ」


 そう言って、彼は金の指輪を握った。


 ――超能力とは、脳に流れる“虚数”の波。

  −iにiをかけたとき、超常は現実に()()()()


「……ラプラス」


《演算子を起動します。コード:ラプラス演算子》


《∆ e^ix = - e^ix 》


 男の指先が一瞬、紅に閃く。

 赤い光が爆ぜ、牧師の身体を貫いた。


 その後、少し……おそらく0.04秒遅れて、有馬の体を爆音が揺らす。


「あ、あの……お名前……なんていうんですか?」


 男は教会を見つめながら答えた。


神宮(じんぐう)。神宮帝翔(ていと)だよ。有馬くん」


 外では、夜明けのサイレンが鳴っていた。



「あの、すみません。勝手なことして……迷惑、かけてしまって。俺も、貴方みたいな英雄に……人の役に立ちたくて」


 有馬は、抱えられた状態から降ろされながら、謝罪した。

 神宮は何も言わずに顎で前方を指す。


 視線の先では、救い出された信者たちが泣きながら礼を言っていた。

 「ありがとう」「勇敢な子だ」と口々に声を上げる。

 けれど、有馬の胸にはその感謝が鋭く突き刺さった。


「でも……俺は、心からの行動じゃなかったんです。

 貴方みたいに立派じゃないから、せめて偽善でもって……」


「彼らが救われたのは事実でしょう」


 確信を持った声だった。

 そうだ、優しさに正解はないのだから、間違いもないはずだ――そう有馬が思いかけた時、


「完璧な行いを、完璧な心でできる人間がいるとしたら、他のすべては不正解になる」


 神宮が静かに言葉を重ねた。


「問いには必ず答えがあると、僕は思う」


 有馬は心を読まれたようにドキリとした。いや、超能力者なのだから本当に心を読んだのかもしれない、と思った。

 神宮は夜明けの光を背にして立っていた。


「存在しないものをあると仮定することも必要かもしれないし、

“正解なんてない”と逃げるより、真実を追うのは辛いだろう。

それでも、問い続けたいことがあるんだ」


 神宮の胸元の金の指輪が、キラリと輝く。有馬はまっすぐに彼を向いて言った。


「神宮さんの身長……いや、さっき助けてもらった時の俺たちの距離って何mだったんですか?」


「13.253m」


 神宮がそう答えて去った後、有馬は呟いた。


「……194cm、なんですね」

v = 331.5 + 0.6 T より、

T = 0 ℃の時、v = 331.5 [m/s]

斜辺の長さをLとして

L = 331.5 × 0.040 = 13.26 [m]

13.26×√(1-(13.253÷13.26)^2) = 0.43[m] = 43 [cm]

 なお、cosΘ = 0.9995より、Θ = 1.86 °

 sin(1.86°) = 0.0324

151 + 43 = 194 [cm]

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