i•sin 17x 「裏面」
――冷たい。
戦闘を終えて、何時間も経っているはずなのに、身体の芯から、凍てついたまま解けきらない。
有馬は本部の廊下に立ち、目の前の扉を見つめていたが、やがて意を決してノックした。
「どうぞ」
静かに返されたその声には、いつもと同様に感情の揺れがない。
重厚な扉を開ける。
神宮の執務室は、やけに静かだった。
壁一面を埋める本棚と書類棚、中央に据えられた重厚な机、そして窓際に垂れる白いカーテン。
その奥に、使われていない古い暖炉があった。
「……報告書を、お持ちしました」
凍えた指で封筒を差し出す。有馬の手は、まだかすかに震えていた。
神宮は、微笑みながらそれを受け取った。いつものように穏やかな、優しげな笑みで。
「ありがとう、有馬。よく頑張ったね」
神宮は報告書を一枚とって裏返す。
「……いえ、俺は……」
有馬が俯きながら言いかけたその時、神宮は暖炉の方に、静かに指を向けた。
次の瞬間、ぱちりと火が灯った。
乾いた音とともに赤い光が部屋を照らし、冷たかった空気に、じわじわと熱が戻っていく。
「冷えているでしょう。あたたまって」
少し戸惑いながら、有馬は勧められた椅子に腰を下ろした。
肩にかけたコートの下、制服の生地がまだ湿っているような気がした。
神宮は書類を数枚、別によけた。有馬はその様子をぼんやり眺め、やがてポツポツと語り始めた。
「……奏さんが……」
「音が通らなかったんです。あれは……氷の悪魔だった」
神宮はその横顔を見ず、ただ揺れる火に視線を落とし、静かに頷いていた。
「彼は、天国に行けるさ」
その言葉の直後、神宮は首元のシャツの襟をほんのわずかに引き、内側に触れた。
首から下げた金の指輪が炎を受けてキラキラ輝く。
「……戦うのは、怖いです」
有馬はポツリとつぶやいた。
「俺、自分が死ななくてよかった、なんて……最低、で…」
有馬の声は静かだったが、喉の奥に何かが詰まっているような苦しさが滲んでいた。
神宮は、優しく微笑んだまま答える。
「誰だって怖いさ。有馬だけじゃない」
その一言に、有馬は目を見開いた。
英雄と讃えられる神宮帝翔――完璧で、無敵で、冷静で、恐れなど無縁に見える彼ですら、怖いのか…
神宮は、穏やかな声のまま続けた。
「今は、次に備えるしかない。今日はゆっくり休んで。君はよくやったよ」
扉が閉まる音が、部屋の静寂に吸い込まれていった。
神宮は、微かに息をつきながら振り返り、机の脇に置いていた一枚の書類を手に取った。
【事前調査書】
フクロウ型悪魔、高い聴覚、夜行性、音波による攻撃が有効?
彼は暖炉に歩み寄り、ひらり、と指先から紙を炎に落とす。
火は瞬く間に紙を舐め、燃え広がる。
書類が黒い灰となって崩れていく中、その裏面がかすかに見えた。
> 特殊冷気反応
> 氷の悪魔が共生、あるいは融合している可能性あり




