34 【雪牢の地】
ほとんど漆黒に近い、ダークブルーの天空。
薄く広がる雲。
その雲中や雲下を、白い梁のような巨大な構造物たちが、大小・縦横・乱雑に散らしたように複雑に奔り。それらが天に、まるで檻のように蓋をする。
そんな構造物たちと交わり、折り重なるように、空を巨大な魔方陣が覆うも、魔法陣はほとんど砕けてしまっており。欠片のみが天空に散らばり、浮かびつつ、青白く光を放ちながら、一面が白銀に覆われた大地へと、その残滓をチラチラと舞い散らせる――。
こんな、幻想的な風景らしい。
………。
らしい、と言ったのは、うん。
その幻想的な風景とやらも、いまは全く見えなくて、なんにも関係ないんだよね。
ここ。――エリア、【雪牢の地】。
そのエリア名からも察せられる通り、雪に閉ざされた、大変寒いエリアである。
でさ、このエリア。
特徴として、全域にわたって特有のフィールド効果【天候:永遠の風雪】が適用されている。……これがなかなかでね。
字面の通り『猛吹雪』なんだよね。
それにより、まずもって視界はほとんどホワイトアウト状態。
また極めて低温なので、寒さに耐性がない場合に継続ダメージや、移動やアクションに相応の弱体効果が掛かる。
ほかにも、特定の種類の攻撃に威力や成功率の増減が掛かったり(火属性攻撃の威力減衰など)。さらに、……と、長くなるので割愛する。
ともあれ、【雪牢の地】に入ってだいぶ経つんだけどさ。この感じでもうずっと、吹雪により視界真っ白、数歩先も見えないくらいの中を黙々歩き続けてる。
足を踏み出し、雪を踏み締めるたび、もっ、もっ、と音が立つ。それは本物さながらの感触で、この辺、VR表現も相変わらずの現実味、なんだけどさ……。
うーん……。
……まぁ、別にね?
寒いと言っても、それはゲーム内の話であって。体感として寒かったりはしないし、なんなら【常宵の口の補給拠点】で防寒装備も揃えた上で入ったので、全然支障ないんだけど。
それはそれとして、とにかく気は滅入るよね~。
一応、この吹雪も止むタイミングはあるらしいんだ。
ただそれも、一年のうちに僅かなタイミングしかなく、数にしても片手の指で数えられるほどらしい(クリスマスとか年末年始とかに、イベント的に発生するとの事)。
あとさ、頭上にあるという巨大な構造物。そちらは、別のワールドストーリーにまつわる大規模ダンジョンらしい。
名前は確か【拡張パーティーダンジョン:霜の城】だったかな?
だいぶ前に発見され、一時期はそこそこ賑わってたみたい。
ただ、それも一時の事。
やがて攻略が停滞し、最近、そこの攻略を頑張ってたうちで最後のクランも遂に撤退しちゃったのだとか。【雪牢の地】の【精霊の扉】についても、実質そのクランが【標】の維持コストの大半を支払って維持してくれてたんだけど、撤退によりそれも無くなり。失効までの一週間を過ぎてしまうと、機能がほとんど停止し、――エリア内における転移も不可となってしまうそうだ。
そんなワケで、この【雪牢の地】は、更にほとんど人の来ないエリアとなってしまった。
なお、僕はギリギリ、そんな滑り込みのタイミングで【ザント】までたどり着き、そこから【冰封の遺跡】の最寄りの拠点まで転移してきたよ。
ま、一応。そのへんの情勢、ここ数日でいろいろ調べてはみたんだけど、僕にはほとんど関係のない事でもあるね。
というのも僕が向かうのは、そことは一線を画すくらいにエリア発見当時から今までずっと、全くもって人気のないダンジョン。――【冰封の遺跡】。
というか僕っていま有名人だから、人が減るなら、――むしろ人が居なければ居ないだけ大歓迎でさえある。
そんな【冰封の遺跡】、そこへのアクセス手段なのだが、まぁ、『徒歩』。それ以外に無い(定期便なんて、もちろん無いよ……)。
そんなわけで、ずっとこうして歩いてるわけなんだけど、――何度目か、僕は地図を確認。するものの……。
「ハァ……」と溜め息が出る。まだまだかかるみたいだ。
ホワイトアウトした視界の中、手元の画面をタップして閉じつつ。
引き続き黙々と歩きながら、しばしこれまでの事を回想する。
*
あの後。――つまり、馬車の定期便を襲った臨時イベントを終えてから。
替えの馬車に乗り込み、所要時間にして5分足らず。
【常宵の口の補給拠点】までは、それほど離れても無かったよ。
ちょっと拍子抜けなくらいだった。
なお、カード様の乗車券はメッセージと共に失効。
馬車を降り、チラチラ舞う雪と、暗く煙る霧の中。ほど近くに、ぼうっと浮かび上ががる建屋のシルエットが幾らか見えるそこは、【補給拠点】なんて銘打たれてる割には、けっこうちゃんとした規模の集落みたいになっていた。
*
……で。一応さ。
森ですえこさんの戻りを待つか? ちょっと迷ってはいたんだよね。
でもやっぱ、諦めて先に行っちゃう事にした。
彼女が戻る確証もないしね。
というのも、馬車の中で臨時イベントの詳細を改めて見てたんだけどさ。
注意書きに『戦闘不能となってもペナルティはナシ』って書いてあるのを見つけたよ(ゲームシステム側にも『無理難題』っていう自覚はあったみたいだね)。よって、デスペナルティによってアイテムを落としている事はないハズなので、彼女がその理由で戻る事は無い。
できたらドロップアイテム渡したいし、連絡取れないかなー? と思ったんだけど、……僕、すえこさんのプレイヤーIDわかんないんだよね。
で、IDがわからないと、メッセージ――ゲーム内の連絡手段――も飛ばせないし、フレンド登録送ったりもできない。
有名なプレイヤーだったりしないかな、とネットを探してみたけど、特にどこのサイトにも『カヅミ』さん、って名前は無く、結局断念した。
あ、そういえばさ。
馬車が横転する直前。すえこさんが何か言いかけてたけど、思い返せば、あれってたぶん、『フレンド登録しませんか?』って事だったように思う。
結局、臨時イベントのせいで立ち消えになっちゃったけどさ。……このゲームの中で、初めてフレンドができるかもしれなかったのになぁ。ちょっと残念だよ。
あ、そうそう。逆に言えば、向こうから僕のIDはわかると思う。
僕のID、ネットに晒されちゃってるからね。彼女の方から僕を探してメッセージ送ったりはできるハズだ。
ただまぁ、それにはプロフィールを全体公開しないといけないんだけど、正直まだ公開するのは怖いんだよね。……というかそもそも、すえこさんからメッセージしてくれるのを待つのもなんかね? 自意識過剰、……っぽいよ。
それからさ、すえこさんの『レベル147』とかいう異常なレベル的に、彼女の目的もちょっとわかんなくなってきてる。
油断させといて実は、――なーんて、屈託ない感じの彼女を思い起こすに、裏は無さそうではあるんだけどさ……。でも、最近ちょっと疑心暗鬼気味なんだ。
そうして結局、他にも諸々勘案した結果。
今回は、『一期一会』。
そう結論した。
ま、一応ドロップアイテムは取っておく。
もしかしたら、僕の行き先――【冰封の遺跡】まで来てくれるかもだし(期待薄だけどね)。ギルドにアイテム預けたりできるけど、それも結局、受け手のプレイヤーIDがないと無理なんだよね。ひとまずは使わずに持っとこう。
そんな風にして、【補給拠点】で取った宿でログアウトしたのが、昨晩の事。
ちなみに、【天貫く塔】に復活できる可能性については、まぁ、行ったところで高レベルすぎてどうしようも無いし、気にしない事にしたよ。
*
で、翌日。
色々準備を整えたすえ、僕は【補給拠点】からの定期便で【雪牢の地】へ入り、【第一開拓都市ザント】まで移動した。
ちなみに【ザント】は、【雪牢の地】から引き払う人たちでけっこう賑わってたよ。【標】の機能の有無は、エリア各所の攻略ポイントを攻略する人たちにとってはけっこう死活問題らしい。
そんな状況で、ちょっとしたお祭りみたいに賑やかだった【ザント】なんだけど、その風景はけっこう素敵でさ。
拠点の中央に聳える何かの設備っぽいもの――陽光色に発光するユニットがたくさん取り付けられた電灯みたいな感じ――によって、拠点内に限っては【天候:永遠の風雪】の吹雪の勢いが弱められ。
しかし弱められてなお深々と降り続ける雪の中。
北欧っぽい雪国の町みたいな、雰囲気ある建物がたくさん建っており、けっこう発展している。
で、その街の辺縁には、グランピングみたいな感じの、大きいテント状の施設もたくさん設営されててね。まだ宵闇の降り切らない時分、真っ青のライティングに落ちた雪景色にあって、建物やそれらの施設の中からは暖かなオレンジの光がこぼれており……。――という感じで、思い返しても、ロマンチックな感じですごく良かった。
ユメちゃんと来たかったな~。
ま、【ザント】にしても結局【精霊の標】の中継・通過点でしかなく。身バレもしたくないし、【隠密】でコソコソと通り過ぎるだけだったんだけどね。
あ、そうそう。
その時、興味本位で【標】の維持コストを確認してみたんだけど。
思わず「うおっ……」なんて声が出てしまったよ。
というのも、なかなか桁がおかしいのだ。
ゲーム内通貨とか、素材とかでコストを支払う事になるんみたいなんだけど、……いずれで支払うにしてもこれ、まともに維持するの不可能では??? というくらいの桁数で、0が、いくつあるのかぱっと見わからないくらいだった。
改めて、このコストを払って【標】を維持していたというクラン? の人たちには感謝しないとね。
とまぁ、そんな事もありつつ、最寄りの拠点まで【精霊の標】で転移し。
【精霊の扉】とテントが数個あるだけの超閑散とした拠点で宿を取ったうえ、そこから【冰封の遺跡】へのルートを確認して出立。――いまに至る、というワケだ。
*
――そんな風に、回想に耽りつつ歩いていた折。
ふと、その時は唐突に訪れる。
すなわち、吹雪を抜けた。
数時間にわたって真っ白だった視界が、俄かにスッと開け。
おお……。
と、僕はしばし言葉を失う。
眼前。――面食らうほどに巨大なスケールで広がるのは、壮大な景観。
それを視界に収め、僕の脳裏に、あるひとつの単語が思い浮かばれる。
『奈落』である。




