27 【侵蝕】
馬車が横転したのだ。
そう気づいたのは、頬に石畳の硬い感触を受けてからだった。
どうやら僕は、馬車から地面に投げ出されたらしい。
「う……いてて……」
呟きながら、体を起こす(痛覚とかは無いんだけど、思わず口についてしまったのだ)。
咄嗟に体力ゲージを見ると、若干、ダメージを受けているよ。
周囲を見回すと――。
立ち込める霧と、降り続ける雪。
そして、依然として、ぼうっと周囲を満たす、白く淡い光。
だいぶ視界が悪いけれど、――近くに、すえこさんのプレイヤーカーソルが、ぼんやりと光を放っているのを見つけた。
彼女は、僕と同じように身を起こしている。
その向こうに見えるのは、横倒しとなった馬車。
幌とか荷台とかもバキバキになって、結構ハデに壊れてしまっている。
……というか、なぜか馬車に火が着いており、勢いよく燃え盛っている状態だ。
いったい、何が起きたのだろう?
御者の代わりをしていた【汎用自動人形】も、壊れちゃったみたいだ。
地面に横たわり、ピクリともしない。
馬車を牽いていた馬たちも見当たらないよ。きっと、逃げちゃったのかも。
そんな風に状況を把握しつつ、僕はよろよろ立ち上がって、すえこさんに近づき、話しかける。
「あの、大丈夫ですか?」
すえこさんは、放心したようにこちらを見上げ、あ、という顔になる。
「……あ、はい、なんとか……。ぴよ右衛門さんも?」
立ち上がるのを助けながら、僕は「ええ、とりあえず」と答える。
「体力ゲージとかも問題ないですよ。……なんですかね、これ」
「うーん……」
すえこさんは、顎に手を当てて考え込む。
そういえば、身を起こしたくらいから気づいたのだが。……いつの間にか、25分間のタイマーが視界に表示され、カウントダウンを刻んでいるのだよね。
説明を読むと、これは、【エゼクト】から替えの馬車が来るまでの時間らしい。
で、それに加えて、通知欄にアイコンが出ていた。
それをタップしつつ、僕は、すえこさんに声を掛ける。
「あの、タイマー出てますか? 替えの馬車が来るまでの……」
僕の言葉に、すえこさんは、よく知っているような口ぶりで答えた。
「出てますね。……えーと、これたぶん、『臨時イベント』ですね」
「臨時イベント?」
「はい。たまにあるんです」顎から手を離し、人差し指を立てるすえこさん。「要は、お楽しみ要素です。……『魔物が出たぞ~!』とか、『盗賊が出たぞ~!』とかって。なんなら、プレイヤーが馬車を襲ったりもできてですね、それが、ゲーム的にはイベント扱いとして処理される、って、そんな寸法なんですけど。……ただ、うーん……」
「へぇ……」
納得する僕をよそに、再び考え込んでしまうすえこさん。
で、手元に開いた通知欄なのだけど、……『臨時イベント』という表示と共に、数ページにわたって説明が記載されていた。
「『臨時イベント』、確かに、通知にも書いてありますね……」
そう言いながら、ざっくり目を通していくと……。
書いてあるのは、臨時イベントに関する、『概要』、『状況詳細』、『クリア条件』、『終了条件』、……。
そして、『保障』について。
それを見て僕は、そういえば、と思い出す。
確か、馬車の受付の時……、『保障』がどうだ、という説明もあった気がするね。
これ。つまりきっと、『馬車の定期便』は、単純に馬車で移動できるというだけではなく、……こんな風に『臨時イベント』といった形で、危機的な状況にも陥りかねない移動手段である、――というコトだったのだ。
僕、定期便の説明は、実はほとんど読み飛ばしてしまっていたのだけど、こんな背景があったとはね……。
勝手に納得する僕を他所に、すえこさんは、引き続き考え込んだまま呟く。
「……でも、ちょっと初めてだな、このパターン」
「初めて?」
「……あ、はい。……あの、ボク、この定期便よく使うんですけど。でも、この地点でイベント起きたことはない記憶なので……」
それに、なんで馬車が横転したんだろう? と、すえこさんは怪訝な表情を浮かべる。
たしかに、言われてみれば。というコトで、再び周囲に目を遣ると……。
霧掛かっていて良く見えないものの、馬車の近くには、大きな陥没痕。
焼けたように黒く焦げ付いているそれは、まだ盛んに煙を立てている。
そして、街道沿いの地面は、疎らに枯れ草が覆っているのだけれど。
なんだかよく見ると、それらがチラチラと、白く燃えているのだよね……。
近寄って触ってみても、特にダメージはないのだけど、……この白い炎。
そういえば、見覚えがあるよ。
ええと、確か――。
「白焔……」
思わず、呟くと同時――。
メキメキ、と、霧の中から、不穏な音が響く。
ぱっ、と顔を上げるすえこさん。僕も、一瞬の後に悟る。
これ、複数の木が薙ぎ倒される音だ。
そして次には、断続的に、――たぶん、巨大な何かが地を踏み締めるような音が近づいてくる。
音のする方を向いたすえこさんの表情が、みるみる険しくなっていき。
そして、中空を素早く操作しだす。
「――あ、あの、コレちょっと」
と、僕の口が言葉を発しかけるのと同時。
――ズ、と、巨大なシルエットが、霧の中から伸び上がった。
そして次には、辺りを満たしていた霧が俄かに薄まり、――その存在の全容を顕とする。
それは、巨大な、爬虫類の――。
――いや、違う。
飛竜だ。
「う、マジか……」と、すえこさん。
木々の枝葉を貫いて聳えるのは、――ほとんど三階建てくらいもある、黒紫色の巨大な体躯。
ギラギラと、艶掛かった黒紫色の甲殻。筋肉質の巨大な翼腕、四肢、翼膜、鉤爪。
同じく、黒紫のウロコに覆われた、ウツボのような巨大な頭部と、ぼこぼこと筋肉の盛り上がった太い顎。口角からチロチロと洩れる、薄青い炎。
そして、その鼻先が、何かを探るように頻りに四方を伺いながら、――ふいに、こちらへと向く。
――なんだこれ……?
思わず胸中に、疑問と、嫌悪感がせり上がる。
その顔の様相。
勇壮な体躯に比して、その顔、――というより、その眼球が、あまりにも異様だったのだ。
眼球は、真っ白に焼け爛れ、熟れた果実のように潰れ。
まるで膿か、涙かのように、白い炎を眼窩から溢れさせ。
それが筋となって顎へと伝い、地面に滴り落ち、足元の枯草を燻ぶらせている。
――魔物名、【暗き谷底の飛竜/侵蝕:白焔】
――レベル117。
――等級、【祝福級】。
――規模指標、【三次拡張パーティー】。
本能的に慄くものを感じながら、――その威容と、そして、レベルや規模指標から読み取れる、同じくらいヤバそうな情報とに、僕は思わず声を上げる。
「……あの! ちょ、ちょっとこれ、ヤバくないですか?」
「あ、アハハ――」と、すえこさんも、目を見開きながら半笑いだ。「――うん、ヤバいですね!」
「ですよね!」
すえこさんと語彙力の低い一応酬をする傍ら、――脳裏によぎる、別の思考。
――【白焔】というキーワード。
これさ、ユメちゃんが倒されたときの魔法にもあったよ! 確か、魔法の名前は――。
【白焔の大奔流】。
それに思い至ると同時。
――ぬるっ。
と滑らかな動作で【飛竜】が身を屈め、――がばり、とその顎を開く。
「――ッやば!!」
すえこさんの声。視界の端に、飛び退る彼女の姿が映り、次いで――。
――……ぅぅううおおオオォォン――――……。
まるで、地の底から沸き上がるような鳴動。振動、――すなわち、【飛竜】の咆哮が周囲を満たし。それが、街道の石畳と、周囲を囲う木々とをガタガタと震わせ――。
――ドッ、と、横薙ぎの衝撃。
それと共に、視界の景色が横にスライドする。
次の瞬間、――すぐ真横を、巨大な圧力が通過し、石畳が轟音と共に爆ぜた。
見れば、地を叩く、極太の翼腕。
――勢いのまま、ぐしゃりと拉げる翼爪。
――吹き散る、ダメージエフェクトの赤い飛沫。
それらを映す、スローモーションのような視界の中――。
「――ぴよ右衛門さんッ、逃げますよッ!!」
叫び声に、僕は我に返る。
――間一髪、すえこさんに、突き飛ばされたのだ。
彼女に突き飛ばされ、回避ののち、尻餅をついていた。
ようやっと、そう自覚する。
――すえこさんは、無事。
――いまのダメージエフェクトは、飛竜自身のものか?
――咆哮によって、行動不可の状態異常となっていた?
脳裏に溢れるそれらの思考を押し留め、弾けるように身を起こし。
僕たち二人は、宵闇の中へと全力で走り出す。
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