17 【黒龍騎士団の徽章】
「……いい加減、オルゼットが言わないから、私が言ってやる」
鋭く吊り上がった、霧咲さんの真紅の瞳。その瞳に、何かうかがい知れない感情が籠っている。
怒っている? それとも、やりきれない?
なにかきっと、僕が彼女の神経を逆撫でしているのだよね?
思い当たることといえば……。一つ、二つ、……。
うん。もう正直、たくさんありすぎてどれだかわからないよ。
今日、ログインして、塔の地に赴いてこのかた。
霧咲さんも言っていた『身の振り方』なんて、いまから思い返せば、ほとんど全部、間違っていた気さえしてきてしまうし、そしてたぶん実際そうなのだ。
「お前、ここは我々の拠点だ……。お前は我々に助けられたんだ。それに、いままさに、こうしてこの場をセーフゾーンとして間借りしてもいる」
まさに、仰る通りである。低い声で詰める霧咲さん。
疲れた頭に、攻撃的な語気が、冷気のように染み込んでくる。
「通すべき筋があるんじゃないか? わかっているだろうな? まさか、このまま帰る、なんて言わないよな?」
言わない。礼を返そうと思っていた。
けど、切り出すタイミングが遅くなってしまった。反省ポイントひとつ目だ。
「――もちろんです。ええと……」
僕は応えようと口を開くも、考えがまとまらず、うまく言葉が続かない。
今になって頭上を見れば、霧咲さんの名前の横に表示されたレベルは、128だ。
この数字は、あの【辰砂鉱】のセイルさん・安城さんよりも、ずいぶん高い。
というか、今ここにいる【払暁の騎士団】の面々の中でさえ、その数字は別格だった(改めて確認すれば、他の皆はレベル120に届かない程度に留まる)。
この拠点で戦闘行為が可能かどうかは知らない。しかし、ひとたび彼女がその気になれば、僕程度なんてきっと、ひとひねりなのだろうね。
ここがいくらVRとはいえ、その先に居る人間と、その感情は本物。
――もし仮に、何かの拍子に、この場で嬲られる事となった場合、僕は何ら抵抗できないだろう。
今、彼女に睨まれた僕の心中には、ただひたすらに、そんな心許なさだけがあった。
「……『もちろん』、か。しかし、そう考えていたなら、当然もっと早く言及しておくべきだっただろう?」
「こいつめんどくせーっ!」と声を上げ、霧咲さんを揶揄してお手上げのジェスチャーをするミカンさん。
そこに、霧咲さんが「なんだと!」と噛みつく。
それを皮切りに、言い合いを始める二人。
椅子の上で縮こまる菖蒲子さん。
我関せず、といった感じで中空をスイスイと操作するふわふわねこさん。
俄かに円卓を包む険悪な雰囲気。
僕の脳裏を、無力感が包む。
どうして、こうなってしまうのだろう?
やがて、オルゼットさんは、険しい顔で「フウ」と息をつく。
「……霧咲、少し黙れ」
途端、目を見開き、眉が八の字になる霧咲さん。
そんな彼女を横目に、オルゼットさんは再び僕に向き直る。
「そしてきみ、霧咲の言うことも尤もではある。私がいうべき事でもない点、承知の上でだが、我々はボランティアではない……。勝手に私の判断で介入したに過ぎなくはあるがね、しかしあのままなら、きみの持ち物は、集まっていた輩共に、あさましくも物色されていた事だろう。――そういう意味では、我々はきみに恩があるわけだ、フウ……」
「だんちょお~、そういうロジックだと、ウチらもあさましい感じになっちゃう気がするんですけどお」
『あさましい』、つまり、見返り目当てに介入したという意味。
「……ああ、そうだな」
オルゼットさんは唸るように応え、改めてこちらを見据え、告げる。
「明言しておく。私は、見返りを求めない。介入は、あくまで私の独断であり、我がクランのメンバーに帰責するものではない。純粋にきみの身と心境を案じての行為であって、きみに何か期待するものではなく、私の考える『正義』を成したまでである。むしろ、きみの意思を尊重せずに介入したことで不利益が生じたのであれば、今ここで謝罪しよう。何かあるかね」
「い、いえ……」
「であれば結構。――それから、私はクランマスターであり、私の言葉はクランとしての総意である。――ゆえに、きみは自由だ」
霧咲は無視してくれ、と付け加えるオルゼットさん。
霧咲さんは、わなわなと唇を震わせている。
「確認したかったことはおおかた聞けたのでね。――よし、この辺りでお終いにしようか。こんな時間だ、疲れただろう、長く引き留めてしまったね」と、オルゼットさんは手早く話をまとめ、スッと立ち上がり、僕の背後を示した。「ミカン、出口まで送ってあげてくれるか」
なんなら、このままログアウトしても構わない。
そう続けるオルゼットさんの、無感情な声音。明確に放たれる意思。
――会話は終わりだ。
オルゼットさんが背を向けかけて――。
「……お前ッ、どうするんだ!?」
再び響く、霧咲さんの声。
いつの間にか立ち直り、追い縋るように、そう言い放つ霧咲さん。
「霧咲、やめろ。どうするも何もないだろう」
「違う! いや、違わないが、そうではなく!」
「おいッ! いい加減にしろ!」オルゼットさんの怒気に、怯む霧咲さん。なんだか少しかわいそうだ。「きみ、すまない、霧咲にはよく言っておく、行ってくれ」そう言いながら、オルゼットさんはこめかみを揉む。
立ち上がり、戸惑いながらも案内のために近づいてくるミカンさん。
視界はそんな状況を映しながら、僕の頭はグルグルと思考が巡っていた。
『どうするのか?』。
そんな、霧咲さんの言。
『筋を通せ』という言外の要求。
『筋を通すこと』を求める霧咲さん。
一方、見返りは不要とし、会話を終えようとするオルゼットさん。
俄かに締めくくられるこの場。
この状況をどうまとめるべきか?
どう答えるべきか? どんな言葉を選ぶべきか? 表情は?
「――ええと、オルゼットさん。待ってください。霧咲さん、のご指摘の通りです――」
「きみ、やめてくれるか。我々にも面目というものがある」
「ええ、もちろん理解しています――」
つまり、ここで問題となるのは、僕の意思であることだ。
霧咲さんの指摘は理に適っている。
僕の対外的な体裁という意味、筋を通すという意味。
それから、僕の今後の気持ちに折り合いをつけさせるという観点もある。
だからこそ、たぶん、促すにとどめているのだ。
頭を回転させる傍ら、併せて、胸中で頭を擡げる思い。
――もう、イヤだ。
――もう疲れた。
「――させてしまいましたので、お礼だけでも――」
「違う!」
「霧咲、……フウ」
「初心者くん、もういいよってさ。行こ?」
「ええ、しかし――」
――何も、考えたくない。
――何も、考えられない。
なんだかもう、よくわからなくなってきてしまった。
――早く、ユメちゃんの蘇生について考えたい。
――早く、この場を去り、休みたい。
僕はしかし、強引に思考を引き戻す。
――見返りとすれば、何を供するのが良いのか?
――考えるべきは、そう。
――まず、僕を助ける事で、彼ら【払暁の騎士団】が被った損害。
集まっていたクランからの顰蹙?
他プレイヤーからの世評?
――その一方で、僕を見捨てれば得られるハズだったモノ。
戦闘不能となった僕からドロップするハズだったアイテム?
僕がクランに加入、ないしフレンド登録することで得られたハズの情報・戦力?
そして、それらを元返すにふさわしいモノと言えば――。
――あ。
――そっか。
そうしてようやく、脳裏に浮かんだ、あまりに簡単なひとつの選択肢。
よく考えれば、もとより、丸く収める必要なんてないのだ。
むしろ最初から、こうしておけばよかった。
僕は、言葉を続ける代わりに、インベントリを開いた。
迂遠すぎる回り道を経てしまったが――、きっと、疲れによるものだろう。
インベントリの上から順に。
目に入ったものを順々に、手あたり次第にタップし、実体化していく。
【絶夢】や、ユメちゃんの情報に価値があるのなら、きっと――。
――【伝説級】の【魔法具】【黒龍騎士団の徽章】。
――【伝説級】の未鑑定アイテム。
――【神話級】の【消費具】【無上にして無垢なる願いの符】。
――【秘宝級】の未鑑定アイテム。
――【伝説級】の素材アイテム【黒龍の落とし仔の呪眼】。
――【秘宝級】の素材アイテム【黒龍の落とし仔の呪角】。
――【秘宝級】の素材【呪冰の鉱塊】。
目の前の机上に現れたアイテム。それらに目を落とし――。
彼らは一様に、驚きの表情で固まった。
僕は一呼吸する。
「すみません」
そう言いながら、頭を下げた。
「ごめんなさい、助けて下さったこと、ありがとうございました。僅かばかりですが、こちら、お礼となります。――霧咲、さん、こちらで充分でしょうか?」
沈黙。
は、都合良く肯定と捉えてしまう事にする。
「無作法なお渡しで申し訳ありませんが、このお礼は僕自身の意思です。せっかくのご厚意を裏切る形となりますので、オルゼットさんには恐れ入りますが――」
言葉を探す。見つからない。無理やりに続ける。
「――すみません、今日はもう、色々いっぱいいっぱいで。先ほどご提案の通り、ここでお暇とさせてください」
ひとしきり言い切って降りる、数瞬の静寂。
オルゼットさんが、躊躇い気味に口を開く。
「……あ、ああ。構わない、……き、きみ、しかし、どこでこれを?」
「ダンジョンです。【天貫く塔】っていう」
集まる視線。そして、疑問を浮かべた表情。
しかし、それらも関係ない。
これで良いのだ。
もう、疲れてしまった。
「――ごめんなさい、もう、ログアウトさせて貰います」
「わ、わかった」
肯定ののち、オルゼットさんは、眉間に手を当てて黙り込んだ。
霧咲さんはといえば、目を瞠って固まったままだ。
でも、そんなこと、どうでもいいよね……。
僕は、システムメニューを開き、ログアウトをタップする。
――ログアウトしますか?
――『はい』/『いいえ』
視界にスッと表示される、確認ウィンドウ。
その向こうで、ふいに再び口を開くオルゼットさん。
「いや、やはり少し――」
それから、霧咲さんの焦ったような表情。
それらが目に入るものの――しかし僕は操作を止めず、『はい』をタップした。
胸中で、謝意を念じながら。
霧咲ちゃん♡ かわいいですね♪




