13 【払暁の騎士団】
遅くなりました~;<(_ _)>
次の瞬間、辺りは静まり返っていた。
視界に【王都エルレシア】という表示が、スッと現れ、すぐにフェードアウトする。
ツヤ掛かった石の床。
そこに映り込むのは、薄暗くブルーに沈んだ、図書館のような空間。
疎らに吊るされたランタンの明かり。
それらのオレンジの光に照らされた、立ち並ぶ書棚と、天文めいた調度品たち。
そして、僕のアバターの、放心した表情。
「アヤメ、回復してあげられるかい」
「うん」
声と共に、僕の胴に添えられていた手が離れる。
――菖蒲子が魔法【天樹の落涙】を使用しました。
俄かに僕の両肩が光に包まれ、切断されていたはずの腕が元通りとなる。
体力ゲージも元に戻り、ゲージの周りに浮かんでいたたくさんのアイコンたちも、綺麗に消え去った。
「きみ、立てるかね」
そんな言葉と共に、目の前に手が差し出される。
ネイビーの手甲。
そこに反射したランタンの光が、チラチラと揺れている。
顔を上げると、ひとりのプレイヤーがこちらに屈んで優しげに微笑んでいた。
暗い紺のストレートロングに、曙色のインナーカラー。
形の整った美形の顔立ちに、紺色の瞳。
ポイント的に纏ったネイビーの鎧と、一見してかっちりした礼服に見える、タイトなレザーメイル。
中性的なアバター。
綺麗な人だな、と、僕はぼんやり思った。
そして同時に、先刻たぶん同じ声が、『助けに来た』と、そう言っていたのを思い出す。
頭上を見ると――『オルゼット』との表示。
それは、あの時メッセージに表示されていた名前だ。
やはり、システムコマンドで僕を助けてくれた人で間違いない。
「あ……」
礼を述べようとするも、声が出ない。
体が震えていた。僕は、思わず腕を寄せる。
そして、再び先刻の光景が脳裏をよぎる。
――【絶夢】が破損しました。
そうだ、【絶夢】は……? ユメちゃんは?
そうして、思わず辺りに目を走らせたとき――。
「――お前ッ! 礼のひとつも言えないかッ!!」
敵意の込もった声。思わず、ビクリと怯んでしまう。
「キリサキ、よせ」
嗜めの言葉。
それを発したオルゼットさんの、――その背後に、二人のプレイヤーが控えていた。
一方は、白いフード付きのローブに身を包む、青髪の少女。
頭上に『菖蒲子』との表示。
布飾りのふんだんについた大杖を前に立て、その影に身を隠しながら――少女は、こっそりもう一方のプレイヤーを指差した。
指を差された方のプレイヤー――頭上に『霧咲』と表示されている――が、ギリ、と唇を結び、眉間の険を深める。
黒騎士、といった風体の細身の鎧に、燃えるような赤毛。
長身痩躯のスタイルにそぐう美しいデザインだが、いまそれらが並べて厳しい拒絶の意思を示しているようだ。
切れ長の目が湛えるのは、行き所のない怒り。
そんな彼女をチラリと見やり、オルゼットさんは、フウと息をつく。
そして、再びこちらに向き直り、「安心したまえよ」と微笑んだ。
「きみの持ち物は、失われていないハズだよ。ほら」
差し伸べていた手の形を変え、そのまま下方を示す。
つられて視線を落とすと、【絶夢】は確かに僕の手元に落ちていた。
――いや、よく見ると、名称が変わっていた。
――【絶夢・失光】。
とっさに手に取り、状態を確かめる。
折れたりは……していない。
白銀の刀身、柄の細かい紋様。僕が装備していた【絶夢】で間違いなさそうだ。
欠けや、汚れなども見受けられない。傷一つない刀身は、いま、橙の照明を静かに反射している。
『破損した』。
そんな文言を確かに見たはずだった。
それなのに、見た目に傷一つなく、ただ名称が【絶夢・失光】と変わっているのみ。
ユメちゃんはどうなってしまったのだろう?
先刻から既に、辺りに彼女の気配はないし、姿も見えない。
それは当然ではあった。――白い炎の中に飲み込まれて行き、体力がゼロとなったのをこの目で見たのだから。
――体力がゼロとなった場合、ユメちゃんはどうなるのだろうか?
もし、普通のプレイヤーならば、先ほどいくらか目にした通り、光のエフェクトとなって消えていく。
そして、街の宿屋や、フィールドのセーブポイントなどで再び復活するのだ。
しかし、【絶夢】が【神たる形代の模倣】した彼女の場合は、どうなるのだろう?
他のプレイヤーと同様に、光のエフェクトとなって消えていくのだろうか?
いま彼女の姿がないことからも、その予想はある正しい気がする。
しかし、だとしたら、その後どうなるのか?
考えられるのは――『セーブポイントで復活する』『時間経過で復活する』。
それから、武器の名前が変わっていることから考えるに――『武器を直せば、復活する』『アイテムを使えば復活する』『その他、条件を満たせば復活する』。
――ないしは、最悪の想定として――『二度と復活できない』。
そんな可能性も――そんなゲームシステムとなっている可能性だって、十分にある。
むくむくと、胸中で焦りが膨らんでいく。
可能性といえば、もし復活できるとして、例えばそれに時間制限があるとしたら?
もし、その制限が過ぎてしまい、二度と復活できなくなってしまうのだとしたら?
あらゆる不安がグルグルと脳裏を巡りだす。
思いとしては、居ても立っても居られない。
僕はぎゅっと目を閉じ、そして開く。
でも、今ここでそれを表出す訳にはいかないよね。
そんな風に、体裁に気を回せるくらいには、少しずつ理性が戻ってきていた。
「……落ち着いたかい?」
再び手を差し出すオルゼットさん。その厚意に、僕はありがたく手を取って、よろよろと立ち上がる。
霧咲というプレイヤーの厳しい視線と、再びの舌打ち。
僕としてはひどく居たたまれなくなるその悪意を、オルゼットさんは、まるで聞こえてさえいないように無視して続ける。
「名乗っていなかったね。私は、【払暁の騎士団】クランマスターの、オルゼットという。ここは、【払暁の騎士団】の拠点だよ。もう安全だ」
そう続けるオルゼットさんに、僕も頷き、改めて礼を述べる。
ようやく、少しずつ震えも治まり、口も回るようになってきていた。
「オルゼット、さん。……ありがとうございます。助けて、頂いて。お手を煩わせてしまい、すみません」
それから、非礼を詫びながら、続けて自分もプレイヤー名を名乗る。
オルゼットさんは「気にしないでくれ」と答えた。
「むしろ、こちらこそ、強引な形となってすまない。ただ――」オルゼットさんは首を振り、息を吐く。「見ていられなくてね。彼らもなかなか酷いものだ」
【辰砂鉱】は、最近になって台頭してきた気鋭のクランだが、少々、手段を選ばないところがある。
そんなふうに、オルゼットさんは続ける。
「彼らは悪質だが、このゲームのシステム上、彼らを責められる道理があるワケでもない。悩ましいがね。……NPCの子は気の毒だった。復活する方法はわかるのかい?」
「いえ……」
「そうか。……もし急いていなければ、なのだが」
オルゼットさんは、背後に視線を遣り――そこに設えられた、円卓の一角を示した。
「二、三、聞きたいこともある。こちらに掛けてもらっても良いだろうか? NPCの子の復活についても力になれるかもしれない」
もちろん、きみを攻撃したり、拘束したりなどしない。――と、オルゼットさんは言い添える。
「まあ、彼らの後で、信じてくれというのも無理筋かとは思うけれどね……。しかし、誓って悪いようにはしない」
どうかな? と、オルゼットさんは、フワッ、と音がしそうな柔らかさで微笑んだ。
その笑顔に心開きかける気持ちがある一方、やはり、若干の警戒・躊躇いを覚えてしまう。
オルゼットさんのふるまい、雰囲気、行動。
それらを総合し、僕の感覚は、オルゼットさんが信用に足る人物だと訴えている。
そう思う一方で、もしかすると、(オルゼットさんが自ら言うように)彼ら【払暁の騎士団】の面々さえ、セイルさんたちと同じように、僕を拘束してどうこうすることを考えていることも、十分あり得るよね。
色々な誓約を実行させられて、アイテムや情報を無心されるかもしれない。
助けた、という事実を盾に、掲示板やらで画像や動画をアップするぞ、なんて脅されるかもしれない。
なんなら、彼らがセイルさんたちと、実はグルだった、――なんて、そんなこともあり得ない話じゃない。
オルゼットさんは、助けになれるかもと言うけれど、それとてどれだけ本気なのだかわかったものではないのだ。
僕は目を閉じる。
ひねくれた考えをしすぎだろうか?
でも、はっきりいって、今日はもう、だいぶん限界な気持ちだった。
セイルさんの事。ユメちゃんの事。オルゼットさんの提案。
色々ありすぎて、なんだかもう、人と話すのさえ、――何か判断を迫られることさえ、しんどくなってきている。
正直な心持ちとしては、すぐにでもユメちゃんを復活させる方法を考えたい。
早く、切り上げてしまいたい。
とはいえ。
ここが【払暁の騎士団】の拠点――つまり、彼らのホームグラウンド――だという以上、もう、僕に選択権もないのだった。
それに――もし、オルゼットさんたちに下心があろうとなかろうと。
助けてもらった身の上で、即、はいさようなら、なんて訳にはいかないよね。
数瞬の逡巡を経て、僕は目を開けて、肯定の旨を告げた。
そして、促されるままに、円卓周りの椅子に腰かける。
霧咲というプレイヤーは、しかめっ面のまま、背後の壁に凭れて沈黙したぎりだ。
菖蒲子というプレイヤーも、遠巻きに眺めるまま。
「感謝する」と短く告げ、オルゼットさんは僕の対面に座った。