【11話】 新しい風
「バカね……」水尾は中井に合わせてしゃがんだ。「大丈夫?」
「へっ、これぐらい大丈夫だっての」
中井は右肩を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。その拍子、モソモソと弁当を食べ続けるムイたちの姿が見えた。
「人が警棒で打たれてるのに、全っ然反応しない奴の方が『大丈夫?』って感じだって。まっ、今日の弁当はジャンボカツだからしょうがないかな?」
中井は着席して箸を持った。しかし、先ほど打たれた右肩の痛みによって、右手まで上手く力を伝達することができず、なかなか箸を握れない。
「いってー……くっそ……ぐぐぐ……」
根性で握ろうとするが、どうしても右手まで力が入らない。
「バカね……」
水尾は組んだ足を崩して、自分の席を中井の席の近くまで寄せた。そして水尾は流れるように、無駄の無い動きで中井の箸を奪った。
「ほら、私が食べさせてあげるから」
「べ、別にいいって! てか今日の水尾、妙に優しくて調子狂うんだよ!」
中井は箸を奪い返そうとしたが、水尾はヒョイとかわしてそれを阻止。
「いいから大人しくしなさい。箸も満足に握れないんでしょ?」
「いや、だから恥ずいんだって……」
「じゃあ残すの? まだ大分残ってるけど?」
水尾が手元の弁当に視線をやったので、中井もつられて弁当を見た。濃厚なソースがかかった美味しそうなジャンボカツと白米が、四割ほど残っている。
「ほら。口、開けて」
水尾は箸で一切れのカツを中井の口元まで運んだ。
仕方ない、ここは大人しく食べさせてもらうかと、中井は口を開けた。
その拍子、先ほどまでモソモソとジャンボカツを食べていたオレンジ色の軍団が、目を爛々とさせてこちらを見ていることに中井は気付いた。
中井は口を開けたまま、ムイたちは目を爛々とさせたまま、互いに硬直……。
「……どうしたの?」
水尾は中井の視線を辿って、目を爛々とさせるムイたちの方を向いた。すると、ムイたちはハッと一斉に目を背けた。
「……お、おまえらな!」中井は顔をカッと熱くしながら叫んだ。「いっつも興味無いって感じなのに、何で今日に限って見てるんだよ!」
ムイたちはごまかすように咳払いしたり、弁当をモソモソと食べ始めたりと、各々の反応を見せる。
「下手なごまかしして……。おまえらがメチャクチャ興味津々に見てたのを、俺は見てたんだぞ」
頬を紅潮させる女子や、恥じらうように頬を掻く男子等、初めて見る反応がそこにあった。
「ふふっ」
突然、水尾が嬉しそうに笑った。
「何だよ水尾」
「安心したのよ」
は? と中井は聞き返す。
「みんな私たちと同じ人間なのね」
静かに言いながら、水尾は教室のムイたちをザッと見渡した。
「これまで反応とかしてくれなかったから、ロボットか何かかと思ってたけど」
「……まあ、確かにな……」
今の今まで、モソモソと食べるムイたちの表情は空虚であった。
しかし今、こうして見てみると、みんなそれぞれ柔らかい表情をしている。それを見て、中井は何だかとても嬉しくなり、弾みで思わず椅子の上に立ち上がった。
「よーしおまえら、注目!」
ムイたちはこちらを向かない。
だが、モソモソ弁当を食べながらチラリと視線をこちらに向けたり、耳を傾けたりと、みんながこちらを見てくれている。
「改めて、今日からヨロシクな! 以上!」
中井は椅子に座り直した。
ムイたちは直接的な反応は見せてくれなかったが、隠れるようにニヤケたり、小さく吹き出したりすることで、遠回しに好意的なメッセージを伝えてくれた。
それぞれの反応を見て、中井は何らかの変化の予兆を感じ取っていた。
「これを機会に、今日から少しずつ変わるかもしれないわね」
中井の心と同調するように、水尾がそう呟いた。
ここで、開いた窓から爽やかな風が吹きすさんできた。
どうやら風も、そう思ったらしい。