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6.街(1)

お願いします。

 よく晴れた昼下がり。鮮やかな赤い薔薇に囲まれた庭園で、少女と女性がティータイムを楽しんでいた。


 少女は桜貝のような爪先が淡い色のマカロンを摘む。さくり、と小気味良い音と溶けて広がる甘さに口元を綻ばせる。

 透き通った鮮紅色で喉を潤し、口の中から幸せが消えたらさらにもう一つ…。小さな幸福に手を伸ばそうとして、ピシリと少女の手が止まった。


「お母様!!本当ですか!?」


 陶磁器の悲鳴と膝を机の裏に打ちつける痛みで目を見張る。優雅に紅茶を味わう母に気不味さを覚えて、ゆっくりと姿勢を正した。興奮しすぎ、ダメダメ。

 と思いつつも期待で目を輝かせるエレアノールに母は微笑んだ。


「ええ。最近エレアノールちゃん頑張っているでしょう。ご褒美をあげましょう」

「やったぁ!お母様大好き!!最高!!天才!!」

「言葉遣い!」

「大変申し訳ありません」


 むっとした顔で怒る母に咄嗟に謝りつつ、少女は嬉しさで踊り出しそうだった。







 エレアノールは王の血脈を受け継いだ公爵家の嫡女だ。伯父さんは王さま、母親は王女さま、父親は言わずもがな公爵。国の中でも指折り数えて何番目の貴人である。

 そんなお姫さまはとんでもなくお転婆じゃじゃ馬暴れ牛だったので、矯正器具の如く家庭教師がわんさか付けられた。大事な大事な公爵家の跡取り娘なので、あまりにチャランポランだと困るのだ。


 両親の唯一の誤りはお転婆じゃじゃ馬暴れ牛が貪欲な好奇心の僕だったことだ。

 礼法、算術、歴史、修辞、音楽。知識と教養が仮説を組み立てるなら学びは前提条件。試し撃ちをするためには環境を整えねばならない。


 家庭教師たちの知識を洋酒に浸けたケーキの如く吸い上げたじゃじゃ馬はパッと見良い感じのお姫さまになった。時折おかしな行動を取ること以外は優秀な生徒と評判である。母も真面目で優秀な娘の学習態度を評価してくれたのだろう。



 なんと!今回のご褒美は街への外出である!!



 実は街へは母が長期外出中にこっそり遊びに行っていたのだが、少年が来てから全く行けていなかった。使用人がいるとはいえ二人きりにされるわ教育してみろとか言われるわ。なんて可哀想な私。哀れなエレアノール。しかし全てはこの時のため…!


 少女は興奮をそのままに早口気味に言った。


「前々から行きたかった文具店がありまして!そこでは廃棄野菜を使った絵の具が売ってるんです!作った方とお話ししてみたくて!あと、紅茶専門店にも行きたいんです。作ってみたい紅茶が!!」

「あらあら…エレアノールちゃんは好奇心が旺盛ね…。もう少し落ち着いてくれたら嬉しいのだけれど…」

「ありがとございまァす!!」

「言葉遣い!」

「申し訳ありません」


 むむっと眉間を寄せる母に咄嗟に謝る。落ち着け落ち着け。ここでやめたって言われたらたまらないぞ。


 力が篭った所作でカップを摘み、揺れる水面を口元に運ぶ。飲めているか飲めていないかよくわからないが、何だか飲んでいる気分になった。




 興奮のあまりに全身を小刻みに震わせる娘を冷たい視線が刺す。言葉も所作も壊れたおもちゃみたいになっている。余程外に行きたかったらしい。


 母は少女が碌でもない事をしでかさないか心配になった。少女は小賢しいので、毎回見つけるのに苦労するのである。幼い頃、少女が御用達の荷馬車に紛れて街へ行ったのは今でもトラウマだ。本当に攫われたかと思った。けろりとした顔で帰ってきたけど。

 またあんな真似をされたら心労で倒れてしまう。だから爆発する前に送り出すしかないのだ。今回は目を瞑ろう。手綱を握れる人はいないかしら。


 と考えて、とある考えに思い至った。そういえばあと一人頑張っている子がいるじゃないの。そして、絶対に目を離せない子が。








 澄み渡る青空の下。愛らしい小鳥の歌声が旅立ちを祝う中、舗装された街道を一台の馬車が走っていた。本日は素晴らしい外出日和。ご機嫌な馬の爪音が長閑な旅を楽しげに彩る。



エレアノールはくちゃくちゃの顔で頭を抱えていた。


何でこうなってしまうのか。意味がわからない。



 目の前にいるのは怖気立つほど美しい顔立ちの少年、レイノルドである。

 翳りのない白磁の肌。高い鼻筋から流れるふっくらとした頬が少年らしいあどけなさを残しつつ、涼やかなアイスブルーの瞳が蠱惑的に揺らめく。口元から首にかけて巻かれた包帯は欠点足り得ず、むしろ隠された美貌を掻き立てる魅力になっている。


 まるで神手ずから創造した雪の化身のようだ。飾り気のない黒いシャツが優美に見える。長い脚は組まれる事で更に長く、横柄にも見え得る腕組みも少年がすればまるで優美な絵画のひと場面だ。



 あまりにも静かな空気が馬車の中を支配する。



 気不味い…気不味すぎる…。

 何でいるんだよ…こういうの来たいタイプじゃないでしょ……。



 ばちりとアイスブルーと目が合う。僅かに見開かれた瞳はすぐに逸らされ、白銀の睫毛がそっと伏せられる。無表情ながらも憂いを帯びた表情は庇護欲を刺激する妙な魔力がある。ソワっとするからやめてほしい。


 何しに来たんだ。え、ほんとに何しに来たの???

 少年の考えていることが全くわからない。怖すぎて冷や汗が出てきた。


 十中八九、母の仕業だ。それはわかる。考えなくとも。どうせ「レイノルドちゃんも頑張ってるしご褒美いるわよね!」とかそんな事を考えてたんだろう。あんなに大喧嘩したの知ってて同じ馬車に詰め込むとか人の心がない。

 しかも、だ。何故素直に着いてきたのレイノルドさんよ???いや、マジでなんで???



 少女は耐えきれなくなった。とてつもなく重い空気に。寝ているのか集中しているのか何してるのかよくわからない少年に、恐る恐る話しかけた。


「えっと……レイノルドさんはどこか行きたい所が…?」

「あるように見えるか」

「アッ、ないですよねェ…」


 会話がなくなる。もう終わりである。


 少女は泣きそうになった。少年と何の会話をしろと言うのか。普段から碌に会話をしていないのに何を話すことが…?話さない方が安牌では?


「どこに行くんだ」

「ハィ?!」


 突然少年に話しかけられて、思わず声が裏返る。

 どこ、どこに行く…?どこに行くって?え…?なに、何でそれを聞く?そんなの興味ある?興味ないよね?何で聞いた?え、まさか……!


「イッ…一緒に行動する感じですか?!」

「……」

「ソウデスヨネ!一緒に乗ってますもんね!!ごめんなさいね!!!」


 じろりと睨まれたような気がして咄嗟に謝った。着いたら勝手に現地解散するつもりだったのだがもしやバレていたのか。うん、バレているんだろうな。なんでェ…???


 少女は頭を抱えたくなったがすんでのところで堪える。あまりにジタバタと抵抗して顰蹙を買うのは不味いので。

 まあ、一緒に着いてくるなら場所は伝えておくべきだろう。もし嫌がるなら行き場所を変えねばなるまい。少女の行きたい場所に行けない事よりも少年が嫌がって家に帰りたがる方が困るのだ。


 ひとつ息を吐いて、少し乱れたドレスを整える。何となく心が落ち着いたところで、少年に行き先を伝えた。


「まずは紅茶専門店に行くつもりです。ほら、前にレイノルドさんに渡した花があるでしょう。アレを紅茶に出来ないかなと思いまして」


 あの花覚えてますか?と聞くと少年が頷く。記憶力はいいんだよな。


「確かあれは虫除けの花じゃなかったか」

「そうなんですけど、花自体に毒があるわけではなくて虫が嫌いな匂いを発しているだけなんです。なので加工すれば紅茶になるのではと思いまして」


 そもそも飲めるのかもわからないので、そこから確認してもらわなければならないけど。もしかすると作ったことがあるかもしれない。そこも含めて話を聞きたいところだ。


 少女の想定ではハーブのようなスッキリした味わいになるのではないかと考えている。ほんのりと花の香りもするかもしれない。

 どういう味になるのだろうか。美味しかったら美味しかったで嬉しいし、不味かったら不味かったで楽しい。あの花の味が知りたいだけなので、美味くても不味くても納得できる。不味ければどうやって飲めば美味く感じるのか確かめるのもアリだ。

 こういう作業が一番楽しい。知識欲が満たされる感覚というのだろうか。実験しているような気分になってワクワクする。


「そうだ、完成したら一緒に飲みませんか?味、気になりません?!」


 名案じゃないか!と満面の笑みを浮かべる。少年も少女と負けず劣らず好奇心が強いので、どうなるか気になるのでは?!もし彼から意見が聞けるなら、きっと有意義な時間になるだろう。


 と、考えてはたと思った。気になるとか言われてない。別に飲みたいわけではないのでは。少女は前々から気になっていたからとてもワクワクしているが、少年が同じ気持ちかどうかは別だ。

 そもそも一緒に飲みたいだろうか。この人嫌いの少年が。別段仲良くもない私と。只々迷惑なのでは?


「一緒に飲みたくないですよね、すみません。一人で飲みますんで、聞かなかったことに」

「飲む」

「ェ?」


 思いもしない言葉にポカンと呆けた顔で少年を見る。少年は無表情のまま、見ようによってはムッとしているような表情をしている。なんて器用な表情…。んでもってこれは飲むんだ…。なんで…???


「俺も気になった」

「気に、なる……の???」


 なんで?好きだったっけ…?


 まあ、紅茶専門店に行けるのであれば何も言うまい。下手に会話を続けて藪蛇だったら困る。


 少年は用は済んだと言わんばかりに外を眺めている。どっと疲れが出たような気がして、少女は馬車の天井を仰いだ。しかし、少女の表情は明るかった。


 案外楽しくなりそうだ。


 馬車の揺れに身を任せて、少女は瞳を閉じた。




ありがとうございました。

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