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2.出会い(2)

よろしくお願いします。

 次の日、執務室に呼び出されたエレアノールは寒気が残る腕を摩りつつ、顔を顰めて赤い絨毯を見つめていた。父に呼び出される理由なんて『アレ』しかない。


 まさかバレたのか。昨日の今日で。あの資料を持ち出したのを。こんなに書類がいっぱいあるのにどうやって気付いたんだ。

 謎の攻撃を受けて椅子に座り込んでいたエレアノールだっだが、隠しはバッチリのはずだった。侍女が気付いた様子は一切なかった。もしやこの書類の山からないことに気がついて…??流石は我が父である。舐めてすみません。


 居心地悪そうにもじもじするエレアノールに父が首を傾げる。なんとなくまた娘が資料を持ち出したと気付いたが、娘の書類の扱いはそこまで悪くないと評していたので見なかったことにした。

 どうせ妻が怒ってくれるし。この悪ガキを世話を任せっきりにしている妻には頭が上がらない。ありがとう、妻よ。


「エレアノール。今日は大事な話があってね」

「…はい」

「新しい家族が増えたから紹介するよ」

「…はい。…はい?」


 思ってなかった言葉にエレアノールは目を瞬かせた。

 え、バレてない?!やった〜助かる〜!お願いだから返すまで気付かないで!!ひゃっほ〜!!


 内心無邪気にガッツポーズをして、はたと言葉を辿った。いま、新しい家族が増えたとか言わなかったか。


 新しい家族と言われて思いついたのは昨日の真っ白な子供。いやいや、あれは見間違いだったのでは。父と相乗りゴーストだったのかもしれない。そしてもうこの地にはいないだろう。そうであれ。

 いやまさかそんなわけ…と否定したかったが、どうしてもあの子供が脳裏にチラつく。いや、本当に嫌なんだけど。だってあの子供、寒気がすごいんだもん。物理的に凍りそうだった。そんなことある?


 いや、まさかね。と思いつつもエレアノールは問わずにはいられなかった。震える声で父に聞く。


「あの、もしかして昨日一緒に乗っていらっしゃった…」

「流石エレアノール。話が早いね。そうだよ」


 そうだよじゃないよ。


 まさか本当にあの白い子供が家族に…?それは…なんていうか、その…辛い…。


 少女は幽霊はいない主義だったが、昨日の冷気を当てられてからもしかしてワンチャンいるかもと思い始めていた。寒気が止まらないのは多分、おそらく、きっと風邪だと思うのだが、もしかすると、まさかそんな事はないと思うが、呪われてるかもしれない。それくらい衝撃的な出来事だった。


 突如うぁ〜と唸り始めた娘に、父はまたもや首を傾げた。娘がまた変なことを考えている気がする。彼女は自立心と自尊心が高いので見守りに徹していたが、愛情が薄いと感じられたのだろうか。それは困る。エレアノールは妻と等しく最愛の娘なのだ。


「大丈夫だよ、エレアノール。事情があって引き取っただけだからね。勘違いしないでね。君のことは大好きだからね?代わりとかでは決してないからね?」

「アッはい。あざまァす!」

「下町の掛け声かな?やめなさいね」

「申し訳ありません」


 エレアノールは別のことで悩んでいるらしい。父は少し考えを巡らせたが、わからないので考えないことにした。娘の突拍子もない思考を理解するには時間が足りないので。変な勘違いをしていないことが分かったのでまあいいかと言う感じだった。


「して、お父様。新しい家族になる者とは…?」

「そうだね。今から紹介するよ。今日から新しい家族になるレイノルドだ。入ってきなさい」


 父がぱん、と手を鳴らすと案内役の執事が入ってきた。背後に白い人影が見える。


 少女はくちゃっと顔を顰めた。あの白い子供で確定じゃないか。なんていうか、その…とんでもなく嫌だ…。


 足元から這い上がる氷の感覚を思い出し、腹の底が冷えるのを感じた。どくり、どくり、と嫌な音を立てる心臓を、深く息を吸って落ち着かせる。見ないと。見るんだ。見て。大丈夫。見るだけだから。


 肺の中の空気を全てを吐き出すように長く長く息を吐く。カッと目を見開いて、俯いていた頭を無理矢理上げた。



 エレアノールはその子供を見た瞬間、時が止まったのを感じた。



 陽の光を浴びてオーロラに艶めく銀髪。澄み渡るアイスブルーの瞳。傷ひとつない白磁の肌。鼻から首にかけて包帯に覆われているが、それでも尚あまりある中性的な美が目を引く。質の良い平服に身を包んだ少年は恐ろしく線が細く、嫋やかな百合を思わせる高貴さに溢れていた。


 とても綺麗な少年だ。触れると消えてしまう雪の結晶のような、危ういほどの儚さ。視線一つで全てを手に入れる傾国の美女の片鱗が見える。エレアノール自身、人外じみた美貌に飲まれそうだった。



 『それ』さえなければ、の話であるが。



 少年の臀部から足元にかけて白銀の大蛇がとぐろを巻いていた。まるで剣のような鋭い鱗だ。尾先にかけて細かな鱗が混じり、美しい銀の毛並みが先端を覆っている。その大蛇は少年の臀部で姿を消していた。


 エレアノールはゆっくりと目を閉じて天を仰いだ。


 幽霊なんかじゃない。それはわかった。けど…ああ、きっと見間違いだ。寝不足だし、風邪気味だし、目が疲れているだけだろう。

 だって、ありえない話なのだ。この世界には人外と呼ばれる存在はいないはずだし、ともすれば竜のような尾を持つ人間も存在しないはずである。絵本の中であればありえただろうが、ここは現実の世界なのだ。もしもそのような人間がいたとして、誰にも騒がれずに我が公爵家の一員になれるはずもない。まだ幽霊がいると言われる方が信憑性があった。


 ふう、と息を吐いて目を開ける。再度少年の下半身を見ると、やはり大蛇のとぐろが鎮座していた。ゆらゆらと尻尾を揺らしている姿はコブラが飛び掛かる前の動きに似ている。


 やっぱあるように見えるわ。こりゃとんでもないことになったぜ。


「彼は東部の山間部で出会ってね。なんだか困っていそうだったからうちで面倒を見ることになったんだ。一応君の義弟という名目にはしてるけどーーーエレアノール?」


 くらりとする頭に身を任せて、エレアノールは意識を手放した。








「ーーーはっ!」


 エレアノールは自室のベッドで目が覚めた。ずいぶんと夢見が悪かった気がする。人間の体から竜の尻尾みたいなものが付いていた気がしたが…小説の読みすぎだろうな。

 いてて、とジクジクと痛む頭をさする。あらやだ、たんこぶができちゃった。


「あら、エレアノールちゃん。起きたのね」

「お母様」


 母がベッドの側で本を読んでいた。少女が体を起こすのを見て、水を手渡してくれる。喉が渇いていたらしい、柑橘系の風味がある水が体に染み渡る感覚がした。


「エレアノールちゃん、体は大丈夫?」

「はい。たんこぶはありますが、体調は問題ありません」

「お医者様が過労だと仰っていたわ。今日一日安静にしてなさい」

「はい」


 寝てスッキリしたし、こっそり抜け出してもいいかな…。なんて考えていると、ぎろりと母に睨まれる。「絶対に、寝てなさいね」と念押しされて渋々頷いた。母の勘が良すぎる…。父にはバレないのに…。


 エレアノールは自分が結構なポーカーフェイスだと自負していたが、実のところ全く感情が隠せていなかった。めちゃくちゃ体に出てしまうのである。10歳にしては隠せているが、陰謀渦巻く貴族界で鍛えられた父と母から見れば正しく児戯であった。愚かにも隠そうとする姿は年相応で、そこが可愛らしいところとちょっとくらいは思っているが。


「さて、そろそろお暇しましょうか」


 そう言って立ち上がる母はよく見ると外出用の装いをしていた。どうやら外出前に様子を見に来てくれたらしい。


「お母様、外出ですか?」

「そうなの。ちょっと家を空けるからくれぐれも大人しくするのよ」

「そうですか。いつ頃おかえりで?」

「二週間後かしら」

「えっ?!珍しいですね?」

「陛下からお願いがあるみたいでね、お父様と二人で登城することになったの」


 母は頰に手を当ててため息を吐いた。エレアノールの母は父が登城で家を度々空けるため、公爵代理として領内の政を執っていた。一日二日家を空けて現地に赴く事もしばしばあるので、今回もその手の用事かと思ったがどうやら違うらしい。

 社交シーズンではない今、父と二人で登城するのは珍しい。まあ、母は現陛下の妹なので、陛下が久々に会いたくなったのかもしれない。よくわからん。仲良しさんか?


 母がいなくなると言うことは思いっきり羽を伸ばせるな。やりたかったが出来なかった実験や夜更かしがし放題というわけだ。母は少女が淑女らしくしていなかったらプンプンするので、その邪魔が入らないなんて期待に胸が膨らんでしまう。

 エレアノールはふふ、とほくそ笑む。またもや母の目が光る。ビシリと鼻先に指を突きつけ、眼光鋭く低い声で言った。


「いい?くれぐれも、くれぐれも家から抜け出しちゃダメよ。また変なイタズラして侍女達を困らせるのもダメ。勝手に執務室の書類を持ち出してもダメよ」

「はい…」

「あと木登りもダメよ。池で釣りもダメ。修練場に行ってもダメよ。大人しくしていてちょうだい。あなたはほんっとうにお転婆なんだから…公爵家の令嬢としてお淑やかにするのよ。わかった?お母様と約束できる?」

「はい…」


 全く信用されてなくてウケる。


 母は神妙に返事をする娘に目を眇めた。こういう時だけ素直になるが、まあ確実に言うことは聞かないだろう。今までの野ザルのような我が子の行動を思い出して頭が痛くなったが、時間がないので仕方なく、ほんっとうに仕方なく話を切り上げた。


「困ったことがあれば執事長に相談するのよ。すぐにあなたを助けてくれるわ。私が帰ってくるまで遊ばずに勉強を頑張るのよ。すぐ帰ってくるから、本当にお願いね」

「いってらっしゃっせぇーーーッ!!!」

「下町言葉をやめなさい」

「申し訳ありません」

「不安になってきたわ」


 十中八九、大人しくしていないだろう。期待で胸熱な娘に頭を抱えたくなった。


「あ、そうだわ。エレアノールちゃん。レイノルドちゃんをよろしくね」

「……はい?」


ーーーレイノルド…ちゃん…???



 エレアノールは母が出ていくのを見送り、一拍。ぼすんと布団に顔を埋めた。レイノルドちゃんって、だれだ…???ちょっと知らない人ですね…???


 エレアノールは倒れる前の記憶を思い出しそうになり、急いで頭の片隅に追いやった。精神衛生上よろしくない記憶があった気がする。エレアノールはここ数日の記憶はないことにした。イヤァ、ナンダッタンダロナァ。



 母もいなくなったことだし、書類を執務室に戻しておこう。

 少女はベッドの下を覗き込んで手を伸ばす。鍵付きの箱を手に取り、ベッド横のサイドテーブルの引き出しを漁った。箱には少女の亜麻色の髪が挟まったままになっており、多分無断で開けたものはいないだろうと見て取れた。鍵を開けて、箱の中の鍵を取る。


 エレアノールは執務室から無断に持ち出した資料を二重に保管していた。クローゼットの中の隠し棚に書類、隠し棚を開ける鍵はベッド下の鍵付きの箱の中だ。この鍵は回し方にもコツが入り、鍵穴に押し込み切って右、ちょっと手前に左、また押し込んで左、と面倒臭い手順を踏む必要がある。正直面倒臭いが、侍女にバレたらお母様の火山が大噴火なので仕方ないのである。


 クローゼットから資料を取り出した少女は何気なく書類をめくる。やはりこの資料は面白い。少女は農業や酪農を見たことがないので、どのような光景で、どういう風に作っているのか、人々の営みに思いを馳せた。

 採れたての牛乳は乳臭くて美味いらしい。濃厚ということだろうか。振ったらバターになるという噂は本当だろうか。そういえば、馬も牛乳を出すのだろうか。今度厩の馬の乳を絞りに行ってみるか…。いや、そもそもあの馬たちは雌馬なのか?雄馬なのか?


 いつの間にか夢中で読んでいたらしい。ハッと我に返ると外が茜色になっていた。何か重要な事を忘れているような気がするが、エレアノールの頭の中は大自然が広がるばかりで全く思い出せない。忘れるということは重要ではないということだろう。さてさて、資料を返しに行こう。


ありがとうございました。

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