第8話
土方歳三の名を知らない函館人は、はっきりいってモグリである。
蝦夷共和国や榎本武揚を知らない人でも、さすがに土方は知っている。
人気者だもの。
毎年、箱館五稜郭祭で土方歳三コンテストとかおこなわれてるしね。
「まさか実物に会えるとは」
「実物といっても、俺は転生した姿だけどね」
三井さんが苦笑する。
いや、私も歳さんって呼んじゃおうっと。
ぐへへへへ。
「としは、百年以上も修行していたにゃ。劣等生だったにゃ」
「お恥ずかしい」
口を挟むさくらと、照れ笑いの歳さん。
死後、いくら修行してもぜんぜん霊格が上がらなくて昇仙もできず、かといって人間界での人気が高いため魂の消滅もなく、彼はすっかり腐っていたという。
「多くの人を殺したからね。地獄に落ちるのが俺にはふさわしいだろう、と」
「けど、そういうことじゃないにゃ。としはさくと同じだったにゃ」
未練というと語弊があるが、成したいことがあったから、彼の修行は進まなかったのだ。
それは函館のこと。
土方はこの地を愛していたし、見守りたかった。
仙になってしまえば、そのこだわりは捨てなくてはならない。
捨てられないから彼は苦しんだ。
「しかし、姐さんが教えてくれたんだ。捨てなくて良いんだとね」
「昇神して町の守り神になるか、あるい転生をくりかえしながら人として町を守るか。どっちにしても中立の仙の道じゃないにゃね」
結局、神への道は険しすぎるため断念し、人として生きる道を彼は選んだのである。
それが今の歳さんだ。
ちなみに、さくらが修行を終えたとき、彼はまだ修行中だったらしい。
考え方が変わったとはいえ、劣等生なのは変わらなかったようだ。
そして修行が終わり、人間界に転生したのが三十四年前。
以来、函館を支えるために邁進している。
道南地方の特産である木材の普及が、今生のテーマなんだってさ。
「しかし、薪の風呂というのはいいね。俺もぜひ入ってみたい」
歳さんが生まれた昭和の末期は、もうすでに薪のお風呂なんて絶滅寸前だった。
というより、自宅のお風呂はボイラーのスイッチ一つで沸かせるようになっていた。
「便利にはなったけど、味気もなくなったよ」
「そういうもんですかね」
私はもちろん、江戸末期のお風呂事情なんて知らないから、比べようがないのである。
「俺も入りたいな。沸かすの手伝うから入れてくれ」
「それはありがたいですけど」
連絡先を交換したあげく、歳さんがトラックで運んでくれことになった。
ありがたやありがたや。
お湯は柔らかかったでござる。
薪のお風呂、大変に良いものですね。
「ただ、沸くまでに時間がかかるのが問題かも。さすがに二時間半ってのはなぁ」
肩までお湯につかりながらの感想だ。
私とさくらしかいない女湯。
男湯は歳さんが独占している。
掃除は欠かさなかったから、お湯さえ張ってしまえばいつでも入れるのだ。
今日は実験ということで、両親や弟も入りにくるっていってた。
美雪は、仕事が終わった後で、残り湯で良いから入れてくれって。
たぶんそのままうちに泊まるつもりだろう。
「労働力も必要にゃね。としとゆりが汗だくになって焚くってのは、さすがに毎日だときついにゃ」
小学生状態で湯船のへりに腰掛けたさくらがぴこぴこと指を振る。
風邪引いちゃうから、ちゃんとお湯につかって温まりなさいな。
ともあれ、彼女のいうことも事実だ。
風呂焚きは、大変な重労働だった。
体力のある歳さんですら、ぜーぜーいってたし。
いわんや貧弱な私をや。
「人を雇うってのが順当なラインかな。燃料費がかなり浮いたから」
うーむと腕を組む。
お風呂が沸いても、薪を定期的にくべないと冷めてしまう。お客さんはシャワーだって使うしね。
私が番台に座ったら、誰が薪の追加をするのかって話。
少なくとも一人、できれば二、三人くらいスタッフが必要だ。
歳さんを経由して、廃材はかなり安く譲ってもらえるけど、人件費を考えたらけっこうマイナスである。
それだったらボイラーの方が簡単で良いかな、とも思うけど、それにしたってボイラー技師とかいた方が良いし。
やっぱり薪で沸かしたのお風呂だよ、という宣伝文句は捨てがたい。
実際、お湯も良いし。
差別化もはかれるしね。
「経営が軌道にのるまで、さくのコネで人材を確保するにゃ。お金のかからないスタッフにゃ」
「それってつまり……」
「あやかしにゃ。人件費ゼロにゃ」
「あやかし銭湯……」
く。背に腹はかえられないか。
今のご時世、銭湯の裏方なんて仕事、募集しても人が集まるとは限らない。
周囲の人が興味を持ってくれるようになるまで、そっち系の人材に頼るしかないだろう。
「人に化けられるあやかしってことになると、ある程度しぼられちゃうけどにゃ」
「まあ、そりゃそうよね」
「明日は、人材さがしの旅にゃね」
「おー」
私が、軽く右手を挙げると、にゃっと笑ったさくらが湯船に飛び込んだ。
もう、どぼーんって勢いで。
頭からお湯をかぶってしまう。
「さくら!」
「にゃははは。二人きりだから、こういうこともできるにゃ」
ほんとにもう。
とても仙とは思えないよ? さくらさん。
「ゆーて、北海道にあやかしなんているのん?」
ハンドルを握った美雪が訊ねた。
翌日のことである。
日曜は仕事が休みとのことで、朝から彼女が付き合ってくれているのだ。正直、ドライバー役を買ってくれただけでも拝みたいほど感謝してる。
運転慣れなきゃ、とは思ってるんだけどね。
「日本古来のやつは、ほとんどいないにゃ。おもにアイヌの伝承にあるあやかしにゃね」
ナビゲート中のさくらだ。
助手席に座った私の膝の上で。
目的地は道南有数の景勝地である大沼国定公園。湖から秀峰駒ヶ岳を望んだ景色は、日本新三景にも選ばれた美しさだ。
函館市内からは三十分弱の道程で、ちょっとしたドライブデートに最適である。まあ、女三人でデートもへったくれもないけどね。
「大沼に、そのアイヌの妖怪がいるの?」
「あいつらはどこにでもいるんだけどにゃ。さくの舎弟が住んでるのは大沼にゃ」
舎弟て。
まあ、うちの仙狸さまは、歳さんに姐さんなんて呼ばれてるくらいだからなあ。
あ、そうだ。
歳さんのことを美雪に教えたら、ぜひ紹介してくれって頼まれたんだった。
そりゃもう恋する乙女の表情で。
じつに函館の女じゃな。わが親友よ。
土方歳三って、函館遊郭の女性たちにモッテモテだったらしい。
写真に残ってるあのルックスだしね。
京都時代も恋文とかいっぱいもらってたっていうから、当時も今も女性の審美眼はあんまり変わってないのかも。
歳さんは独身だし、会社の社長だし、すごい優良物件だと思うけどね。
競争率もすごい高そうだけど。
そんなこんなで大沼公園に到着する。
大小百二十もの小島が浮かぶ美しい湖だ。
ラムサール条約で鳥を捕れないことになってるから生息する鳥類も豊富で、冬には白鳥もやってくる。
いくつかの島には橋が架けられており、徒歩で渡ることもできるため、けっこう観光客の姿がある。
日曜日だしね。
ていうか聞こえてくるのは中国語ばっかりだ。
「とりあえず、『大沼だんご』でも食う?」
「遊びにきたんじゃねーんだぞ」
有料駐車場に車を入れ、さっそく名産品を買いにいこうとする美雪を押しとどめる。
スカウトキャラバンなのだ。
遊ぶのも名産品を食べるのも、仕事が終わってから。
「んにゃ。その店でいいにゃよ。バイトしてるはずにゃ」
「バイト……あやかしが……」
「なんてせちがらい世の中なんだ……」
さくらの言葉に、げっそりと呟く私と美雪だった。
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