第7話
函館に到着したからといって、すぐに開店できるわけではない。
祖父のやっていた『昭和湯』は、いわゆる普通の銭湯で、孫の私が経営を引き継ぐ旨をすでに市役所に伝えており、事務手続き的には問題ない。
屋号の変更とか、こまごまとした部分も、もう準備万端整っている。
年々数を減らしつつある銭湯に、自治体も危機感を持っていたりするから、事務処理がさくさく進むって事情もある。
いやあ、調べてみたらけっこー優遇されてるんですよ。銭湯って。
上下水道代もほとんどかからないし、固定資産税も三分の二が減免対象だし、なんだかんだと助成金も出る。
料金の上限は自治体ごとに決められていて、好きなように値上げはできないよってのが、縛りといえば縛りかな。
ちなみに北海道は大人四百五十円。
これ以上にはできないのだ。
スーパー銭湯なんかだと、自由に値段設定できるけどね。
そのかわり、あっちには優遇措置はほとんどないないんだ。
普通公衆浴場と特殊公衆浴場の違いってやつだね。じつは私も祖父の跡を継ぐって決めるまで知らなかった。
業界の常識って、やっぱりその業界にいないと判らないよね。
ともあれ、開店までやることはけっこうある。
ボイラーとかのチェックもそのひとつだ。
『ねこの湯』の給湯システムは二つあって、重油をつかったボイラーと、薪を使った釜。どっちを使っても浴槽のお湯は供給できる。
なんで二つもあるかっていうと、オイルショックのときに重油の値段が高騰した上、手に入りづらくなってしまったため、薪でお湯を沸かせるような釜を導入したんだそうだ。
で、いまは使ってないんだけど、お祖父さんはメンテナンスを欠かしたことはない。またいつ必要になるか判らないからね。
「重油にするか薪にするか、なかなか迷うところにゃね」
「そーよねー」
肩に乗ったさくらとの会話である。
原油価格は上昇の一途をたどっているから、けっこう燃料代も馬鹿にならない。
我が国の総理大臣さまが打ち出した経済政策とやらは、うちみたいな小さい経営者に優しくないのだ。
「値段のこともあるけど、薪で沸かしたお湯は柔らかいにゃ」
「それは迷信じゃない?」
聞いたことはあるけど、さすがにそれはないだろう。
薪で沸かそうが石炭で沸かそうが重油やガスで沸かそうがお湯はお湯。なにか違いが出るわけではない。
「霊的には全然違うけどにゃ? 薪で沸かした場合は木の精霊力がそのまま水に宿るから、水の精霊力が段違いにあがるにゃ」
「まじかー」
「ガスや油で沸かした場合、水は水にゃ。石炭だと大地の精霊力が加味されるにゃね」
さくらが解説してくれる。
ちょっと実感がわかないけど、そんなに違うものなのだろうか。
「もちろん科学的な成分分析では全部一緒にゃよ。けど、入ってみたら、けっこう違いははっきり判るにゃ」
「うーむむむむ」
そういわれても、私は薪のお風呂になんか入ったことがない。
比べようがないのである。
「それなら、実験してみるといいにゃね」
「だね。特別感はひとつの武器になるし」
いまどき薪のお風呂なんかめったにない。ご家庭なら皆無といって良いだろう。
であればそれは武器に使える。
家では入れない薪のお風呂はいかがですか、という宣伝文句は、私だってちょっとときめいちゃうもん。
ただ、問題はコストパフォーマンスだ。
スイッチ一つでお湯が沸くボイラーとは違って、木材を適当な大きさに切ったり、それを釜にくべたり、かなりの重労働が予想される。
正直、女の私に可能かどうか。
さらに、お金の面だって考えないといけない。
重油と薪、どちらが安く付くのか、調べてみないと判らないから。
「まずは薪の調達からにゃね」
心当たりがあるにゃ、と、さくらが胸をそらす。
そして、そのまま肩から転がり落ちた。
「にゃあああ!?」
不安定な場所で不安定な姿勢をとるからですよ。お嬢さん。
そしてそういうのは、私がカメラを構えているときにやってください。
お願いします。
道南は、あんがい林業がさかんである。
あんまり知られてないけど、道南スギっていうブランド材木もあったりする。ただ、知られてなさすぎて北海道内での需要はほとんどない。
八割くらいが本州への輸出だ。
たとえば近郊にある森町では木炭の生産がさかんで、全道一の生産量を誇っている。シェアで考えると、岩手県に次いで北海道が二位なわけだから、全国で使われている木炭の何割かは、森町で作られているわけだ。
でも、そんなことだーれも知らない。
「北海道って、大昔からこんなんばっかりだったみたいにゃよ」
人間状態になったさくらが助手席で肩をすくめた。
小学一年生くらいの女の子がそういうポーズをとるのはおやめなさいな。
非常に蓮っ葉に見えますわよ。
蝦夷地なんて呼ばれていた時代から、作ったものはほとんど本州に搾取されてきたらしい。
アイヌも和人に搾取されていたしね。
「でもまあ、北海道と本州の立ち位置については、いまは関係ないにゃ。これからいくのは木造建築も取り扱ってる建築会社にゃ」
「どうしてそんなところにコネがあるのか……」
謎の猫又である。
あと、運転が久しぶりだからちょっと怖い。
年に一回か二回くらいしか運転しないペーパードライバーだからなあ。
これからはそんなこともいってられないけど。
「修行中に知り合ったやつがいるにゃ」
「んん? 仙なの?」
「人間にゃ。昇仙しないで、もう一度人間として生きたいって願った変わり者にゃ」
「ふーん」
と、そのときは軽く流していたのだが。
やっべえイケメン。
なまらイケメンがいたよ。
年の頃なら三十代の前半かな。私のストライクゾーンからはちょっと外れてるけど、目元がきりっとしてるし、全体的に精悍な印象だし、作業服より軍服とかが似合いそうな感じ。
和泉工務店の社長、三井歳也さんである。
木造建築なんかを主に手がけていて、公共施設とかの建築もけっこうやってるらしい。
「ひさしぶりにゃね。とし」
アポなし訪問だったにもかかわらず、すんなりと社長室に案内された私たち。
そしてさくらが、すげー横柄な態度で挨拶する。
デスクから立ち上がった社長さんが、すごくかしこまって頭を下げた。
そりゃもう丁寧に。
「さくら姐さま。息災そうでなによりです」
と。
もう、私なんてぽかーんと棒立ちですよ。
小学生に頭を下げる大人だもん。
で、ぼーっとしたまま自己紹介とかを受けたわけさ。
ちなみに廃材を譲ってもらう件については、二つ返事でOKだった。しかもロハで。
今回は実験だからね。
もし薪でお湯を沸かすことになったら、きちんとお金を出して買うことになるだろうけど。
だからそこは問題ない。
「でもさ、さくら。年齢が合わなくない? 三井さんって一歳以下には絶対に見えないんだけど」
訊ねたのは別のことだ。
さくらが人間界に戻ってきたのなんて、ほんの一ヶ月前の話だもの。彼女を姐さんと呼ぶ三井さんは、それよりずっと前に修行を終えてないとおかしい計算になる。
そもそも、さくらが死んだのだって八年前だ。
どう考えても、その頃には三井さんは生まれているだろう。
「人間界と仙界では時間の流れがぜんぜん違うにゃ。そもそも、としが死んだのなんて箱館戦争の時代にゃよ」
にゅふふ、とさくらが笑う。
とっても悪戯っぽく。
なんだろうね。箱館戦争と「とし」って愛称が、すごくすごく嫌な符号だよ。
「いやまあ、想像通りだよ。立花さん。ひねりもなんにもなくて申し訳ないが、俺の前の命日は明治二年五月十一日だ」
「そうじゃない可能性を信じたかったんですけどね。でも、お目にかかれて光栄です。土方歳三さん」
私はソファから立ち上がり、右手を差し出した。
柔らかく、そして力強く握り返される。
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