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最終話


 そもそも、デパートのコスメコーナーにいる人なんて、メイクのプロフェッショナルである。

 お客さんにメイクしてあげたりもするしね。


 そのプロがメイクアップサービスを頼むってのは、ちょっと珍しい。

 ただまあ、根掘り葉掘り事情を訊くってのもぶしつけな話。


「麻姑、どう?」


 私はロビー担当に視線を向ける。


「五時半からのなら空いてるよ!」

「じゃあ、それでお願いしますね」


 返ってきた答えに、間髪入れずに舞鶴女史が予約を入れる。

 メイクアップサービスは当日の来店予約しか受け付けてないので、取れるかどうかは運次第なのだ。


 始めたときは電話での予約もありだったんだけど、予約だけしてこないお客さんが頻発したのでやめたのよ。

 ここってエステじゃないからさ。


 お風呂入りにきて、あがったらメイクしてもらうって形にした。

 くるかこないか判らないお客さんを待つより、いまここにいるお客さんを優先する。

 それが『ねこの湯』スタイル。


「判りました。じゃああっちのカウンターで受付してください。あと、今日はセレクトします?」

「ええ。もちろん」


 頷いて麻姑のいる通称『オシャレ受付』へと進む舞鶴女史。

 そこで千円を支払う。


 セレクトアメニティとレンタルタオルで五百円。メイクアップサービスで五百円。

 入浴料まで入れると千四百五十円だ。

 まさに『ねこの湯』フルコース料金である。


 さすがに全部ってなると、ちょっとした出費だよね。


「そこはまあ、その人の価値観次第にゃ」


 とは、さくらの台詞だ。

 薪のお風呂に入って、高級なシャンプーやリンスを使って、サウナも楽しんで、清潔なタオルで身体を拭いて、さらにはメイクやヘアセットまでしてもらって千五百円でおつりがくる。


 人によっては激安だと思うだろうし、無駄使いだと思う人もいるだろう。

 とくに美容に関しては、男性はなかなか理解を示さないことが多い。


 これは逆もまた真なりというやつで、男性が趣味にのめり込むことに関して、女性はなかなか理解できなかったりする。


 私もものすごく恋愛経験が豊富というわけではないが、男性のコレクター的な心理ってのは幾度か目にしてきた。


 ゲームソフトや漫画本、あるいはプラモデルやフィギュアなんかをものすごい数集めたりとかね。

 理解できねーって思ったもんだけど、それは結局、美容にお金をかける女性心理を男性が理解できないのと同じこと。


「もちろん、美容に興味のない女もいるし、凝り性じゃない男もいるけどにゃ。こういう人もいる、というのを言い出すと話はいつまでも一般化しないにゃ」

「だね」


 アメニティを選び終え、脱衣所に消えていく舞鶴女史の後ろ姿を眺めながら、私は肩をすくめてみせた。

 一般論を語るとき、自分はこうなんだよねって考えは大変な邪魔になる。


 なぜならそれは特殊論だから。


 その人……まあ私でも良いけど、私にだけ当てはまる話ってのは一般論からは遠ざかるものだし、一派論を並べれば並べるほど、私個人には当てはまらない部分が出てくる。

 そういうものなのだ。


 だから、一般論と特殊論を同時に考えてはいけない。


「まあこの場合は、オシャレ番長の舞鶴さんが、なんでわざわざさっちんにメイクしてもらいたがるのかって話なんだけけどね」


 横にそれた話題を戻す。

 まだ仕事をしているはずの時間に『ねこの湯』に現れ、メイクアップサービスを希望するとか、舞鶴女史らしくないといえはないのだ。


「これからお見合いとかじゃないかにゃ?」

「平日の夕方からお見合いなんてあるかなあ」

「むしろ、あかねの仕事じゃ土日の方が身体が空かないにゃ」


 あかねって誰だっけ、と、一瞬思ったけど、舞鶴女史のファーストネームじゃん。

 そっちで呼ぶことないからすっかり忘れてたよ。茜さんだ。


 ともあれ、デパートに限らず客商場は土日がかきいれどきである。全員出勤が基本だろう。

 さくらの言うとおり、平日の夕方から夜にお見合いというのも、絶対ないとは言い切れない。


「だとしたら、かなり気合い入ってるね」

「そろそろ焦りが出てくる歳だからにゃ」


 ゲスの勘ぐりに基づいた推理で笑い合う。

 なかなかに下世話な二人だった。


 もちろん私は知人として舞鶴女史の幸福を願っているが、なにか力を貸せるわけでもない。


 こればっかりはね。

 上手くいくにせよ失敗するにせよ、それは彼女自身が選び取る未来だから。





 歳さんが現れるのは、いつも九時すぎだ。

 新進気鋭の一級建築士だからね。忙しいんだろう。


「よ。由梨花ちゃん。今日も大繁盛でけっこうことだな」

「おかげさまで」


 おつりを渡しながら、私は愛想笑いを浮かべる。


「いつも思うんだが、カードを切れるようにしないのか?」

「クレジットカードが使える銭湯って、ちょっと新しいですね」


 大量の現金を番台に置いているわけだから、危険といえば危険なのだ。

 ただまあ、ドワーフやミントゥチや仙狸や仙女がいる『ねこの湯』に強盗に入るというのは、なかなかの蛮勇だろう。

 たぶん「金を出せ!」と言い切る前に捕縛されちゃう。


「いや、安全性というより、俺が面倒くさいだけなんだけどな。携帯端末で決済とかできたらすげーラクだなあ、と」

「ずいぶんとハイカラになりましたね。歳さん」


 この人、土方歳三の転生です。

 江戸末期の人です。


「俺をなんだと思ってるんだよ。由梨花ちゃんは。記憶があるだけで、俺は普通にイマドキの若者だぞ」

「ア、ハイ」


 もうすぐ三十五歳になろうって人が若者ってカテゴリで良いかどうかという点については言及を避け、笑顔で歳さんを見送った。


「カードかあ」

「さすがに五百円程度でカードを切るやつはいないと思うにゃよ」


 そしてぽつりと呟いた私に、膝の上からさくらが応える。

 クレジットカードならたしかにそうだが、携帯端末での決済なら簡単だし手軽だったりもする。

 案外、悪くないアイデアかもしれない。


「直接的な利益には繋がらないだろうけど、利便性は高められるかも」


 メモしておく。

 喫緊ではないけれど、いずれ解決すべき案件というカテゴリだ。

 だいぶ貯まってきたなー。


「由梨花さん。また新しいアイデアですか?」


 不意に声がかかり、驚いて顔を上げると充さんが笑っていた。

 入ってきたの気づかなかったよ。

 ていうかさくら、教えてよ。お客さんがきたら。


 じろっと睨んでやると、あくびとともに目をそらされた。


 こいつ、わざとか。

 充さんだから、わざと教えなかったんだな。


「ええ。まあ。ちょっと思いついたことでも書き留めておかないと忘れちゃいますからね。そんなことより、こんな時間にくるなんて珍しくないです?」


 普段は遅くても八時くらい。

 いまはもう九時半近い。

 閉店まで四十分あるかないかだ。


 ちなみに九時四十五分を過ぎてからの入店はお断りしてるよ。

 なんぼなんでも「あずましくない」からね。

 北海道の言葉で、落ち着かないとか居心地が悪いとか、そういう意味。


「会議ですよ。精も根も尽き果てたんで、今日はもう仙薬風呂をいただいて寝てしまおうかと」

「あらら。ごゆっくりどうぞ」


 四百五十円ちょうどを受け取る。

 じつは、地味にありがたい。


 五十円玉は大量に用意してるけど、無限ってわけにはいかないからね。

 いつもぴったり払ってくれる充さんは、気配りができる男なのである。


 それに比べて、たまに一万円札を出してくる歳さんなんかは、マイナス五百点だ。

 軽く手を振り合った後、充さんが男湯へと消えてゆく。


「……もうちょっと色気のある会話ができないのかにゃ」


 やれやれとさくらが首を振る。


「そういう雰囲気の場所じゃないし、そもそも仕事中だからね?」


 なんで外堀を埋めようとするのか。この猫又は。

 指先でちょんとさくらのおでこをつつき、私は番台を降りる。

 充さんが嫌いなわけじゃない。どちらかというと好きだ。


 けど、いまの関係が心地良いなって思っちゃう私もいたりする。

 一歩踏み出すのが怖い、ってほど臆病じゃないつもりなんだけどね。なんともかんとも、心の軌跡はまっすぐにはのびてないようですわ。


「麻姑。そろそろ暖簾おろすよ」

「あいよ!」


 声をかけて外に出る。

 暖簾を出すのが彼女の仕事で、仕舞うのは私の仕事だ。


 見上げた夏の夜空は東京よりも広くて、ずっとずっと星が多い。

 昔はそんなに好きじゃなかった。

 いかにも田舎の証拠だからね。


「けど、最近はそうでもないかな」


 函館に戻って四ヶ月。たくさんの縁が結ばれた。

 人間だけじゃないってのは笑っちゃうけど、それはきっとすごく貴重なものなんだと思う。


 たぶんね。


 冗談めかして舌を出し、左手に暖簾を持ったままうん、と伸びをした。


「よし。明日も頑張りますか」


 なんて呟きながら。 


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[一言] 面白かったです! 書籍版との違いが気になるので購入しようと思います。
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