第4話
親族会議の調整は両親が請け負ってくれた。
もともと、遺産分割でもめているわけではない。むしろ厄介者の銭湯と家屋を誰が引き受けるのかっていう、心温まる押しつけあいだ。
私が後を継ぐという件に対して、反対意見の出ようはずもない。
資金援助しろとか、そういう話でもないのだから。
ちなみに相続権を持つ人は、私の父を除いて五人。あっさりと相続放棄に応じてくれたらしい。
まあ、美味しいところだけいただく、というわけにはいかないのが相続というやつだ。
祖父の残したごくわずかな財産を相続しようとすれば、当然のように土地や建物に関しての責任も付いてくる。
相続税が課税されるほどの財産はない、といえば、語弊はあるだろうが理解はしやすいだろう。
で、そのあたりの細々とした事務手続きは、いったん両親に委ね、私は東京へと戻った。
私は私でやることがあったのからである。
会社を辞めたりとか、アパートを引き払ったりとか。
だいたい、退職するっていっても、「そんじゃバイバーイ」ってわけにはいかない。
社会人的な常識に照らせば、一ヶ月前には申し出るってことになるだろう。ただ、私はそこまで重要な仕事をしていたわけでもなく、ごく簡単な引き継ぎさえ終われば、けっこう簡単に職を辞すことができた。
ブラック企業なんかだと、舐めさせねーぞなんて話になるんだろうけどね。
「引っ越し業者も頼んだし、来週末には函館に戻れると思う」
『さくさく決まったって割には二週間か。都会は面倒だね』
電話の向こう側で、美雪がくすくすと笑った。
いやあ。退職の手続きと引っ越しの手続き、アパートの解約とか電気とかガスとか水道の解約。けっこうやることあったのよ?
しかも、漏れがないかわりと自信ないし。
「都会でなくても、こういうのは面倒でしょ」
『いんにゃ? あたしらなんかは即日に辞めるのも珍しくないし、クビになるのもありふれたもんよ』
水商売だからね。
ああいう仕事って雇用保険もないし、まともに事業として届け出を出しているのかどうかもあやしい。
ホステスさんとか、所得税を納めているかどうかも判らない。
そんな業界だもの。
即日解雇なんかも普通にあるし、解雇予告手当なんかも出ない。有給休暇だって存在しない。
反対に、働いてる側だって無断退社くらいはあたりまえらしい。
業界用語で、「飛ぶ」っていうんだってさ。
ちゃんと円満に辞めることは「あがる」。
今後、たぶん使う機会がないような単語である。まさに無駄知識を憶えてしまったぜ。
『まあ、戻る日が決まったら連絡ちょうだい。空港まで迎えに行くから』
「助かるよ。親友」
『いいってことよ。親友』
軽く笑い合ってから通話を終えた。
とたんに、ちょっとだけ寂しくなる。これはたぶん私にだけ起こる現象ではなく、都会で一人暮らしをしている人の多くが味わっているものだろう。
誰かと繋がっていなければ不安になり、SNSなどにのめり込んでゆく。
かくいう私だって、日に何度もSNSの画面を確認していたものだ。
いままでは。
「ん? どうしたにゃ?」
視線に気づき、さくらがノートパソコンのキーを打つ手を止め、こちらを振り返った。
「んー、部屋に自分以外がいるって良いものだなって、思ってた」
「さくが一緒にきた甲斐があったにゃね」
にゅふふ、と笑う。
甲斐があったかどうかは、わりと微妙だけどね。
だって、日がな一日ネットサーフィンと近隣の散歩と私と遊ぶことだけに費やして、両親や弟に語ったような「引っ越しの手伝い」はなにひとつしてないもの。
それでいいのか。猫又。
やー、でも、すげー有名な妖怪もののアニメでも、学校も試験もないって歌ってるしなー。
「猫の手も借りたくなったら、ちゃんと手伝うにゃよ」
「それって、猫なんて働かないじゃんって意味だと思うけど」
ネズミを捕まえるくらいしか役に立たない猫にでも手伝って欲しい、くらいの意味だ。
よーするに誰でも良いって話だから、直接ひとにいうのはすごい失礼である。
「猫の手も借りたいと思っていたんだ。手伝ってくれて助かるよ」みたいな例文がわかりやすいかな。
いかにも言いそうな台詞だけど、「お前なんかは何の役にも立たないけど」みたいなニュアンスになるんだよ。
まあ、語源もよく知らない余計な修飾語なんてつけずに、普通に助かるよありがとうって言えば良いって話だね。
「ゆり博識にゃね。すごいにゃ」
てしてしと両手の肉球を打ち合わせるさくら。
拍手のつもりだろうか。
大変に馬鹿にされてる気がする。でも可愛いから許す。
「そもそも、さくらは毎日なにやってんの? パソコンで遊んで、ふらふら出歩いて」
べつに片付けを手伝ってくれとは言わないさ。
さくらはいてくれるだけで良いのだ。
こんな小さな身体で荷物とか運べるはずもないし。怪我でもしたら大変だし。
一緒に遊んだり寝たりしてくれるだけで、さくらには万金の価値がある。
「微妙に腹立つ立ち位置にゃね。さくはべつに遊んでいるわけじゃないにゃ。調査してるにゃよ」
ちょいちょいとパソコンの画面を爪で指さす。
表示されているのは、廃業した銭湯をリノベーションして新しい商売をやっている人たちを紹介するサイトだ。
脱衣所に設置されたでっかい鏡を利用して、ヨガスタジオとかやってる場所もあるらしい。
でも、
「廃業したらまずいじゃん」
思わず突っ込んでしまう。
「改装の一例として参考にしているにゃ。きょうび銭湯一本でやっていくのは大変なのにゃ」
にゅふにゅふ笑ってる。
経済学者猫である。
「そんで、東京で商売をやってるあやかしたちに、いろいろ話を聞いて回ってたにゃ」
「……あやかしが商売……」
なんだろう。
そういう人たちは、あんまり商売に興味がないと思うんだけど。
むしろ、商売なんかして人間に姿を見せて良いんだろうか。
私の知っている常識さんは、だいぶイメージチェンジしちゃってる。
たとえて言うなら、真面目な良い子ちゃんだった委員長が、すっかりギャル系になっちゃった気分だ。
「けっこういるにゃよ。さくは仙だから人の精気なんか食べないけどにゃ。あやかしたちはそういうわけにはいかないにゃ」
お金というより、精気を集めているらしい。
大昔は街角で春を売ったりとかもしたんだってさ。生々しいね。
でも今はそういうのは流行らなくて、欲望を刺激する仕事を営むことで、精気
集めをするのが一般的なのだそうだ。
「アキバでメイドカフェをやってる猫又もいるにゃ」
すごい。
ちょっと行ってみたい。
「さくらは精気はいらないのに、その猫又には必要なのね」
「神仙の仙狸と、妖怪の仙狸は、けっこう違うにゃ。呼び方は一緒でもべつものにゃ」
ふんすと胸を反らす。
プライド的ななにかを刺激されたらしい。
めんごめんご。
人間だって猿と同列に置かれたら不愉快だもんね。
「けどさ、私としてはあんまり外に出て欲しくなかったり」
二本の尻尾は幻術とやらで一本になっているので、見た目は普通の白猫だ。だけど美しさが半端じゃないのだ。ぜんぜん普通じゃない。
雪のように純白の毛並みとサファイアの瞳だよ?
やばいでしょ?
さらわれちゃうって。こんな美人がふらふらしてたら。
「ゆりちょっとキモいにゃ。宇多天皇みたいだにゃ」
猫座りの状態で、やれやれと両手を広げる。
器用ね。さくらさん。
その宇多天皇ってひとは、自分の飼っていた黒猫をものすごく可愛がっていて、ほかの猫に比べても可愛いとか、特別な存在に違いないとか、歩く姿はブラックドラゴンのようにかっこいいとか、日記に書いていたんだってさ。
『寛平御記』っやつで、原本はすでにないんだけど、いくつかの逸話が書き写されて残ってるんだそうだ。
愛猫家ってより親バカである。
気持ち、判ります。
陛下、あなたは私の仲間なのですね。
「悪い例として出したのに共感されたにゃ。ゆり侮れないにゃ」
ぼそっと呟くさくらだった。
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