第39話
『それで、妖怪ぬらりひょんを降した、と』
電話の向こう側で西王母がからからと笑う。
人聞き悪いなあ。
降したっていうなや。
「うちで働いてくれることになっただけですよ。降伏させたみたいな言い方はやめてくださいよ。そもそも敵対してないですもん」
『良い良い。『ねこの湯』の治安悪化は妾も懸念しておった。もし由梨花らで解決できぬようなら、こちらから援軍を差し向けようと思っていたほどじゃよ」
「援軍?」
『毘沙門天どのが、前々より『ねこの湯』を気にしておったでの』
「やーめーてー」
私でも知ってるような神様の名前を出すのはやめてください。
剣とか槍とか持ってるおっかない顔した武神じゃないですかやだー。
トラブル起こした人をバッサバッサ調伏する気かよ。
神様とかが暴れたら、『ねこの湯』なんか消し飛んじゃうじゃん。
そもそも、そういう武断的な処置をしないために、ご隠居に協力を仰いだのだ。
『無事に片が付いたのならそれで良い。仙薬はちゃんと届いたかの?』
「はい。たしかに受け取りました」
定休日を除いて一日に一度、仙界から薬が届く。
もちろん仙薬風呂に入れるためのものだ。
保存がきくようなものではないんだってさ。
だからこそってこともあるんだろうけど大変に高価なもののため、受領確認の電話は欠かせない。
で、毎日しているうちに、すっかり西王母とも仲良くなってしまった。
『そういえば由梨花や。再来月には函館にもゲートができるぞ』
「まじですか。ていうか本気で作る気だったんですね」
『当たり前じゃ。京都から縮地というのも面倒な話じゃからの。まして縮地の法を使えぬ仙だって数多い』
面倒いうな。
普通に新幹線なり飛行機なりで移動しなさいよ。
テレポーテーションとか、私だって使ってみたいわ。
使えたらOL時代ものすごく便利だったろうなー。
ともあれ、仙界と人間界を繋ぐゲートが函館にできるということは、ますます仙のお客さんが増えるってこと。
彼らを監視する麻姑の責任は重大だ。
仙だからって悪さをしないとは限らないからね。というより、彼らの常識は人間のそれとは異なるから、わりと行き違いって起きるのよ。
『仙だけではないぞ。京都からくるあやかしも増えよう』
「生身でゲートは越えられないって聞いたんですけど?」
『越えられぬのは次元の壁じゃよ。同じ地球上を移動するのに、なんの不都合があるものかや』
かやって、さも当然のことのように言ってるけど、わたしにゲートとやらの原理が判るわけもない。
判るのは、とりあえずお客さんが増えるのは確定だってことくらいだ。
人外ばっかり増えるのもどうかと思うんだけどね。
仙、あやかし、人間が分け隔てなく利用する謎の銭湯だ。
カオスすぎる。
『ゲートの利用権限は、汝にもあるからの』
「え?」
『人の身では行ける場所が限られようが、活用するが良い。ではまた明日の』
爆弾発言を残して、一方的に西王母が通話を終えた。
あいかわらずフリーダムな人だ。
「私もあちこち瞬間移動できるってこと?」
「そうにゃね。ゲート間に限られるけどにゃ」
訊ねる私に、さくらが応えてくれる。
日本では京都は伏見稲荷にゲートがあるらしい。
あの鳥居がずらっと並んでるところね。
たしかに異世界とかに繋がってそうなイメージあるもんなぁ、あそこ。
「それ以外で一番近いのは、西安にゃ」
中国である。
けど、さすが海外に瞬間移動で行くのはまずいだろう。
入国手続きもしないでうろうろするわけだから、職質なんかされたら一発アウト。密入国だ。
「認識阻害を使うって手もあるけどにゃ」
「そんな楽しくない旅行は嫌だ」
いるのにいないっていう悲しい仙術である。
誰も私のことを気にしなくなるし、たとえば勝手に店のものを持って行っても気づかないらしい。
犯罪し放題であるが、そんな観光旅行はない。
「夢がないにゃ。の○太くんだったら喜んで飛び込むだろうににゃ」
「さすがに小学生と比べたら分別くらいあるからね」
肩をすくめてみせる。
大人になると、行動に責任が伴っちゃうのだ。
もし私が密入国なんかで捕まったら、家族にも『ねこの湯』にも多大な迷惑がかけてしまう。
だからまあ、いけるのはせいぜい京都くらいだろう。
移動時間ゼロ、交通費ゼロで古都京都へ。
その分、泊まる場所や食べるものにお金がかけられる。
いやまて。いっそ日帰りだって良いのか。
これは楽しみだ。
「利用しないって選択じゃないにゃね」
呆れたように言ったさくらが、てしてしと右手で顔を洗った。
めんこい。
ご隠居の仕事は男湯の客室係だ。
定期的に脱衣所や浴室のゴミを片付けたり、サウナ室のタオルとかを交換したり。
いままではイナンクルワひとりでやっていたことを分けた格好である。
これによって、イナンクルワの負担がだいぶ軽減したため、メイクアップサービスが充実することとなった。
具体的には一日四名から六名へ五割増し。
午後三時半がスタートで最終は六時から。本当はもう一人二人くらいならいけそうなんだけど、意味がないだろうって結論になった。
六時からのお客さんだって、メイクとヘアセットが終わったら六時半近くになってる。
飲み会でもパーティーでも、けっこう時間ぎりぎりなんじゃないかな。
タクシー飛ばして会場に向かうってことになってしまう。
そこから先の時間は言わずもがな。
遅刻確定ってのは、さすがにまずいからね。
そんなわけで、メイクアップサービスは六人限定。
発表したら、またちょっと炎上しかかったさ。
こわいこわい。
「女将。男湯は準備完了ですぞい」
濃紺の作務衣をまとったご隠居が暖簾をあげて男性脱衣所から顔を出す。
「あらあら。女湯も万端整っていますよう」
女性の脱衣所から顔を出すイナンクルワの作務衣はえんじ色だ。
いちおう、男女で制服を分けたのである。
「OK。麻姑」
「あいよ!」
番台から指示を出せば、ロビー担当の麻姑が暖簾を左手に玄関の引き戸を開く。
それからご隠居の方に向かって指を二本、イナンクルワには三本立ててみせた。
開店前から並んでるのは、男性客が二十人くらい、女性客が三十人くらいだよって意味である。
『ねこの湯』のスタート時からは考えられないくらいの大盛況だ。
私は番台の上のさくらをひと撫でし、三人に頷いてみせる。
客室係の二人が脱衣所の奥にある待機スペースに引っ込み、ロビー係が暖簾をかけた。
「『ねこの湯』、本日も開店ですよ!」
元気な声とともに。
わいわいがやがやとお客さんが入ってくる。
そうすると私の仕事の始まりだ。
次々に差し出される五百円玉を受け取り、五十円のおつりを渡す。
最初の頃はけっこう手間取ったもんだけど、いまじゃもう流れるような手さばきだ。
まあ、麻姑と私で仕事を分けたってのも大きいんだけどね。
セレクトアメニティのお客さんは、そのまま麻姑が立ってるカウンターに方へと進むんでもらい。そっちで受付したりタオルや小瓶をうけとったりするのだ。
タオルのみレンタルって人もそう。
でないと、入口にお客さんが溜まりすぎちゃって。
自前の入浴道具を持って、純粋にお風呂を楽しみたいって人にとっては、この待ち時間がいらいらの原因になるんじゃないかって考えたんだ。
じっさい、セレクトアメニティを楽しむお客さんって、女性客のうちの二割くらいって感じだからね。
一日のトータルで三十人くらいが平均値かな。
それでもすげー数で、けっこう頻繁にシャンプー類の補充は必要になる。
どれがどのくらい出ているかってデータは、アメニティを提供してくれてるコスメ会社がものすごくほしがるので、ちゃんと記録してるよ。
むしろ舞鶴女史なんか、頻繁に『ねこの湯』に入りにきては、自社製品の減り具合を覗いてにまにましてる。
かなりの仕事人間だ。
ワーカホリックってやつである。
その舞鶴女史が現れたのは、午後四時すぎのことであった。
ずいぶんと早い。
デパートはまだばりばり営業中のはずだけど。
「女将さん。今日ってメイクアップサービスあいてます?」
そして、またまた珍しいことを訊ねたのである。
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