第38話
適任の御仁がいるじゃないですか。
「ますみかにゃ?」
「だれ!?」
さくらが突如として挙げた人名に驚く。ほんとに誰だい? それは。
「んにゅ? てっきりこないだの騒動を丸く収めたますみでもスカウトすると思ったんだけどにゃ」
「いや。うん。合ってるけど。あの人ってぬらりひょんじゃなかったっけ?」
「ぬらりひょんは種族名にゃ。個体名は菅江真澄にゃよ」
「ちょー日本人っぽい名前じゃん」
「元は日本人にゃ。一七〇〇年代の人物にゃね」
江戸時代の紀行家で文筆家なんだってさ。
武士の家系に生まれたのに、ふらふらとあちこち旅をしてるうち、いつの間にかあやかしになってしまったらしい。
あ、本人は普通に亡くなってるけどね。
あやかしってのは、噂話とか伝承が一人歩きして生まれていくもんだから。
旅暮らしの中、民家に泊めてもらうことも多かったんだろう。
それが、他人の家でお茶とか飲んでるけど、まるで主人のように見えて誰も疑わないって伝承と結びついた。
そんなところかな。
「函館にいるぬらりひょんも、そのひとりにゃ」
「江戸時代に北海道にきてたんだねえ」
「天明八年だから、一七八八年にゃね。四年くらいこっちにいたにゃ」
松前に拠点を置いて、道南周辺をふらふら旅していたらしい。
有珠山の方まで行ったっていうんだから、たいした健脚ぶりである。
「ともあれ、ぬらりひょんってのは発生しやすいタイプのあやかしだったにゃ。ぶっちゃけ伝承だけだと、そのへんのおっさんにゃ」
「たしかに」
都会では信じられないことだが、ど田舎では他人の家に勝手に入るってケースがあったりする。
勝手に家に入ってテレビも見たりお茶飲んだりしてるんだよ?
信じられないでしょ?
それを嫌がって鍵を閉めていたり、外から見えないようにカーテンを引いたりしたいると、何か悪いことをしているなんて噂を立てられたりもするのだ。
そういう田舎の因習に絡んで殺人事件に発展したことだってあるはず。
怖ろしいですねえ。
でもまあ、さすがに、そういうのが当たり前って世代はどんどん死滅していってるけどね。
「流れが変わったのが、藤沢衛彦の著作からにゃ」
そこに「怪物の親玉」と書かれたのがどんどん拡大解釈され、ある妖怪もののテレビアニメで「妖怪の総大将」として扱われた。
これが決定打となって、ぬらりひょんのイメージが定着する。
「だからあのご隠居に、他のあやかしが一目置いてるってことかあ」
さくらの説明に頷く。
どう思われるかによって性質が変わっていくのがあやかし。
イナンクルワに絶倫の化粧技能が生えたのも、私たちが「さっちん女子力たっか!」って思ってたからだしね。
「だいぶ横道にそれちゃったけど、あの人をスカウトしたら、穏便に揉めごとを回避できるかなって」
「手としては悪くないにゃ。けど、諸刃の剣にゃよ」
さくらの言葉に祭とイナンクルワが頷く。
ぬらりひょんというあやかしがもつ属性だ。すなわち、主人のように見え、誰も不思議には思わないし追い出すこともできない。
「つまり、『ねこの湯』が乗っ取られるってこと?」
「あらあら。そうとは言いませんがぁ」
「その可能性がゼロじゃねえのはたしかだな」
イナンクルワと祭も難しい顔だ。
大事に思ってくれてるんだね。ここのこと。
ありがたいよう。
「とはいえ、みゆきが言った男手がないから舐められるってのは、大筋においてまちがってないと思うにゃ」
ふにふにとヒゲを動かすさくら。
男性従業員を入れるということには賛成だという。
問題となるのは人選だ。
歳さんや充さんは他に仕事をしているからダメ。まさか『ねこの湯』に転職しろって話にはならないからね。
愁也だって就職活動の真っ最中なんだから、手伝わせるってわけにはいかない。
となれば募集をかけるしかないんだけど、いまどき銭湯で働きたいって男性がいるかどうか。
給料だってあんまり出せないし。
あと、スタッフが女ばっかりだってヨコシマな考えを抱くような人だと困る。
あんまり強面ってのもお客さんに威圧感を与えちゃうしね。
「ぬーん。あのご隠居さん以上の人材には、ちょっと心当たりがないなあ」
我ながら、なんと狭い交友関係だ。
びっくりである。
「よし。会うだけは会ってみよう」
決めちゃう。
どのみち、このままだとそう遠くない未来に、警察を呼ぶような事態になるかもだし。
やっぱり商売をやってる身としては、そういうのは避けたいからね。
歳さんと美雪が夜の街へと消えていったあと、私とさくらは件のご隠居に会いに行くことにした。
祭とイナンクルワも同行すると言っていたけど、さすがに全員で押しかけるのもどうかと思ったので、二人は留守番である。
祭の腕っ節やイナンクルワのお色気で攻めるような場面でもないしね。
「こっちにゃ」
ととと、先導するさくらの後を追ってたどり着いたのは、『ねこの湯』から歩いて五分ほどの場所にあるおんぼろアパートだった。
表札には、たしかに菅江とある。
「ここに暮らしてるの?」
「独居老人というやつにゃね」
「いやいや。人間じゃないでしょうが」
あやかしである。
総大将である。
あんまりにも質素な暮らしをしているのというのは、どういうものか。
「人間的な富貴を、あやかしは求めないからにゃ」
言いながら、ぴょんとさくらが私の肩に飛び乗る。
爪とかを一切立てないのは、さすが仙狸だよね。
ドアの横に、申し訳程度についてるチャイムをおした。
電池が切れかかっているのだろうか、大変に貧乏くさい音が響く。
「はいはい。どちらさんで」
扉を開くご隠居さん。
誰何と同時にオープンってのは、まさに警戒心ゼロである。
「こんばんはにゃ」
「夜分に失礼します」
「これはこれは。女将さんにさくらさま。このような陋屋にお運びいただくとは」
にこにこ笑いながら室内に招き入れてくれた。
八畳くらいの1DK。
部屋の中心部にはちゃぶ台があり、片隅に置かれた年代物のテレビにはプロ野球の中継が映っている。
当然のようにパ・リーグだ。
道民が最も愛する球団は、こっちのリーグだからね。
「じつはスカウトにきました。菅江真澄さん」
「ほほう?」
老人が目を細める。好々爺って感じだけど、この人は妖怪の総大将なのだ。
油断はできない。
「それがしの正体をしった上でのお話ですかな? 女将さん」
「もちろん。みんなから心配されましたよ。『ねこの湯』が乗っ取られるんじゃないかって」
肩をすくめて見せた。
べつに隠すようなことじゃないしね。
「女将さんは心配しなかったので?」
「心配する理由がないですもん」
もしぬらりひょんが『ねこの湯』を乗っ取るつもりなら、とっくにやっているだろう。常連として通うよりずっと前に。
でもご隠居は、毎回きちんと料金を払ってお風呂に入ってる。
あやかしとしての能力を使うつもりはない、と、私は読んだ。
にもかかわらず、この前チンピラ相手には使った。
誰のために?
と、思考を進めれば、彼の思いが判る。
「『ねこの湯』のためだからこそ禁を犯した。処罰されるのを覚悟の上で。そうするだけの価値があると思ってくれてるってことですよね」
笑顔で告げた。
自分の身より『ねこの湯』のことを考えてくれるような御仁が乗っ取りなどするものか、と。
「そして、そういうご隠居さんだから、私は一緒に仕事をしたいと思いました」
「……さくらさま。このお方は、まったくただの人間ではありませんなぁ」
ふうと息をついてさくらに話しかけるぬらりひょん。
くすりと仙狸が笑った。
「ゆりはただの人間にゃ。ちょっと図太いだけにゃ」
ひっど。
フォローする気ゼロのさくらたんである。
なんともいえない顔でご隠居が私の方を向き、お尻の下から座布団を引き抜いて横に置いた。
「どうかこの老骨、好きなようにお使いくだされ」
見事な座礼をみせる。
か、かっこいい……。
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