第37話
翌日のことである。
『ねこの湯』でちょっとしたトラブルがあった。
本当にちょっとしたもので、わざわざ言うようなことでもないのだが、チンピラさんが暴れそうになったのである。
隣に座っていた人の水が跳ねたとか、そーゆーのが発端だ。
普通だったら、
「跳ねましたよ」
「あ、すいません」
で済む話だが、チンピラっていう生物にとっては、それは勝負を挑まれたという解釈になるらしいね。
いきなりすごんで立ち上がったらしい。
男湯の話なんで、もちろん私は伝聞でしか知らないけど。
それを、まあまあっていさめたのは、近所に住むご隠居さんだ。
ちなみに、何をやっていた人なのかは誰も知らないし、詳しい住所も誰も知らなかったりもする。
はい。
ようするに人間じゃないですね。
ぬらりひょんっていえば、きいたことがある人もいるかもしれない。
一説には妖怪の総大将っていわれるような大物なんだって。
で、そんな老人にたしなめられたチンピラは、しおしおってしおれてしまい、周囲の人にごめんなさいって謝って帰っちゃった。
めでたしめでたし。
ではない。
残念ながら。
「場を丸く収めてくれたことには感謝するけど、妖術つかうのはまずいっしょ!」
「すまなんだ。麻姑さまや」
ロビーの一角で、麻姑がご隠居に事情聴取している。
ひそひそ声なのと認識阻害のおかげで、番台の私以外は気にかける人もいない。
妖術でも仙術でも魔法でも良いが、それを使われるのは困るのだ。
これは『ねこの湯』に限った話ではないだろうけど。
この世には人外もいるんだよってのが不特定多数の人間にバレると、とんでもないことになってしまう。
もちろんご隠居が使ったのは非常に弱い妖術で、永遠に操り人形にしてしまうんなんて怖ろしいもんじゃない。
もんじゃないけど、お客さんが特殊能力を使うことを許しちゃったら、際限がなくなってしまうのである。
トラブルの調停はスタッフに任せてもらわないと。
そのために麻姑もイナンクルワもいるんだから。
「女将から、今回だけは不問に付すって言われてるけどね! 次はないと思って!」
「ありがたやありがたや」
ご老体が両手をすりあわせる。
次に妖術を使ったら出入り禁止。
ほんとはこんな武断的な措置は取りたくない。けど、線引きはしておかないと『ねこの湯』が妖怪大戦の舞台になってしまうから。
「それとこれ! 丸く収めてくれてありがとうってことで! 『ねこの湯』からのお礼!」
麻姑が差し出すのはタオルのセットだ。
一応はタオルの名産地今治の、そこそこの値段がするやつだよ。
禁止行為をしたことに対する罰は罰としても、トラブルを回避してくれたことに関してお礼をしないわけにはいかないからね。
タオルは私からの気持ちだ。
ほんとは入浴回数券とかをあげたいんだけど、まだ銭湯協会から作成の許可がおりていないのさ。
単独店舗じゃなくて他の銭湯とも足並みを揃えないといけないって。
値下げ競争になってしまったら、それでなくても死に体の業界にとどめを刺しちゃうかもってのが理由だ。
難しいよね。
だからまあ、最大限の感謝として今治のタオルセット。『ねこの湯』って刺繍が入ってやつ。新しい物品販売の目玉にしようと思って作成を依頼した試作品である。
まさかお金を渡すわけにはいかないからね。
「ちなみに、信賞必罰っていうにゃよ」
番台の上のさくらが小声で教えてくれる。
功績は間違いなく称える、罪にはきちんと罰を与えるって意味なんだってさ。大昔から組織運営の基本といわれてることらしい。
はじめて知ったわ。そんな言葉。
「ゆりは誰から習ったわけでもないのにちゃんとできてるにゃ。えらいにゃ」
ぽむぽむと頭を撫でてくれる。
ありがたきしあわせー。
ていうか、あたりまえのことなんじゃないの? さくら自身が基本っていったじゃん。
「いまの日本、できてない会社の方が多いにゃ。むしろ、国そのものができてないにゃ。なあなあにゃ。ずぶずぶにゃ」
なんか社会派みたいな台詞を吐いて、かっこいいポーズを決める白猫である。
かわいい。
そんなこんなで、小さなトラブルがたくさん起きてる。
超優秀なスタッフたちのおかけで事なきを得ているけど、わりと綱渡り感が半端ない。
「人が多くなれば比例してトラブルも増える。こればっかりは仕方ないな」
歳さんが肩をすくめた。
定休日の夕食時には、たいていうちにいるのが土方歳三クオリティだ。
彼はスタッフでこそないものの、スポンサーだし関係者だしさくらつながりだしで、なんとなーく家族っぽいポジションだったりする。
「男衆がいないってのも、ひとつの要因だと思うよ」
もう一人の関係者、美雪が口を開いた。
こいつは、今日はお休みとかではないはずなのだが、普通に遊びにきている。
なんと、これから歳さんと同伴出勤なんだってさ。
なので店に行くのはけっこう遅くても平気なんだそうだ。
もちろん歳さんが支払う料金には、ホステスを独占している分がしっかりと上乗せされる。
ホステスの世界って、いろんなシステムがあるんだねえ。
「男衆?」
小首をかしげる。
男の人がいるからトラブルが減る、ということだろうか。
そんな簡単な問題ではないと思うんだけど。
「最初から難癖つけてやろうって輩のことはいったん置いて話すわよ。由梨花」
「うん」
ずず、とお味噌汁を飲み、美雪が解説してくれる。
キャバクラでもクラブでも、男性従業員がいるのはどうしてか、という話だ。
ホールを担当するのはウェイターである必要はないのに、ウェイトレスやバニーガールを使っている店は少ない。
なぜなら、客の監視も仕事のうちだからである。
もしホステスに無体を働く客がいた場合、彼らがその胸ぐらを掴んで店から叩き出す。
「きゃーやめてくださーい、なんて女の子が騒いだって逆効果なのよ。酔っ払いにはね」
肩をすくめるナンバーワンホステス。
でも男性従業員が、うちの商品になにしてくれてんだ、とか凄んできたら大人しくなるものらしい。
ひとつには、水商売の店で働いてる男はヤクザの一歩手前くらいに思われてるって事情もあるんだってさ。
ていうか、私もそう思ってたよ。
普通に、職業として働いている人がほとんどだろうにね。
親友の美雪がホステスをしているのに、そっちの業界に対する偏見を捨てきれていなかった。反省反省。
「ストッパーとしての男衆かあ。考えたこともなかったよ」
『ねこの湯』には女性スタッフしかいない。
結局のところ、それが舐められる原因になっているというわけだ。
仮に酔っていなかったとしても女性を下に見る男性はけっこういる。もちろんそうじゃない人も数多いけどね。
「女しかいねえんだからたいしたことできねえだろ、って思う輩は少なくないだろうねえ」
「へ。そういうやろーはあたいか叩きのめしてやんよ」
美雪の台詞に祭が息巻くが、乱闘沙汰はまずい。
ボイラー室からドワーフ娘が斧ぶん回して登場したら、むしろスプラッター映画である。
番組の趣旨が変わってしまうって。『ねこの湯』は癒やしの番組でありたいんです。血湧き肉躍るアクションは、違うチャンネルにお任せします。
「けんかとかになるのはちょっと……」
「水商売や風俗じゃないもんね。ここは」
うむうむと頷くけどさ、美雪。
その言い方だと、あなたの業界では、そう珍しくもなくけんか騒ぎが起きてるってことですよ?
怖い怖い。
「暴力がダメなら、話のできるやつが出て、穏便に収めるって手しかないだろうな」
食後のお茶を飲み干し、歳さんが言った。
この人の場合は、士道不覚悟とかいってバッサバッサと斬り捨てちゃいそうだけどねー。
「穏便にかあ……あ!」
ぽん、と、私は手を拍った。
いいこと思いついちゃったよ。
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