第35話
ほくほくです。
いやあ、まさか映画の試写会ってお土産もらえるものだなんて、思ってもみなかったよ。
「必ずってわけじゃないですよ。協賛会社の好意ですから」
井垣さんは苦笑中だ。
彼は何度か試写会にきたことがあるんだってさ。
「それに、お土産っていってもスモールプレゼント的なものですって」
「ただでものをもらって、嬉しくないわけがあろうか」
ぴ、と、人差し指を立ててみせる。
たとえそれがカップラーメン程度のものでも、嬉しいのだ。
ましてこの、高いカップラーメンは普段まず買わないから、わりと本気で嬉しい。
協賛会社が、食品関係だったらしい。
「むしろ、もらったお土産ではなくて映画の感想を言ってあげた方が、関係各社が喜びますよ」
「おう」
井垣氏の言葉に大きく頷いてみせる。
そしてそのまま黙り込んだ。
えーと。
「恋愛ものだった、ような気がします!」
「……ちゃんと見せませんでしたね? 女将さん」
「そそそそそんなことはないぞ?」
「せめて僕の目を見て否定しましょう」
だってしょうがないじゃない。
毎日けっこう忙しくてさ。こう良い感じに暗い空間だと、つい。
「こっくりこっくり船を漕いでましたねえ」
「起こしてくれれば良いのに……」
「さすがに、いびきとか始まったら起こすつもりでしたよ」
どうやら私は静かに眠っていたらしい。
深く静かに潜航せよって感じだ。
あ、一九五八年のアメリカ映画ね。一応、映画を見た後なので、ちょっと映画ネタで。
アメリカ軍の潜水艦と日本軍の駆逐艦の戦いを描いた作品だ。
「見たのは思いっきり邦画ですけどね」
「細けぇことは良いんだよ」
笑いながら立体駐車場の車に戻る。
コンパクトカーだけど、さすがに私の軽自動車よりは広い。
車内はきちんと掃除されているというより、適度に綺麗で適度に散らかっている。居心地の良い空間がだいたいそうであるようにね。
あんまり片付きすぎてると、なんだか気後れしちゃうものさ。
「食事でもどうです?」
かちりとシートベルトを締め、井垣さんが訊ねてきた。
どうしようかな。
彼は車だからアルコールはダメとしても、軽いものなら良いかもしれない。
せっかく付き合ってもらったんだし、私が出しますか。
「いやいや。女将さんは映画代を持ったんですから、食事は僕に持たせてくださいよ」
意向を伝えると、手を振って拒否られた。
私、映画代なんて出してないけどね。
招待されたものだし、そもそも招待状自体が奈津にもらったものだし。
ようするにこれは、借りは作りたくないってことかな。
ますます今後の進展はなさそうでござるなあ。
仕方がない。
素直におごられてやりますか。
男が一度出した財布を、引っ込められるはずもないしね。
「じゃあお言葉に甘えちゃいましょう」
「ありがとうございます。どこか行きたいところとかありますか?」
なんでお礼? とか思いつつ、お任せしますと答えておく。
井垣さんの顔を立てたというよりも、駅前地区なんて七年ぶりだもの。
どこに何があるにもすっかり忘れてるよ。
駅前にあったデパートもなくなっちゃったしね。
しかも私がこの界隈に遊びにきていたのは高校生の頃だから、大人の男女が行くような店は知らなかったりするのだ。
「ではフレンチにでもいきますかね」
「ふれんち!?」
発進させながら言った井垣さんの言葉に目を剥いちゃったよ。
アランス料理ってあんた。
デートじゃないんだから、って、デートだった。
「なぜそこで奇声なのか……」
「だんなぁ、あっしの格好で入れるような店なんですかね……?」
「女将さんはものすごくオシャレじゃないですか。さすが東京の女性って感じですって」
くすくすと笑う。
東京という言葉に弱いのは道民あるあるだ。
べつに私はお洒落じゃないけどね。普通の外出着だもん。
夏らしく涼やかなワンピースにミュール。でも北海道の夜は少し冷えるんでショールを引っかけた。
「函館の女性たちが裸足で逃げ出すくらいにオシャレですよ」
「それ台詞を、美雪の前で言ってみてくだされ」
あいつに比べたら、私なんて月とすっぽんぽんって感じだよ。
ナンバーワンホステスだもの。
「お二人は方向性が違うでしょうに」
なんとも言えない顔をする井垣さんだった。
まあ、無理にでも褒めてくれようとしたのは判ります。
ありがとうね。
案内された店は開国通り沿いにあった。
古いレンガ造りの外観で、中は土蔵だったものを改装したんだってさ。
異国情緒! って感じだけど、じつは函館にはこういう雰囲気のお店は少なくない。
古い港町だからね。
だからこそ観光客にも愛されるんだとおもうよ。
でもまあ、フレンチなのに店名が和風で、女将さんも和服で接客ってのは珍しいかも。
和フレンチって感じかな。
そして料金は、わりとリーズナブルだった。
もちろん上を見たらきりがないけどねー、こういうのは。
なのに井垣さんったら、わりとお高めのコースを注文しちゃうんだもん。
「ふとっぱらー、めたぼー」
と、恐縮して冗談を飛ばすしかないじゃないか。
もうちょっと気取らない感じのお店でもよかったのよ?
無理してないですかい? だんな。
「いやあ。せっかく女将さんとデートなのですから、気合いくらいいれますって」
爽やかに笑う。
後ろで女将さんがぴくっと反応したのは、まさに女将さんなんて呼んだからだ。
この場に二人の女将は、さすがに大混乱である。
「由梨花でいいですよ。プライベートな時間なんですから」
「おうふ」
なんで鼻を押さえてのけぞるのさ。
たまに謎な反応するよね。この人。
「どうしました?」
「いや、ちょっと鼻血が出そうに……」
それはいけない。
『ねこの湯』でも、のぼせて鼻血を出しちゃう人がたまーにいるんだ。
慌てて席を立って介抱しようとすると、右手を挙げて制された。
「大丈夫。まだ出てません。まだいけます。まだ負けてません」
なにそれ?
なにと戦ってるの?
「で、では、由梨花さんとお呼びします」
ちょー照れくさそうに呼ばれた。
まあ、歳さんみたいにちゃん付けでなくて良かったよ。
あれって微妙に子供扱いだよなー。
「なら私は対抗して、井垣充どのとお呼びしましょう」
「なんでフルネームで呼ぶんですか。あと、殿はおかしい。いろいろおかしすぎて、どこから突っ込んで良いのか判りません」
「面倒くさい人ですねえ」
「僕が悪いみたいに言うの、できればやめてもらいたいんですが……」
「善処します」
和気藹々と食事が進む。
美味しい。
箸で食べるフレンチってのも、なんか新鮮だよね。
祭や美雪だったら、こんなちまちま食ってられるか! とか暴れ出しそうだけど。
やつらは肉食系だから。
「そうだ。飲まないんですか? 由梨花さん」
「充さんが飲めない状況で私だけ飲むのは、さすがに礼儀知らずかと」
ドライバーは、一滴でもお酒は入れられないからね。
べつに警戒してるわけじゃないよ?
酔わせて不埒なことをしようなんて考えるような、彼が鬼畜だったら、そもそも一緒に食事なんかしない。
その程度の人を見る目は、養ってきたつもりである。
「……うぷす」
また鼻を押さえた。
何の儀式なんだ? それ。
「充さん?」
呼びかけると、ふたたび右手を挙げて制する。
「大丈夫だ。問題ない」
「問題しかねーよ」
そんなこんなで食事も終わり、充さんの車で『ねこの湯』まで送ってもらった。
まあ、わりと楽しかったかな。
最後はちゃんとデートっぽくなってたし。
映画の内容は、まったく憶えてないけどね!
ただ、彼は私にあまり興味がないようなので、一回こっきりのデートだろう。
こればっかりは仕方がない。
相性の問題だからね。
「それじゃあ、ごちそうさまでした。おやすみなさい」
「あ、あの! 由梨花さん!」
車を降りようとしたところで呼び止められる。
なんじゃろうか。
いまさら食事代とか請求されたら、泣いちゃうぞ。
「こ、今度は僕から誘っても良いですか……?」
ルームライトが照らされた彼の顔が上気している。
おおっと。
この展開は予想外ですよ。
まさかとは思うけど、レストランでの態度って照れてたってこと?
中学生や高校生みたいに。
やば。
この人、めちゃくちゃ可愛い。
「はい。ぜひお願いします」
内心の動揺を隠し、私はにっこりと微笑んだ。
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